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真実の恋  作者: 冬月やまと
40/41

VOL.40 恐怖(実桜)

 呼ばれて待機室から立ち上がったとき、真からメールがきた。

 きっと、さっきの気まずい雰囲気のことを謝ってきたに違いない。

 もしかしたら、結婚してほしくないというメールかもしれない。

 実桜は勝手に思い込んで、胸をときめかせた。

 客の席に着く前に、待ちきれずに内容を見た。

「お別れです

 今まで楽しかった

 ありがとう」

 衝撃を受け、携帯を持つ手が震えた。携帯を落としそうになる。

 今呼ばれている客は実桜の客ではなく、ただのヘルプだった。

 実桜は、ちょっと気分が悪くなったと言って別の嬢に代わってもらい、そのままトイレに駆け込んだ。

 きっと、まこちゃんじゃない。わたしの見間違いだ。

 個室に入ると、もう一度送信者を見た。

 その手は、まだ震えている。

 実桜の願いも空しく、まぎれもなく真からだった。

 実桜の胸が、苦しくなった。

 あまりに突然すぎないか?

 確かに、今日は今までにないくらいきまずい雰囲気だった。しかし、いきなりお別れとは。それもメールで。

 わたしが、プロポーズの話をしたからか?

 プロポーズの話をしたとき、真は衝撃を受けていたようだった。

 おめでとうという真の顔は、引き攣っていた。

 前にもプロポーズの話をしたが、そのときは笑って聞いてくれたのに、今日の態度はまったく違った。

 確かに、真にやきもちを焼かせたくて、気を持たせるような話し方をしたのは事実だ。

 それがこんなことになろうとは。

 実桜は自分を呪うと同時に、悲しくなった。

 どこまで、女心のわからない朴念仁なんだ。

 そう思うと、怒りの感情が湧いてきた。 

「お別れって、なに勝手に決めてるのよ

 わたしの気持ちは無視 

 ありえない」

 気が付くと、感情のおもむくくままにメールを打っていた。

 これまで実桜は、客に対してだけでなく、彼氏や旦那にも、こんなに感情を露わにしたことはない。腹立たしいことがあっても、いつも冷静に返していた。

 客に対しては、プロということもあったが、彼氏や旦那に対しても、いつもどこか醒めている自分がいたのだ。

 しかし、なぜか今の実桜は、抑えが利かなかった。

 自分の感情が制御できないのだ。

 実桜はこれだけでは飽き足らず、真からの返事も待たずに、次から次へと矢継ぎ早にメールを送った。

「悲しくて泣いてます」

「わたしをすてるの」

「まこちゃんだけは信じてたのに」

「もうお店やめちゃうから」

 いつもの実桜なら、こんなメールは逆効果だということは充分わかっているはずなのに、そんなことも考えられないくらい気持ちが高ぶっていた。

 今、実桜の頭には、営業とか、ここが自分の仕事場だとかいう冷静さは微塵もない。怒りと悲しみ。それに、もう真と会えなくなるかもしれないという恐怖。

 今の実桜を支配しているのは、それらが複雑に絡み合った感情だ。

 怒りは、真だけに向けられているのではなく、自分にも向けられている。

 真の性格をわかり過ぎるくらいわかっていながら、あんな話し方をしてしまった自分に、腹が立ってしようがなかった。

 なんとか真の気を惹きたくて、つい、あんな話し方をしてしまった。

 まさか真が、こんな行動に出ようとは、思いもよらなかったのだ。

 メールを打ちながら、実桜の頬を止めどもなく涙が伝っていく。

 男のことで泣いたのは、いつ以来のことか、

 実桜には記憶がないが、まさか今の自分が、男、それも付き合ってもいないお客のことで、涙を流そうとは思ってもいなかった。

「ごめん。実桜ちゃんを傷付けるつもりじゃなかったんだ。もう俺の出る幕はないと思って。本当にごめん。俺のことなんか忘れて幸せになってください。結婚おめでとう」

 スルーされても仕方のないところを、以外にも直ぐに真からの返信がきた。

 しかし、実桜は真から返信が来た安堵よりも、その内容に再び腹が立った。

 俺の出る幕はないって、なに、勝手に決めつけてるのよ。それに、結婚おめでとうって、これも勝手に決めつけて。

どこまで、お人好しなんだ。

「だれが結婚するなんて言ったのよ

 ひとりよがりもいい加減にして

 わたしがキャバ嬢だから傷つかないと思ってる むちゃくちゃ傷つきました」

 直ぐに返信した実桜の感情は、さっきよりも高ぶっていた。

 送信ボタンを押しながら、こんな形で終わるなんていやだ、それよりなにより、真と別れたくなんかないという思いが切実に込み上げてきた。

 その気持ちが、実桜に止めの一撃を送らせた。

「一生引きずるからね」

 まぎれもない、実桜の気持ちだった。

 面と向かってお別れを言われるならまだしも、メールだけでさよならなんて、あまりにも酷すぎる。

 このまま真と会えなくなったら、一生引き摺るどころか、自分は立ち直れないかもしれない。

 実桜の心が、恐怖で満ち溢れた。

 真が本当に自分との縁を切ろうと思っているなら、自分のメールをとことん無視するだろう。

 事実、これまでそういった客はいくらでもいた。

 店に通っているときはしつこいくらいメールや電話をしてくるくせに、飽きたら、こちらがいくら連絡をしてもとことん無視する。

 そんな態度を取られると、こちらとしても諦めざるを得ない。

 真のように、たとえメールでも、お別れを言う客の方が稀だった。そんな客は、ほぼ転勤者に限られていた。

 そういった意味でも、真は律儀な男だ。

 女心がわからないなりに、筋が一本通っている。

 まあ、実桜に言わせれば、そんな筋の通り方はいらないのだが、いきなり音信不通になるよりはましかと思った。

 しかし、ここまでのメールを送ってしまったら、いかな人のよい真でも、恐怖を感じて完全に縁を切ろうとするのではないか?

 そう思ったが、後悔するほどの余裕は、今の実桜にはない。

 実桜は祈るような気持ちで、真からの返信を待った。

 実桜の祈りは通じた。

「本当にごめん

 一度きちんと会って話をします」

 そのメールからは、真の真心が伝わってきた。

 実桜は嬉しさのあまり、嗚咽をもらしてしまった。外に漏れないよう、慌てて手で口を塞ぐ。

 あれだけ感情的なメールを矢継ぎ早に送ったというのに、真は逃げるどころか、素直に謝って、会ってきちんと話をすると言ってきている。

 やはり、真は律儀だ。実桜の思っていた通り、信頼できる男だった。

 八ヶ月も店に通っているのに、同伴と店での付き合いだけなのに、自分にここまで言われて会ってくれるとは。こんな男は滅多にいないだろう。

 実桜は穏やかな気持ちになり、真に返信した。

「そうしてください

 待ってます」

 もう一度、真と会える。

 そう思うと、さっきまでの感情はどこかへ飛んでしまい、実桜の心は弾んだ。

 今の実桜は、プロのキャバ嬢ではなく、完全にひとりの女性になっている。

 もし自分が、策略的にとことん真を絞ろうとすれば、真は破産しかねないのではないか。

 そんなことを考える余裕も出て来た。そして、そんな真を思いやり、実桜は、最初真を都合の良い客にしようとしたことを恥じた。

 しかし、もし自分がそういった女なら、真もここまで真剣に応えてくれないだろうと思い直し、真のような男に紳士的に扱われる自分を誇りに思った。

 ともあれ、短時間で怒り、悲しみ、恐怖、安堵、喜びを味わい、実桜は疲れ切っていた。今日は、会う日取りまで約束はしなかったが、真のことだ。近日中にも、日程を窺うメールが来るに違いない。

 実桜は、そう信じて疑わない。

 実桜は疲れた心に、今日もあとひと踏ん張りだと言い聞かせて、客の相手をするべく個室を出た。

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