VOL.4 出会い(実桜)
「いらっしゃいませ」
実桜は、愛想よく挨拶してから、男の隣に座った。新規の客なので、男に笑顔を向けながら、さりげなく観察した。男は笑顔を浮かべて挨拶を返してはいるが、目は笑っていない。
接待かしら?
男の連れを見て、実桜はそう推察した。
「実桜といいます。よろしくお願いします」
笑顔で、名刺を差し出す。
男は素直に名刺を受け取ったが、自分から名乗ることはしない。
無粋な男。
そう思いながら、実桜が男の名前を尋ねる。男は、訊かれるまま素直に答てくれた。
「じゃあ、まこちゃんって呼んでいい?」
これは、実桜が良く使う手だ。親しみを込めてやると、大抵の男は、自分に好感を抱いてくれたものと思い、やに下がる。
だが、真は違った。
「いいよ」と笑顔で返事をしたものの、本当には喜んでいない様子が、実桜には見て取れた。
年齢と職業を訊いても、素直に答えてくれた。うっとうしい客は、年齢や職業を尋ねると、何歳だと思うとか、当ててみなとか嬉しそうに言ってくるが、この男みたいに素直に答えてくれる方が、客として好ましいのだ。
「この店は?」
始めてだろうとは思っているが、一応尋ねてみた。もしかしたら自分の知らないところで、一度や二度は来ているかもしれないからだ。
「初めてだよ」
真は笑顔で答えたが、その笑顔が無理に造ったものだと、実桜にはわかった。
「キャバクラへは、よく行くの?」
初めての客には、大抵この質問をする。男の答え方で、ある程度場馴れしているかどうか測るのだ。実桜は一目見て、真がこういった場所に慣れていないのはわかったが、とりあえず訊いてみた。
「いや、滅多に行かない。今日は、接待でね」
真が、隣の男を目で指さした。
やっぱり接待なんだ。それにしても、変わった男。
あまり場馴れしていないくせに、物怖じしている様子もないし、自分たちキャストを見下しているようでもない。
落としやすいのか、落としにくいのか?
ベテランの実桜でも、判断が付きかねた。
真が連れてきた客は、隣に座った女性の膝を、さも嬉しそうに触っている。その光景をちらと見た真の目に、蔑みの色が一瞬浮かんだのを、実桜は見逃さなかった。
「こんな店は嫌い?」
真の本音を引き出そうと、実桜が尋ねる。
「別に、嫌いなわけじゃないがね、俺の性に合わないだけさ」
あくまで笑顔を造ったままで、真が答える。
「どうして?」
嫌味を抱かせぬよう、実桜が可愛らしい笑顔を造った。
「俺はね、連れと居酒屋でわいわい騒いでいる方が好きなんだ」
「ふーん、そうなんだ」
真の言い方は、気負いも衒いもなく、実に淡々としていた。
「キャー やだー」
どこからか、嬌声が聞こえた。
「君らの仕事も大変だな」
真が、苦笑いを浮かべながら言う。
「どうして?」
「酔っ払いの相手って大変だろ。普通だったら、完全にセクハラのところを、本気で怒ることもできないし、それどころか、そんな奴らをいい気持ちにさせて、次に繋げないといけないんだものな。俺には無理だね。いくら仕事といっても、絶対無理」
語尾に力を入れて、真が顔をしかめる。
「優しいのね、そんなことを言ってくれるお客さんは滅多にいないわよ」
どこまで本気で行っているのか、実桜には測りかねたが、それでも、そんなことを言ってくれる客は滅多にいないので、実桜は心から嬉しくなった。
「そうか?」
真が、真面目な顔を向けてくる。
「そうよ。ここに来るお客さんってね、大抵、私たちのことを見下している人が多いのよ。中には、顔を見るなり、なんでこんな店で働いているんだとか、親が知ったら泣くぞなんて説教する人もいるのよ。そうじゃなければ、いきなりホテルに誘ったりとかね」
実桜は、つい、接客のことを忘れて、本気で答えてしまっていた。自分の顔に怒りが浮かんでいるのに気付き、直ぐにそれを引っ込めた。
今日のわたしは、どうしたんだろう?
真の反応がこれまでの客とは違うので、実桜は少し戸惑っている。
「こんな店って? じゃあ、なんで、そいつらは店に来てるんだろうな。それに、ホテルに誘うくらいなら、風俗に行けばいいのに」
真が、怒りと、情けなさの同居したような顔で言う。
「本当に、君らの仕事って大変だな」
言った真の声には、実桜に対する労りがあった。
この男は、本気で言っている。
実桜には驚きだった。
普通、こんな店へ遊びにくるような客は、下心があるか、日頃のうっぷんを晴らすために女の子に威張りたいか、どちらかが多い。なのに、性に合わないと言い切った真が、本気で自分たちのことを認め、同情してくれている。
「仕事だからね」
我知らず、ため息をついてしまった。
なんで、この男と話していると、自分は素直になれるのだろう?
客を男として見てこなかった実桜は、自分の感情に戸惑っていた。
きっと、この男の正直さのせいだ。
これまで、男のくだらなさ、情けなさ、下劣さといった部分を嫌というほど見てきた実桜には、男が新鮮に見えた。と同時に、この男を客に出来たら安心できる。そういう打算も働いた。そのとき、ボーイがチェンジを告げにきた。
「ねえ、ここにいてもいい?」
離さない。
すかさずそう決心して、甘えてみせた。
これまで、何千人の男をあしらってきた実桜には、今では、真の性格をある程度見抜いていた。別にやに下がりはしないが、断りはしないだろうと思っていた。
案の定、真は「いいよ」と、快く受け入れてくれた。
「嬉しい、ありがと」
喜ぶ振りをしながら、実桜は、男の膝に手を置いてみた。
真が、照れることも、触り返すこともなく「どういたしまして」と、淡々と答える。
ますます安心できる。
実桜は、内心でほくそ笑んだ。
それから真の趣味嗜好を探るべく、色々な話を振った。その中で、自分が飼っている犬の話に食いついてきた。真が犬好きなのは以外だったものの、実桜は内心しめたと思った。
黒服が時間前の延長の確認にきた時、実桜は延長してくれるよう願った。もう少し話をして、真の心を掴みたかった。しかし、連れの男がしぶしぶではあるが、「もう、帰らないと」と言った。
実桜は、心で舌打ちをした。
あれほどキャストを触りまくっていたのに、どうやら奥さんが怖いらしい。
真があからさまにほっとした顔をして、財布を取り出す。
領収書を貰おうと、真が名刺を黒服に渡した。それを見て、実桜も名刺をねだった。以外にすんなりと名刺を渡してくれた。
「また来てね」
笑顔で送り出した自分に、真は軽く手を振って去っていった。
去り際に、「ありがとう」と言った真の声が、心に沁み込んた。
帰り際に礼を言う客など、滅多にいない。
ここへ来るような男共は、自分が客だと痛いほど思っている。店からすればそれほど高くないのだが、安月給のサラリーマンからすれば、高額の金を払って来てやってるのだから、店がもてなして当たり前、女が媚びて自分をいい気にさせてくれて当たり前だと思っている。
そんな客が礼などいうはずもなく、不平や不満をぶちまけて帰る客も多い。
実桜は、安心できる固定客がほしかった。
真を、なんとか自分の許に通わせよう。
実桜は、闘志を燃やした。その一方で、心からもう一度会いたいという気持ちにも気付いていた。こんな感情は初めてのことだ。
実桜は、戸惑いを押し隠しながら、店の中へと戻っていった。