VOL.39 恐怖(真)
「お別れです
今まで楽しかった
ありがとう」
一気に打ち終えて、一息ついた。
一瞬、実桜の顔が脳裏をよぎったが、真は未練を断ち切るように、送信ボタンを押す指に力を込めた。
結局、デートのことは言い出せずに終わったな。
それだけが心残りだった。
もし、デートに誘っていたら、実桜は受けていただろうか?
実桜がどういうつもりでプロポーズされたことを自分に話したのかはわからないが、そんな話を聞いてしまったら、おめでとうとしか言いようがないではないか。
真は打ちひしがれた気分で、駅へと歩いていった。
駅へと向かう途中、あんなメールを送ったことへの後悔が、ひしひしと湧いてきた。
その気持ちは、駅に近づくにつれ強くなっていった。
お別れするのだったら、直接実桜に言うのだった。
メールでさよならするなんて、なんて俺は卑怯なんだ。
真は激しく自己嫌悪に陥り、自分が取った行動を許せないと思った。
引き返そうか?
そう思ったが、なんとか思い止まった。
もう、送ってしまったのだ。今更引き返して実桜に会ったところで、なんと言えばいいのだ。
結果は聞かなかったが、実桜は結婚するに違いない。そうでなければ、自分にあんな話をしたりはしないだろう。
あれは、自分にもう来るなと言っているのだろう。
「おめでとうって、わたしが結婚すればいいと思ってるの?」
おめでとうと言ったときの、実桜の口調に少し引っ掛かるものがあったが、真は勝手に結論を出していた。
真が電車に乗って直ぐに、携帯が震えた。
実桜からのメールだった。
メールを開いて、真はびっくりした。
その文面は、これまで真が見たこともないような怒りで埋め尽くされていた。
「お別れって、なに勝手に決めてるのよ
わたしの気持ちは無視
ありえない」
まさか、実桜がこんなに感情的になるとは、真は思ってもいなかった。
実桜が可愛がっていたわんこが死んだことを知ったときに送ったメールの返信のように、「そんな悲しいことを言わないで」とか「どうして?」とかいうようなメールだったら、真は無視していたかもしれない。
そんなメールは、営業としか思えないからだ。
だが、激情に駆られた実桜のメールは、真を戸惑わせた。
そんな真に追い打ちを掛けるように、また実桜からメールが来た。
「悲しくて泣いてます」
真が読み終わらないうちに、矢継ぎ早にメールが来る。
「わたしをすてるの」
「まこちゃんだけは信じてたのに」
「もうお店やめちゃうから」
これまで、あまり怒哀の感情を見せなかった実桜が、ここまで感情的になるのを、真は新鮮に思うと同時に、恐怖にも駆られた。
真は、こんな修羅場には慣れていない。
これまで付き合ってきたどの女性も、ここまで感情的になることはなかった。
「ごめん。実桜ちゃんを傷付けるつもりじゃなかったんだ。もう俺の出る幕はないと思って。本当にごめん。俺のことなんか忘れて、幸せになってください。結婚おめでとう」
なんと返してよいかわからなかった真は焦ってしまい、火に油を注ぐような返信をしてしまった。
「だれが結婚するなんて言ったのよ
ひとりよがりもいい加減にして
わたしがキャバ嬢だから傷つかないと思ってる むちゃくちゃ傷つきました」
実桜から直ぐに返信がきた。
ここまで言うかと思って、びっくりしながらメールを読む真に、止めのメールが入った。
「一生引きずるからね」
真は恐怖を通り越して、戦慄を覚えた。
実桜の想いを断ち切ろうと思って打ったメールがここまでになろうとは、思いもよらなかった。本当に断ち切ろうと思っているのなら、とことん無視すればいいのに、真にはそれができない。
付き合ってもいないのに、なんで、ここまで責められなければならないんだ?
都合の良い客を逃したくないからか?
だったら、あんなメールは逆効果のはずだ。
まさか、実桜も俺のことが好きなんじゃ?
取り乱した真の心は、千々に乱れた。
この実桜の反応は、どう見ても営業とは思えない。
真の性格を読み切って、こんなに感情を剥き出しにしたメールを営業でやっているとすれば、実桜はとんでもないタマだということになる。
しかしあの間隔は、考えて打ったものではない。いくら慣れているとはいえ、考えて打っているのなら、もう少し間隔が空くはずだ。
あれだけの短期間で、あれだけ次から次へと送ってくるということは、実桜は感情に任せてメールを打っているに違いない。
その証拠に、句読点もなければ、疑問符を打つべきところに打っていなかったりして、これまでのメールとはまったく違っているではいか。
真は務めて冷静に、これまでの実桜のメールを思い出そうとした。
確かに、実桜はベテランだ。しかし、男を手玉に取るタイプのようには思えない。
実桜がそんなタイプだったら、とっくに自分は縁を切っているか、あるいは借金地獄に陥っているかだろう。
実桜は、自分が心の縒り居所だったんだ。
そこに恋愛感情があるかどうかはわからないが、毎日嫌な客を相手にして、心の安らぐ暇のなかった実桜は、自分にだけは気を許してくれていた。だから、プロポーズの話なんかも気軽にしてきたのだ。
そう考えたとき、真の心が疼いた。
俺は、なんて馬鹿なことをしてしまったんだ。
実桜を傷付けてしまった。
実桜の心情を思いやると、真は居たたまれない気持ちになった。
今更後悔しても遅いが、真は直接実桜に会って謝ろうと思った。
「本当にごめん
一度きちんと会って話をします」
メールでは気持ちが伝わらないだろうと思ったが、それでも、真は心を込めて打った。
送信ボタンを押してから、ふと我に返った真は、俺は一体なにをやっているのだろうと、虚しい気持ちに捉われた。最初に実桜と会ったときには、こんなことになろうとは、夢にも思っていなかった。
社会勉強のために通い始めたはずなのに、いつの間にか深みに嵌まってしまっている。いや、最初に実桜を見たときから、嵌まっていたのかもしれない。
この八ヶ月の間に実桜と会ったのは、一体何度くらいだろう。
同伴と店だけの付き合いで、どれだけ実桜の性格を掴んでいるのか?
真には、自信がなかった。
それなのに、実桜のことが好きでたまらないのだ。
俺は、キャバ嬢に溺れて堕ちてゆく男の典型なのか?
実桜は、かなり的確に自分の性格を掴んでいるに違いない。
そう思うと、さきほどの実桜のメールすら営業に思えてくる。
そんなことを考えているとき、実桜からの返信がきた。
「そうしてください
待ってます」
どうやら、会って話をするということが効いたようだ。
もう、感情的な文章ではなかった。
それにしても、実桜は今仕事中のはずだが、客はいないのだろうか?
ひとまずピンチを切り抜けて安堵した真の胸に、ふとした疑問が湧いた。
なんにせよ、もう一度実桜と会える。
気が重いながら、どこか嬉しい気もしていた。
戦慄を覚えたとはいえ、実桜の感情的なメールは嬉しくもあった。
今度会ったら、自分の気持ちを正直に伝えよう。
ホームに降り立った真は、そう決意していた。




