表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真実の恋  作者: 冬月やまと
34/41

VOL.34 真の心実桜知らず

「今日は、帰るわ。これを渡しに来ただけだから」

 真がそう言うと、実桜を追いかけるようにして自分も席を立とうとした。

 実桜は振り返り、呆れた目で真を見た。

 我知らず、立ち上がりかける真の両肩を、力任せに押さえつけてしまった。

 自分のどこにこんな力があるのかと思ったほど両腕に力が加わり、立ち上がりかけていた真の膝が崩れた。

「帰っちゃ駄目。直ぐに戻ってくるから、ここに居て。いいわね」

 顔をくっつけるようにして、思わず命令口調で言ってしまった。

 真は呆気に取られた顔で、自分を見つめている。

 そんな真に背を向けて、実桜は一刻も早く真の許へと戻るべく、足早に歩いていった。

 なんで、あの人は、ああなんだろう?

 実桜は少し腹を立てたまま、先客のところへ戻ってきた。

「遅かったじゃないか」

 男は、少しむくれていた。

 隣に座っていたヘルプ嬢が、二人に軽く会釈をしてそそくさと席を立った。

 その顔に安堵の表情が浮かんでいるのを見て、実桜は自分がいない間の、ヘルプ嬢に対する男の態度が推察できた。

 きっと、ヘルプ嬢に嫌味や文句を言い倒していたに違いない。

 小さい男。

 実桜が蔑みの心を押し隠して、「ごめんね」と形だけの笑顔を作りながら、男の隣に座る。

 すかざす、男が膝を寄せてきた。

「なあ、実桜。俺の気持ちをわかってるんだろう。なんで、他の男なんかのところへ行くんだよ」

 ますます膝をくっつけながら、男は実桜を詰った。

 呼び捨てかよ。

 実桜の胸に、激しい怒りと嫌悪が湧き上がった。

「そんなこと言わないで。指名がかぶっちゃったんだもの。仕方がないでしょ」

 実桜は爆発しそうになる心を抑えながら、無理に造った笑顔を崩さぬよう、務めて甘えた口調で言った。

「同伴もして、延長までしてやったんだぞ。もう少し、俺を大切にしろよ。後から来た男なんて、うっちゃっとけばいいんだよ」

 単純な男は、実桜の甘えた態度に少し気をよくしたようだ。ますます図に乗った様子で、実桜を責めたててくる。

 知らないわよ、そんなこと。あんたが、勝手に延長したんでしょ。おかげで、こっちはいい迷惑なのよ。

 そう怒鳴りたいのを抑えつけながらも、せめて真に、この男の十分の一の強引さでもあればいいのにと思った。

 実桜も女である。自分が気がある男には、はっきり好きだと言ってもらいたい。

 自分を気遣ってくれているのだろうが、わたしのことを好きと聞いたのに、黒服が呼びにくると返事もせずに、笑顔で行ってらっしゃいと言い、あまつさえ帰ろうとした。

 本当に、女心というものをわかっていない。

 考えれば考えるほど、実桜はむかっ腹が立ってきた。

 男が、尚もだらだらと文句を言うのも耳に入らぬくらい、実桜は真の顔を思い浮かべて腹を立てていた。

「聞いてるのか、おい」

 声を荒げた男に、実桜は厳しい目を向けた。

 その目は、男に向けたものではなく真に向けられたものだったが、男にそんなことがわかるわけもない。

「なんだ、その目は。それが、客に対する態度か」

 男の怒りが頂点に達した。

「なんだじゃないでしょ。あなたって、本っ当に、女心というものがわかってないんだから」

 この言葉も、真に向けられたものだった。

 今の実桜には、目の前の男など眼中になく、頭の中は真のことで埋め尽くされていた。

「いや、そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

 男は、実桜の剣幕に圧されたのと、実桜の言葉で自分のことが好きだと勘違いしてしまったらしい。

 これまでの態度を一変させ、実桜を宥めにかかった。

 実桜は、ふと我に返った。

 なぜだか知らないが、男は勝手になにか勘違いして、下手に出ている。

 これを利用しない手はない。

 実桜の百戦錬磨の経験が、如何なく発揮された。

「あなたって、本当に、女心がわかってない」

 少し拗ねた口調で言った今度の言葉は、真ではなく、男に向けられたものだった。

 さすが、経験豊富な実桜であった。いざとなれば、どうでもいい男には、とことん演技ができるのだ。

 男は実桜の言葉にか、それとも拗ねた口調にかはわからないが、ますます勘違いして、やに下がってしまった。

 その隙を見逃さず、実桜は、ここぞとばかり男を責めたてた。

「あなたを信頼してるから、他のお客さんのところへ行けるのよ」

「あなたは、わたしのこと信用してないの」

「わたしを笑顔で応援してくれたら、もっと好きになるかも」

 実桜の緩急織り交ぜた言葉に、男はますます勘違いの度合いを深めた。怒るどころか、目尻が垂れてゆく。

「離れていても、いつもあなたのことを思っているわ」

 止めを刺されて、男は優越感に浸ったようだ。

「今日だけは、おまえの好きにすればいいさ。客を失くしても困るだろうからな」と、恰好をつけた言葉を吐いた。

 本当に自分のことを好きなのだったら、「客を失くしたら、俺が面倒を見るから」くらい言えばいいのにと思ったが、そんなことはおくびにも出さなかった。

 本当に好きだったら、少しでも長い時間一緒に居るようにするわよ。

 実桜は心の中で舌を出して、黒服が呼びにくるのも待たずに席を立った。席を立った瞬間、実桜は男のことなど忘れてしまっていた。

 実桜は、いそいそと真の許へ戻っていった。

 席へ戻ると、真が浮かない顔をして、ヘルプ嬢を相手にしていた。真にしては珍しいことだ。よほど先ほどの自分の態度が解せないのだろうと、実桜は思った。

 同時に、ここまで女心のわからない男に、なんで自分は惹かれているのか、自分でも不思議に思った。

「なにを考えていたのかしらないけど、後は実桜ちゃんに聞いてもらってね」

 親友のヘルプ嬢がそう言うと、チラと実桜の顔を見て頷いてから席を立った。

 すぐさま、実桜が真の隣に座る。

「で、さっきの答えは」

 席に座るなり、実桜が切り出した。

「さっきの答えって?」

 真がとぼけているのが、実桜はにはよくわかった。

 嘘の付けない男だ。

 こういったところが、自分が惹かれる要因だろうと思ったが、同時に腹立たしくもあった。 

「わたしのこと好き?」

 挑戦的な眼差しで真を見据えながら、もう一度訊いた。

「もちろん」

 頷いた真の笑顔はぎこちなかった。

「ふ~ん」

 実桜が、しげしげと真の顔を見る。

 真も実桜を見返しているが、内心びくついているのが、実桜には手に取るようにわかる。 

「じゃあ、好きって言って」

 男だったら、おまえが好きだくらい言いなさいよ。

 そう言いたいのを我慢して、実桜は務めて笑顔を装ったが、その笑顔が少し強張っているのが、自分でもわかった。

 実桜は、どうしても真の口から、好きだという言葉が聞きたかった。

 その思いは、とても切実なものだ。

「好きだよ」

 真は、とまどいながらも応えてくれた。

「まあ、いいか。それで、許してあげる」

 無理やり言わせたみたいで少し不満はあったものの、それでも、初めて真から好きという言葉を聞いて、実桜は満足することにした。

 これからも苦労しそうだ。

 やれやれと思いながらも、実桜の顔は少し綻んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ