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真実の恋  作者: 冬月やまと
33/41

VOL.33 実桜の心真知らず

「今日は、帰るわ。これを渡しに来ただけだから」

 真がそう言うと、実桜を追いかけるようにして自分も席を立とうとした。

 これ以上居ると、実桜の邪魔になると思ったのだ。

 実桜が振り返り、呆れた目で真を見る。

 突然、実桜の手が伸びてきて、真の両肩を押えつけた。その力は、女性にしては思いのほか強かった。

 立ち上がりかけていた真の膝が折れ、真は再び椅子に座わらされた。

「帰っちゃ駄目。直ぐに戻ってくるから、ここに居て。いいわね」

 実桜は、顔をくっつけるようにして命令口調でそう言うと、呆気に取られる真に背を向けて、足早に歩いていった。

 なぜ、怒っているんだろう?

 真は、少し肩を怒らせて歩く実桜の背中を、わけがわからないという顔をして、目で追った。

 そこまで激しい怒りを感じたわけではないが、真は、実桜が確実に怒っているような気がした。

 実桜にしては珍しいことだ。というより、これまで、実桜がそんな態度を取ることはなかった。

 気を利かしたつもりの真には、実桜の態度がまったく解せない。

 俺は、余計なことをしてしまったのかもしれないな。無理もないか。彼氏でもない俺が、昨日ストーカーの話しを聞いて、今日防犯グッズを持ってくるなんて、出過ぎた真似だったかな。

 真は、胸中で反省し、連絡もなしに突然店に来たのを後悔した。

 実桜には、既に客が付いていた。この時間だと、多分同伴したに違いない。

 キャバ嬢といえども、誰にでも同伴に応じるわけではない。

 中には、身の危険を感じる客もいる。

 喫茶店で待ち合わせをしておいて、来るなり腕を掴まれホテルへ行こうと言われたり、カラオケボックスでスカートの中に手を突っ込まれた娘もいる。

 同伴といえども危険なのだ。

 真が聞いた話だが、最初の二、三回は紳士的な態度で油断させておいて、それからは必ずホテルへ誘ったり、酷いのになると、食事だけして今日はお店には行かないという男も結構いるらしい。

だから、同伴する相手も選ぶのである。

 そういった意味で、今実桜が向かった先は、実桜にとって大切な客ということになる。

 客も、せっかく同伴しておきながら、途中で度々席を立たれては不快な気持ちになるだろう。

 自分のせいで、大切なお客が実桜から離れていくかもしれないし、そうでなくても、文句や嫌味のひとつくらい言われるかもしれない。

 真が防犯グッズを買ってきたのは、実桜を心配したからであって、親切の押し売りをするつもりは毛頭なかった。

 だから、実桜の仕事の邪魔をしては悪いという気持ちで帰ろうとしたのだ。

 なのに、なぜか、実桜の機嫌が悪くなった。

 もしかすると、実桜は、ここまでする自分を気持ち悪がっているんじゃないだろうか。そうでなくても、迷惑に思っているかもしれない。

 今日の自分は、完全に客という立場を逸脱してしまったかも?

 それを伝えるために、自分を残したのかもしれないと、真は勝手に結論づけた。

 ならば、実桜がわたしのことを好きなんてことを尋ねるはずはないのだが、それについても、真はただの社交辞令だと思っていた。

 一応、防犯グッズを持ってきてくれたお礼として尋ねたのだろうと。

 あのとき黒服が呼びに来なかったら、もちろんと、軽く笑顔で答えるつもりだった。

 本当は、真顔で大好きだと言いたかったが、そんなに真剣に答えて、実桜に引かれるのが怖かったのだ。

 ただ、うまくいく自信はなかった。

 それもあって、実桜が席を立ったとき帰ろうとしたのだ。

 日頃男らしい真でも、好きな女性の前ではこうも変わるものなのだ。

 そういった意味では、真もまだまだ成長が足りない。

 ともあれ、実桜の気持ちを忖度しかねている真は、実桜に嫌われたのではないかと思って、今日来たことを、激しく後悔した。

 せめて連絡くらいすればよかったと悔やんだが、もう遅い。

 このまま、実桜に黙って帰ろうか。

 そう考えたが、後でもっと怒られるだろうと思い、なんとか踏み止まった。

「お邪魔します」

 ふいに、真の横で声がした。

 真がびっくりして横を向く。

 隣には、何度かヘルプとして付いたことのある、見覚えのあるキャストが座っていた。

 実桜のことで思い悩んでいた真は、その娘が横に座ったことにも気づかなかったのだ。

「ねえ、大丈夫? なにか悩み事?」

 真の挨拶も待たず、ヘルプ嬢が心配そうな顔で尋ねてきた。

 たまに指名した嬢が席を離れると、むくれてヘルプ嬢に冷たく当たったり話をしない客がいるが、何度か真に付いたことのあるヘルプ嬢は、普段の真を知っている。

 真は、どんなヘルプ嬢が付いても、嫌な顔ひとつしないで笑顔で接していた。

 誰に対しても気を遣ってくれる男なんて、滅多にいない。ましてや、演技でもポーズでもなく、自然にそれが出来る男は稀有な存在だ。

 そんな真だから、店の女の子たちにも評判が良い。

 真は知らないが、実桜の親しい同僚は、みんな真のことを褒めてくれ、実桜が羨ましいと言ってくれている。

 このヘルプ嬢も、いつもと違う真の様子に、本気で心配してくれていた。

「あ、ああ、ごめん。ちょっと、考え事をしていてね」

 我に返った真が、笑顔で謝った。

「なら、いいんだけど。いつもの日向さんと違ってたから」

「名前、憶えてくれてたんだ」

 いつも、実桜からはまこちゃんと呼ばれているので、日向さんと呼ばれるのは新鮮な気持ちがした。

「だって、日向さんに付くの三回目よ。それに、実桜からよく話を聞かされてるし」

 そうだった、この娘は実桜の一番の友達だったんだ。

 今隣に座っている娘と一番仲が良いと実桜が言っていたのを、真は思い出した。

 それにしても、実桜が友達に自分のことをよく話しているということが、真には驚きだった。

 真は、実桜が自分のことをどういった風に話しているのか、聞きたい衝動に駆られた。

「なにを考えていたのかしらないけど、後は実桜ちゃんに聞いてもらってね」

 それを聞こうと、真が口を開きかけたとき、ヘルプ嬢が笑顔で席を立った。

 見ると、実桜が戻ってきていた。

 席を立って、ものの五分と経っていない。

 こんなに早く戻ってきて大丈夫なんだろうか?

 真は、またもや申し訳ないという気持ちに捉われた。

「で、さっきの答えは」

 真の心配など斟酌しない様子で、実桜は席に座るなり切り出してきた。

「さっきの答えって?」

 わかっていたが、真がわざとおうむ返しに訊く。

「わたしのこと好き?」

「もちろん」

 頷いた真の笑顔はぎこちなかった。

「ふ~ん」

 実桜が、しげしげと真の顔を見つめる。

 俺の答え方が気に食わなかったのだろうか? 

 真が少しびくついた目で、実桜を見返した。

「じゃあ、好きって言って」

 実桜が、挑戦的な眼差しを真に向けてきた。

 そんな実桜の迫力に圧されて、真は思わず「好きだよ」と言ってしまった。

 これも営業か? 

 さっきまで怒っていたように見えたのに、説教をするわけでもなく、無理やり好きと言わされてしまった。

 実桜の気持ちがどこにあるのかわからない真は、内心戸惑っていた。 

「まあ、いいか。それで、許してあげる」

 戸惑う真を尻目に、実桜は頷いた。

 その顔にはもう怒りはなく、少し憮然としていたものの、どこか綻んでいる。

 女心がわからない自覚がある真だが、今日ほど女心がわからないと思ったことはなかった。

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