VOL.32 ストーカー(実桜)
昨日来たばかりだというのに、真が店にやって来た。
同伴の客を相手にしている実桜の視界の隅に、真が入ってくるのが映った。
これまで、二日連続で店に来たことなんかない。
実桜は喜びより、なにがあったのだろうと訝しんだ。
もしかして、突然転勤が決まったとか、リストラに遭ったとかだろうか?
そんな悪い想像が、脳裏を駆け巡った。
なにがあったのか、早く確かめたい。
今接客している男は、あと十分ほどで時間になる。
そう思って、実桜がさりげなく腕時計を見たとき、黒服が延長確認に来た。
この客は、大抵は延長をせずに帰るが、たまに気が向けば延長することもある。
延長するな。
実桜は強く願った。
実桜の祈りも空しく、男がもう一時間延長するよと、大きな声で告げた。その後に、実桜ちゃんに貢献するよと余計なひと言を付け足し、実桜の肩を抱いた。
実桜がその手を振り払おうとしたとき、別の黒服がやってきて、実桜にサインを送った。
「ごめんね、呼ばれちゃった。ちょっと行ってくるね」
固い笑顔で告げるなり、実桜は席を立った。
「なんだよ。延長してやった途端、これかよ。客が来たのだったら、先に言えよ」
実桜の背中に、男が悪態をついた。
実桜は、男の悪態を意に介することもなく背中で受け流して、いそいそと真の待つ席へと向かった。
「今日は立て込んでいると言っておいて」
さきほどまで相手をしていた男にチラと目を走らせながら、途中、親しい黒服に頼んだ。
黒服が、心得たとばかりに頷く。
同じ職場の人間同士通じ合えるものがあるし、実桜はこんなときのために、黒服とは極力仲良くするようにしている。
真も、実桜の客の中ではスタッフに一番受けがよかったので、実桜に頼まれたスタッフも、快く引き受けてくれた。
キャストに嫌われるような客は、ほとんどが黒服にも嫌われている。
なぜか?
指名しているキャストに嫌われるような男は、人間としてのマナーができていない。そのため、指名嬢以外のキャストに辛く当たったり、偉そうにしたりする。ましてや、ボーイなんかは眼中にもないため、人間扱いしたりしないのだ。
ボーイだって人間だ。
真のように、誰に対しても礼儀正しくて気を遣う人間と、自分たちを人間扱いせずいばり散らすような人間とは、自ずと扱いに差が生じてくるのは当然のことだった。
ヘルプ嬢を相手にする真は、いつもより気がそぞろに見えた。
実桜の悪い予感が膨らむ。
実桜が隣に座ると、真がいつもの笑顔を向けてきた。
その笑顔で、自分の心配が杞憂だったことを、実桜は悟った。
安堵感が、実桜の胸を包み込んだ。
「今日はどうしたの? 昨日来たばかりなのに、なにかあった?」
また、仕事で嫌なことがあったのかもしれない。
そう思って、実桜は癒しの笑顔を真に向けた。
「いや、なにがあった訳でもないんだけどね」
照れくさそうに実桜に笑顔を返してから、真が後を続けた。
「ちょっと、渡したいものがあって」
「渡したいもの?」
今日はなにかの記念日だったかしらと考えながら、実桜が怪訝な顔をした。
「これなんだ」
そう言って、真が鞄から袋を取り出した。
「これは?」
「ほら、実桜ちゃん、ストーカー被害を受けているって言ってただろう。だから、これを買ってきたんだ」
真が袋からふたつの物を取り出した。
真が取り出した物のひとつは、催涙スプレーだということが、実桜にもわかった。
だが、もうひとつは棒状の物で、実桜は何に使うのか想像もつかなかった。
そんな実桜に、真が丁寧に使い方を説明する。
こんな物を貰っても、実際にストーカーに遭った身としては、いざというとき役に立たないことはわかっていたが、そんなことは言えなかった。
真は、自分のことを案じて買ってきてくれたのだ。それも、昨日の今日という早いレスポンスで。
真は、昨日まで自分のことを怒っていた。
仲直りしたとはいえ、どこまで自分を信じてくれているのかわからなかった。
なのに、こんなにも自分のことを心配してくれ、気遣ってくれている。
本当に好きなのだったら、付きまとうようなことはせず、真のような気遣いを見せてくれればいいのに。
実桜は、ストーカーという人種を理解できない。
好きな人の側に居たい。
好きな人の全てを知りたい。
その気持ちはよくわかる。
誰しも、異性を好きになってしまえば、それが自然な反応だ。しかし、そう出来るよう、努力をしなければならない。
自分が好きだからといって、相手も好きだとは限らない。
相手の気持ちを振り向かす努力もせず、一方的に相手に付き纏うのは、本当に好きとはいえない。
セックスでも、相手のことを思いやらず、自分だけ気持ちが良ければいいという男もいるが、そんなのはマスターベーションと同じだ。自分が可愛いだけで、本当には相手の気持ちを考えていないものだ。
そんな人間に、人を好きになる資格はない。
過激なようだが、実桜はそう思っている。
信じられないことに、妻子持ちでもストーカーになるのだ。
実桜はこの仕事をしていて、何人もの客にストーカーされた。身の危険を感じたこともしばしばある。
実桜だけではない。この仕事をしている女性の大半が、そういった被害に遭っている。それでノイローゼなったり、心を壊した娘もいる。
そんな話を客にしても、
「だったら、辞めればいいじゃん」
「勘違いさせるのがおまえらの商売だから、仕方ないだろ」
「俺の彼女になれよ。そうしたら、俺が守ってやるよ」
そんな軽い言葉が返ってくるばかりで、本気で心配してくれる男なんて、これまで一人もいなかった。
それが、真はどうだ。
昨日ストーカーの話をしたばかりなのに、今日、防犯グッズを買って持ってきてくれた。
真の話を聞いていると、真剣に選んでくれたのがわかる。
普通、そこまでしてくれる客はいない。仮に、防犯グッズを買ってくれたとしても、せいぜい次の来店のときに持ってきてくれるか、店以外で渡そうとするかだ。
実桜は、ストーカーに言いたかった。
本当に相手のことが好きなのだったら、これくらいしろと。
本当に惚れたのだったら、相手にも惚れてもらうよう努力すべきだ。そんな努力もしないで、ただ付け回したり、執拗にメールや電話をしてくるなんて、余計嫌われるだけなのが、なんでわからないのだろう。
「ねえ」
実桜は意を決して、真に問いかけた。
「まこちゃん。わたしのこと好き?」
これまで真の口から、好きだという言葉を聞いたことがない。
多分、自分に好意を寄せてくれているとは思っているが、確信を持てないでいた。
実桜は、真が自分に対してどこまで好意を持ってくれているのか、切実に知りたいと思った。
本当に自分のことを、ひとりの女性として好いてくれているのか、または、ただのキャバ嬢として好ましく思われているのか、なんとしてでも知りたくなった。
客でありながら、ここまで実桜を本気にさせた男は、真が初めてだ。
真が口を開きかけたとき、黒服が呼びに来た。
実桜の耳に口を寄せ、さっきの客が怒っていると囁いた。
「行っておいで」
真にも聞こえたのだろう。
真が笑顔で促した。
まったく、この男は。
実桜は、半ば腹立ちまぎれに席を立った。




