VOL.3 出会い(真)
「いらっしゃいませ」
店の中でも一番といってよいくらいの、派手な服装と化粧のキャストが、真の隣に座った。照明が暗めなのでよくはわからないが、それなりに年齢がいっているように見える。
まさに、夜の蝶といった雰囲気の女性だな。キャストを一瞥するなり、真はそう思った。
「実桜といいます。よろしくお願いします」
そう挨拶して、女が名刺を差し出した。
真が名刺を受け取ると、実桜が名前を尋ねてきたので、真は素直に名乗った。下の名も訊かれたので、それにも素直に答えた。
「じゃあ、まこちゃんって呼んでいい?」
実桜が、可愛らしい仕草で訊いてくる。
真はちょっと抵抗を感じたが、ここで反論しても馬鹿みたいに思えたので、内心ではやれやれと思いながら、「いいよ」と答えた。
その後、年齢と職業も訊かれたので、これも素直に答えた。これまで、初対面で年齢は訊かれたことはあっても、職業はあまり訊かれたことがない。
この女は、俺が今後の客になりうるか否か測っているのだろうか?
プロが見れば、真が接待で顧客を連れてきていることは、ひと目でわかる。実桜の出で立ちから、真は、実桜が長年夜の世界で生きてきたのではないかと思い、そんな考えが頭に浮かんだ。
「この店は?」
ぼんやりとそんなことを考えていた真の耳に、実桜の声が飛び込んできた。
「初めてだよ」
我に返った真が、無理に笑顔を造った。
「キャバクラへは、よく行くの?」
なぜか初めて席に着いた娘は、大抵この質問をする。
「いや、滅多に行かない。今日は接待でね」
真が、隣の男を目で指さした。
真が連れてきた得意先の客は、隣に座った女性の膝を、さも嬉しそうに触っている。
俺の横でこんなことを平気でするなんて、こいつには、恥も外聞もないのか。
真は胸糞が悪くなって、直ぐに男から目を離した。
「こんな店は嫌い?」
実桜が可愛らしい笑みを湛えて、少し小首を傾げてみせた。
こんな仕草に、男は騙されるんだろうか?
真は、何気ない風を装って、ぐるりと店内を見回した。
店内にいる客の数人が、キャストの肩を抱いたり、膝を触ったりしている。そうでない者も、身体を密着させるようにしておしゃべりしている者が大半だった。
「別に、嫌いなわけじゃないがね、俺の性に合わないだけさ」
あくまで笑顔を造ったままで、相手を傷付けないように注意を払いながら、真が答えた。
「どうして?」
実桜が、笑みを湛えたまま訊いてくる。
「俺はね、連れと居酒屋でわいわい騒いでいる方が好きなんだ」
真が正直に答える。
「ふーん、そうなんだ」
実桜がそう言ったとき、「キャー やだー」どこかから嬌声が聞こえた。見ると、客のひとりが、キャストに抱きついている。
「君らの仕事も、大変だな」
真が苦笑いを浮かべながら、実桜に言った。
「どうして?」
実桜が、また可愛い仕草で小首を傾げる。
これで、男心がくすぐられると思っているんだろうか? いや、実際にくすぐられる男が多いんだろうな。
真は、心の中でも苦笑した。
「酔っ払いの相手って大変だろ。普通だったら、完全にセクハラのところを、本気で怒ることもできないし、それどころか、そんな奴らをいい気持ちにさせて、次に繋げないといけないんだものな。俺には無理だね。いくら仕事といっても、絶対無理」
真が語尾に力を入れて、顔をしかめてみせる。
「優しいのね。そんなことを言ってくれるお客さんは、滅多にいないわよ」
実桜が、さきほどまでとは違う笑みを浮かべた。その笑みは、媚を売るのではなく、心からのように見えた。
こんな、いい笑顔もできるんだ。
真は少しどきりとしたが、それを押し隠して「そうか」と、平然とした顔をしてみせる。
「そうよ。ここに来るお客さんってね、大抵、私たちのことを見下している人が多いのよ。中には顔を見るなり、なんでこんな店で働いているんだとか、親が知ったら泣くぞなんて説教する人もいるのよ。そうじゃなければ、いきなりホテルに誘ったりとかね」
そう言った時だけ、実桜の顔がわずかに歪んだ。
長年この世界で働いている女性でも、そんな侮辱や嫌な思いには、やはり慣れないんだろうなと、真は思った。いや、長年働いているからこそ、不満や鬱屈が、どんどん体内に蓄積されていっているのだろう。そう思うと、真は店に来る男達に、むかっ腹が立った。
「こんな店って? じゃあ、なんで、そいつらは店に来てるんだろうな」
つい、強い口調になっていた。
真も初心ではないので、夜の世界に遊びに行く男の心境がわからないではない。
高級クラブではなく、キャバクラであれば、少々客層が悪いのも理解できる。しかし、ここまで酷いとは思っていなかった。
確かに、サラリーマンの給料では、キャバクラに行くのも大変かもしれないが、だかといって、なにをしてもいいわけでもないだろうに。
真は同じ男として、憤りを感じると同時に、情けない気持ちになった。
「本当に、君らの仕事って大変だな」
真は心から、実桜たちキャストに同情した。
「仕事だからね」
実桜がため息交じりにそう言ったとき、ボーイがチェンジを告げにきた。
キャバクラのシステムとして、指名しない限りは、十分から十五分間隔くらいでキャストが変わる。そのままずっと話をしていたければ指名をすれば良いが、指名料が発生する。通常は、二千円から三千円くらいだ。
「ねえ、このままいてもいい?」
実桜が、甘えるような目で真を見る。
真は、特別実桜のことが気にいったわけでもないが、不快でもなかったので、快く「いいよ」と返事した。真にとっては、誰が来ようがどうでもよかったのだ。別のキャストが来て、最初から同じような話をするのが、面倒くさくもあった。
「嬉しい、ありがと」
実桜が、真の膝に手を置く。
まんまと乗せられちまったかな。
そう思いはしたが、笑顔で「どういたしまして」と答えた。
それから、たまたま実桜が犬を飼っているという話になり、犬の話で盛り上がった。真の住まいはマンションで犬は飼えないが、真は大の犬好きであったのだ。
犬の好きな人間に悪い人間はいない。真は、そう信じている。
そうこうしているうちに、一時間が過ぎ去り、黒服が延長の確認に来た。
一般のキャバクラは、一時間いくらという設定になっている。時間切れの十分程前に、黒服が延長するか否かを尋ねに来る。そして、大抵の店は、現在の料金と、三十分延長したらいくら、一時間延長したらいくらと書いた紙を客に見せる。
どんなに具合が悪いと思っても大口の顧客なので、真は連れて来た男に、延長するかと尋ねた。
生憎、その顧客は恐妻家で、真に延長を尋ねられると、未練たらたらの表情で断った。
そして、時間が来た。精算は席に座ったまま、黒服に代金を支払う。
領収書を貰おうと、真が名刺を黒服に渡した。それを見て、実桜も真の名刺をほしがった。真は、また来るとは思っていなかったので、軽い気持ちで名刺を渡した。
「また来てね」
笑顔で見送る実桜に、多分、もう来ないだろうなと思いながら、真は軽く手を振って応えた。
やっぱり俺は、仲間と居酒屋で飲んでいる方が性に合っている。
そう思ったが、なぜか実桜のことが頭にこびり付いていた。
色恋とまではいかないが、最初は、男心を最大限にくすぐろうという魂胆が見え見えだったが、途中から、ふとした拍子に見える陰が、真は気になっていた。
夜の世界で働いている女性には、それなりに暗い過去や、重い現実を抱えている者が多いのだろうが、実桜もその類に入るのではなかろうかと、真は感じ取っていた。