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真実の恋  作者: 冬月やまと
29/41

VOL.29 氷解(真)

「お店のお客にストーカーされてます

 昨日も、帰りにお店の前で待ち伏せされてました

 毎日がとてもこわくて不安です」

 見るべきかどうか暫く躊躇したあと、意を決してメールを開いた瞬間、もう会うまいと思っていた真の決意は、脆くも崩れ去った。

 真の脳裏に、実桜の不安な顔が目に浮かんだ。

 もし、実桜になにかあったらどうしよう。

 そう思うと、真は矢も楯もたまらなくなり、嘘かどうかなんて考える余裕すらなかった。

「今日、予定ある?

 ないのだったら、店に行くよ」

 真はすぐさま、返事を返した。

「うれしい

 きょうは大丈夫です」

 間髪入れずに、実桜から返事が返ってきた。いつもなら、うれしいの後に入れているハートマークもない。

 よほど、慌てて返したのだろう。

 真はそう思うと、これまでの実桜のメールを無視してきた自分を後悔した。そして、実桜に申し訳ないと思った。

 それから、待ち合わせの場所と時間のやり取りをした。

 一段落付いたあと、気持ちが落ち着いてきた真は、これも実桜の策略ではないかと、ふと思った。

 タイミングが良すぎる。

 自分からの返事がないので、こういう手段に出たのかもしれない。そんな疑いを抱いたが、直ぐに打ち消した。

 嘘かどうかはどうあれ、事実、俺は実桜のことが心配なんだ。このまま放っておいて、もしも実桜になにかあったら、俺は一生寝覚めが悪い。いや、寝覚めが悪いどころではない。生きている限り後悔するだろう。

 真は、この数日の苦悩と虚しさを思い返した。

 実桜になにかあるくらいなら、俺が騙されている方が遥かにいい。

 もう、自分が馬鹿だとは思わなかった。

 真は実桜に会うため、昼休みも返上して仕事を進めた。この三日、あまりやる気が起きなかったのが嘘みたいに、仕事が捗る。

 待ち合わせ場所に着くと、実桜はすでに待っていた。

 真の姿を認めて手を振る。

 真の顔が思わず綻んだ。真も手を振り返して、実桜に近づいていった。

「久しぶり」

 笑顔で挨拶した実桜の唇の端は、少し硬かった。

 ストーカーのせいか自分のせいかはわからないが、真は実桜の苦しみを悟って、胸が痛んだ。

 食事中は周りの目もあり、お互いの近況を話し合って過ごした。

「すまなかった」

 店で、実桜が着替えて真の横に座るなり、真は頭を下げた。

「いいのよ。黙っていたわたしも悪かったんだから」

 実桜は責めることもなく、静かに言った。

「でも、よく、わたしのブログを見つけたわね」

「寺内がね、教えてくれたんだ。見ちゃいけないと悩んだんだけど、実桜ちゃんがどんなことを書いてるか知りたくって、つい見てしまったんだ」

「そうなの? でも、あれは商売用だから、本気にしないでね」

 わんちゃんが死んだのは本当なんだろという言葉が出掛かったが、かろうじて喉元で止めた。そんなことを言えば、また実桜を悲しませることになり、なんのために今日店に来たかわからなくなる。

「ところで、ストーカーに悩まされているって?」

 真は、話題を変えた。

「そうなの。二ヶ月ほど前から通ってきてくれるお客さんなんだけど、ここ最近執拗に迫るようになって。私が首を縦に振らないもんだから、お店の中で大声でわたしを罵ったの。それでね、出禁になったんだけど、今度はお店の前で待ち伏せしてたの。お店では、送りがあるので、わたし一人ではないから大丈夫なんだけど、それでも、なにがあるかわかんなくて、やっぱり怖いな」

 実桜の言い方は淡々としていて、真が心配していたほど怖がっているような感じではなかった。

 いつもそうだ。実桜は、嬉しい感情は表に出すものの、苦しいことや怒りなどはあまり表情に出さない。真に愚痴を言うこともあるが、不快感は感じ取れるものの、それ以上の感情はあまり読み取れなかった。だから、喜びの表現も、心からのものかどうかわからなくなってくるのだ。

 そのせいで、真はいつも悩むことになる。

 真のような単純な男にとって、喜怒哀楽を表に出さない人種は苦手だ。ましてや、それが好意を寄せている女性ならば、尚更だ。

 自分に自信がない分、深読みをしようとして、いらぬ鬱屈を抱えることになる。そのくせ、好きな女性に怒りや苦しみを素直に吐き出されると、どうしてよいかわからなくなる。真剣に受け止めすぎるからだ。

 ときによっては、それが女性の重荷になることもある。

 女性にとって、真ほど扱いにくい男はいないだろう。

「そんなに実桜ちゃんのことが好きなんだったら、付け狙わずに、もっと実桜ちゃんが喜ぶようなことをすればいいのに」

 真は、自分のことは棚上げにして、思わず言ってしまっていた。

 言ってからしまったと思ったが、実桜はなにも反論しなかった。

 静かに頷いてから、「そうね」と答えただけだ。

「でも、そんなひとはあまりいないわ。そんな、紳士的な男はね」

 実桜の口調は寂しげだ。

 真の胸が痛んだ。自分だって、ストーカーにはならなかったが、実桜を切ろうとした。紳士でないのは同じだ。

「で、今でも付け狙われての?」

 真は痛む胸を抑えつけて、実桜に尋ねた。

 ここで謝罪を繰り返したとて、どうなるものでもない。そんなことをすれば、今日、なにしに来たかわからなくなる。

「うん」

 実桜も、真のことにはなにも触れずに、素直に頷いた。

 実桜が言うには、帰りは送りが付いているので安心だとはいえ、出勤の時に待ち伏せされるかもしれない。同伴であれば、一緒の客に迷惑をかけることになるし、ひとりであれば尚更怖い。

 防衛策として、店での名前を変え、メールのアドレスも変えた。店に出勤確認の電話がかかってきても、実桜は止めたことになっていた。

 親しい客には、名前を変えたことを伝え、新しいアドレスも教えてあるので、なんら問題はない。はずだった。

 だが、そのストーカー男と何回か一緒に店へ来た友人が、本当に実桜が辞めたかどうか確かめにきたらしい。そして、実桜がいることがわかると、本人が店へ乗り込んで来て、警察沙汰になったらしい。

 それからというもの、一日百回くらいはメールと電話が掛かってきて、店にも出勤確認の電話が毎日のように掛かってくるそうだ。

「友達が…」

 真は呆れた。

 どんなことを言われたか知らないが、店を辞めたかどうか確かめててくれと頼まれた時点で止めるはずだ。本当の友達だったら、絶対にそうするはずだ。

 その友達とやらも、ストーカー男と同類で、キャバ嬢をただの性処理の道具としてしか見ていないのだろう。

「そうだったんだ。大変だったね。でも、アドレスを変えたというのに、俺の携帯には、実桜ちゃんの名前が表示されたよ」

「だって、まこちゃんに教えたアドレスは、プライベート用だもの」

 そういえば、店へ通い始めてから何度目かにアドレスを変えたから、登録し直してくれと言われたことがあった。あのとき、実桜はこんなこともあろうかと予測して、プライベート用のアドレスを教えてくれたのだ。

 真はそんな実桜の心情を知らず、つまらないことに腹を立て、あまつさえ切ろうとしていた自分を恥じ、また、実桜がこんな目に遭っているのに、助けるどころか、辛い目に遭わせていた自分を呪った。

「ごめん。そんなことも知らずに、実桜ちゃんに嫌な思いをさせてしまって」

 謝っても遅いが、真には謝ることしかできなかった。

「いいわよ、こうして仲直りできたんだもの。もう、忘れましょ」

 実桜に笑顔が戻った。

 真が見たいと思っていた笑顔だった。

 真は実桜の笑顔を見ながら、ストーカーの男と、それに手を貸した男に、激しい怒りを覚えていた。


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