VOL.26 ブログ(実桜)
真が誕生日を祝ってくれて、一週間が過ぎた。
実桜は、真のプレゼントを見たときの喜びを、今でも思い出す。
思い出す度に、幸せな気分になった。
これまで、こんなにも自分のことを考えてくれた客はいない。
今では実桜は、真を客として好きなのか、一人の男として好ましく思っているのか、よくわからないようになっていた。
こと真に関してだけは、プロとして失格だという思いも薄れていっている。
誕生日の翌日と翌々日にも、馴染の客が何人か来て祝ってくれ、それぞれプレゼントを持って来てくれた。
みんな、真のプレゼントより値の張る物ばかりだったが、ありふれたブランド物のバッグやアクセサリーばかりで、真のプレゼントほど心を動かされる物はなかった。
馴染の客には、大抵、自分が好きな物は話している。
みんな訊いてくるからだ。
なのに、誰も、自分の好きな物を持ってきてくれたことがない。
ならば、聞かなければいいのに。
実桜は、そんな男の心理が、不思議でしようがなかった。
俺は、こんなにも実桜ちゃんのことが好きなんだぜ。
ただ、ポーズを取りたいだけなのだろうか?
それで気に入られると思ったら、大間違いだ。
好きな物を訊くだけ訊いておいて、誕生日プレゼントとして選ばないなんて、反感を買うだけだとは思わないのだろうか?
真を知ってしまったら、大抵の馴染客は嫌になってくる。
現に、真に誕生日を祝ってもらってから一週間の間に、三人の馴染客を切っていた。
いくら仕事とはいえ、これ以上接するのが苦痛になったのだ。
一人は、週に二回は通ってくれる上客だったが、会うたびに結婚を迫ってきた。
その男は、店へ来てから三ヶ月になる。
最初から実桜を口説いてきたが、最近では店にいる間中、実桜を口説きっぱなしだった。酷い時は、二回も延長して、延々と口説きまくった。
まるで、しつこく迫れば、どんな女でも落ちると思い込んでいるみたいだ。
後の二人は、月に二三度だが、付き合いは長い。
二人とも、性格はそんなに悪くないのだが、酒癖があまりよくなかった。
酔うと、一人は自慢話、もう一人は愚痴。
来る度に、毎回同じ話を延々と聞かされる。
真と出会わなければ、我慢が出来た。それなりに、売上も確保できた。
馬鹿だな。
自分でも思う。
プロとして失格だ。
実桜は、自分に嫌気が差した。
なんで、恋人でもない男のことで、こんなにも苦しまなくてはいけないのか。
真とは、ただのキャバ嬢と客の関係ではないか。
同伴はするものの、基本的には、店で会って楽しめればそれでいいはずだ。
そもそも、真は、最初は楽な客だという思いから、自分に取り込もうと思っただけではないか。
そう思い込もうとした。しかし、駄目だった。
今や真の存在は、実桜にとって、たんなるお客のひとりといえないほど大きくなっている。
一週間も顔を会わさないと駄目なのだ。
本当は、毎日でも会いたいと思っている。
次は、いつ来てくれるのかな?
早く来てくれないかな。
そう思っていた矢先に、真からメールがきた。
ちょうど待機をしていたときなので、浮き浮きとした気分で、実桜はメールを開いた。
いつ来るのかな?
てっきり次の予定だと思い込んで、実桜は逸る気持ちを抑えて、メールを見た。
文面を見た瞬間、あまりの衝撃に、目の前が真っ暗になった。
「わんちゃん、かなり前に亡くなっていたんだね。ご冥福をお祈りします」
文面はそれだけだった。
黙っていたことに対する恨み言は、一言も書かれていない。
それだけに、真の怒りの大きさが想像できた。
真は、いつも来る度に、自分が飼っている犬のことを、まるで我が事のように心配してくれた。
まだ、大丈夫。
そう答える度に、心から安堵した顔になった。
そんな真に、死んだなんてことは言えなかった。
言えば、真は困っただろう。
真のことだ、下手な慰めの言葉は言えないだろうし、そうかで済ますこともできないだろう。
そんな真に配慮している部分もあったが、辛い気持ちの方が多かった。
真に話してしまうと、涙が出そうになるのを抑えきれないと思った。
店でそんな姿を、客に見せることはできない。
真が泣かしたと、店の者に勘違いされても困る。
幾度も話そうと思ったが、心の整理がつくまで、真には話さないでおこうと決心していた。
まさか、真が自分のブログを見るなんて、思いもよらなかった。
どうやって探し当てたのだろう?
真が、そんなストーカーまがいのことをするなんて、実桜には信じられなかった。
だが、現実には知られてしまったのだ。
あのブログを見ない限り、わんちゃんが死んだことなど、知りようがないはずだ。
ブログの件も、真には恥ずかしくて言えなかった。
実桜は、いつまでも夜の仕事を続ける気はない。
実桜には、夢があった。
今はその夢を実現するために、昼と夜の仕事を掛け持ちしているだけだ。
自分の夢は誰にも語っていないが、真にだけは語りたいと思っていた。
真ならわかってくれると思っていたし、応援し励ましてくれるとも思っていた。
だが、恥ずかしくて、まだ話していない。
時期が来たら話そうと思っていた。
それらの思いが、今、ことごとく裏目に出ている。
メールを見る前の期待感など、どこかへ消し飛んでしまっていた。
今の実桜の胸中は、衝撃と、後悔と、ブログを探し当てた真への、ちょっぴりとした恨みが渦を巻いていた。
実桜は、これまで歩んできた人生の中で、これほどやるせない気分に陥ったことはない。
離婚したときでも、お気に入りの客が離れていったときでも、太客に切られたときでも、こんな気持ちにはならなかった。
涙が出そうになった実桜は、慌ててトイレに駆け込んだ。
鏡を見ると、頬が濡れていた。
自分でも知らぬ間に、涙を流していたのだ。
これからどうしよう?
実桜は、途方に暮れた。
真がブログを探し出した腹立たしさよりも、真がもう来ないのではないかという恐怖の方が勝っていた。
「ブログ見たのね。
黙っていたのは悪かったです。いつか話そうと思っていたの。
信じて。まこちゃんの前では泣いてしまいそうで、話すのが辛かったんです。
だから、心の整理がつく までいえなかった。
ごめんなさい。
それとブログは、お仕事みたいなものだから信用しないで」
震える手で、そう打つのがやっとだった。
まこちゃんが、わかってくれますように。
祈るような気持ちで、実桜が送信ボタンを押す。
今の自分は、打ちひしがれた、ただの女性になっている。
こんな状態で、接客なんかできるわけがない。
しかし、ここで帰るわけにもいかない。
そんなことをすれば、暫く自分は立ち直れないだろう。
それがよくわかっている実桜は、閉店まではなんとか踏み止まろうと思った。
今日は、客がつかなければいい。
ヘルプにも回りたくない。
閉店まであと二時間。
その二時間が、無限のように長く感じられるだろうと、実桜は思った。




