VOL.22 アフターの誘惑(実桜)
真が店に来て、一時間があっという間に過ぎた。
真と話していると、流れるように時間が過ぎてゆく。
黒服が延長確認に来たとき、真は珍しく人差し指を一本立ててくれた。
それを見て、心が弾んだ。
真は、これまで一度しか延長したことがない。
せこいとかではなく、延長するよりも、一回でも多く同伴してくれようと思っているのが、実桜には痛いほどよくわかっていた。
本当にせこいのだったら、同伴などはしない。
食事代もかかるし、同半料も取られる。三回も同伴すれば、余分に一回は店へ来れるというものだ。
真とは毎日メールしているが、やはり二週間も顔を見ないと寂しい気持ちになる。
実桜は、複雑な思いを持っている。
同伴するより一回でも多く店へ来てもらい、真に会いたいという気持ち。反面、真の優しさを受け取る幸せと、真の真心を踏みにじっては悪いという気持ちと、同伴ノルマの負担が減るという有難さ。
なにより、店外で会えるというのが嬉しくて、同伴を断らないでいる。その代わり、延長を進めないようにしている。
真は、これまで何度か延長してくれようとしたことがあったが、その度に、実桜はもっと話していたい気もちを抑え込んだ。
「それだったら、また近いうちに遊びに来て」
明るく言って、真を帰した。
一度の延長は、クリスマスイブの時だった。あの時は、もっと恋人気分を味わいたくて、真の延長の申し出を断れなかった。
前回に続いての延長となるが、実桜は、少しでも一緒に居たいという思いを抑えきれなかった。
真には悪いと思いながら、今日だけは甘えようと思った。
今、実桜が、心から気を許して甘えられるのは真だけだ。
「いいの?」
黒服が去ったあと、実桜は半ば感謝の気持ちと、半ば申し訳ないという気持ちで尋ねた。
「新年だからね」
真は笑顔で応えてくれた。それが、一層、実桜の心を弾ませた。
実桜はいつになく饒舌になった。
クリスマスや年収め、それに、正月明けに来た客のことなどを、真に向かって一生懸命に喋った。
真に会えなかった間にあった嫌なことを、すべて吐きだした。
「まこちゃんと出会うまでは、毎日が辛かったけど、まこちゃんと出会ってからは、随分と楽になった」
さきほど真に言った言葉は嘘ではないが、真実でもなかった。
せめて店へ来る客の半分くらい、真のような男性だったらいいのに。
ここ最近、実桜はずっとそう思っている。
真と食事をしているときは、たまに同伴ということも忘れて、デートをしている気分になる。これまで、そんな気持ちにさせてくれた客はいない。
真が希少なお人好しだということは、実桜は重々承知している。それでも、他の男とは、あまりにも違い過ぎるのだ。それがため、新しい客を獲得し、馴染の客とも同伴するのが、今では苦痛になってきている。
そんなわけで、今の実桜は、真のお蔭で仕事を頑張れているのも確かだが、真のお蔭で、これまでまだまともだと思っていた客まで、相手をするのがしんどくなっているのも事実だった。
この世界では、パワハラ、セクハラ、モラハラ、どんなこともまかり通る。
実際にはまかり通るわけはないのだが、店としては売上さえ上がれば良いので、多少のことなら女の子に我慢をさせている。
そんな客をうまくあしらえないのはスキルが足りないからだといって、キャストを叱咤する。事実、それで何人もの娘が辞めていった。
本当に、過酷な世界だ。
さらに過酷なのは、犯罪すれすれの行為を行う客がいることだ。
おさわりは痴漢に等しいし、強引にホテルに誘うのも、痴漢とみなされても仕方のない行為だ。
「キャバ嬢のくせに」
「いくらだったら、ホテルに行くの」
「男に媚を売ってまで、金がほしいのか」
こんな言葉を浴びせられたら、いくらこの世界に慣れていたって傷つく。
もっとタチの悪いのは、ストーカーだ。これは、立派な犯罪行為だ。
色恋を仕掛けて勘違いされるならまだしも、少し優しく接しただけでストーカーになられては、たまったものではない。
男共は、なにを求めてキャバクラに来るのだろう。
自分の卑小さをさらけ出し、女の子に嫌な思いをさせるために大金をつぎ込む男の気が、実桜には知れなかった。
なにより、相手を不快な気持ちにさせておいて、自分だけが楽しめるという、その無神経さがまったく理解できない。
世の中には、くだらない男が多すぎる。いくら金を持っていようが、いくら大層な会社に勤めていようが、いくら権力を持っていようが、行いが下衆ならば、その人間はくだらないものだ。
実桜は、そんなくだらない男共を、これまで何千人と相手にしてきた。
前半は楽しくお喋りしていたが、延長してからというもの、真に会えなかった期間の鬱憤を、すべて真にぶつけてしまっていた。
これまではプロとして自分を律してきた実桜が、真の前では、ただの女性になってしまっている。
これではいけない。
心のどこかで警鐘を鳴らしてはいるのだが、真と話していると、つい安らぎを覚えてしまう。
真といる時間だけは、仕事とか、プロだとかは考えないようにしよう。
そんなことを思う自分を馬鹿だと思ったが、実桜は、それを頭の片隅に追いやった。
真は嫌な顔ひとつせず、ずっと真剣に聞いてくれた。
そうこうしているうちに、またたく間に時間は過ぎてゆき、再び黒服が延長確認にやってきた。
黒服に罪がないのはわかっているが、それでも、実桜は黒服を恨んだ。
既に、営業終了の時間が迫っている。
あと少し延長して、アフターに誘ってくれないだろうか。
そんな期待が、実桜の胸をよぎった。その期待は、実桜にとって魅力的だった。
これまで、アフターの誘いをことごとく断ってきた実桜だったが、真になら誘われてもいいと思った。
いくら同伴でデート気分を味わっても、本当のデートではない。
アフターならば、もっとデート気分を味わえるかも。
そうなったとき、真ならホテルになんて誘わないと思ったが、もし誘われたら、自分はどう思うだろう。
所詮、真もただの男と思うのか、それとも嬉しいのか。
多分、嬉しさの方が勝るだろう。
それほど今の実桜は、真の優しさに参っていた。
真は、ただ優しいだけではない。優しいだけだったら、これまでにもいくらでもいた。
真は、自分のことを理解しようとしてくれ、自分の立場になってものを考えてくれ、自分を労わってくれる。
少し前なら、真のような男は相手にしなかっただろう。しかし、これまで、さんざん男に辛い目に遭ってきた実桜は、男の価値というものを、若いときとは違う視点で捉えている。
実桜が今、男に求めるものは、誠実さと優しさだ。
客を彼氏にする気になれない実桜は、客以外の男と接する機会がないので、彼氏がほしいと思っても、できるわけがない。
これまで何人か、親しく付き合った客はいる。
お金を持っていたり、セックスが上手だったりと、付き合っているときは、それなりに実桜を満足させてくれた。だが、結婚を考えるまでにはいたらなかった。どこか、満足しきれていない自分がいたのだ。
真と出会って、それがなんなのかわかった。
自分が求めていたのは、お金でもセックスでもない。深い心の繋がり。安心して、甘えることのできる相手。
自分が求めていたのはそういう男だと、真と出会って気付かされた。
実桜の期待に反して、真はあっさりと料金を払い、席を立った。
「あと少し、頑張ってね」
そう声を掛けて、真は店を後にした。
実桜は残念な気持ちと、どこかほっとした気持ちで、真を送り出した。
実桜は真の背中を見送りながら、ますます真に引かれてゆく自分を自覚していた。




