VOL.20 ある夜の会話(実桜)
年が明けた、一月の初旬。店でもっとも暇な時期だ。
店内には、数人の客しか入っていない。
実桜も、入口付近のテーブルに座り、何人かの馴染客にメールを打っていた。
クリスマスや年の瀬と、年末のイベントに馴染み客には来てもらっているし、新年会などで忙しいのもあるので、新年早々から来る客はあまりいなかった。
真とは、クリスマスイブの日以来会っていない。
毎日メールはしているが、やはり顔を見たい。
メールと、会って話すのとは全然違うのだ。
まだ二週間も経っていないのだが、実桜は、無性に真に会いたいと思っていた。
実桜はメールを打ちながら、真の顔を思い浮かべていた。
だが、今真にメールを打つ気にはなれなかった。
他の客と一緒にするのが嫌なのだ。
真に打つメールは、後でゆっくりと考えよう。
そう思いながらふと顔を上げると、自分の前を真が通り過ぎようとしていた。
二人の目が合う。
瞬時に、自分の顔が綻ぶのがわかる。
黒服が呼びにくるのを待ちきれずに、実桜は直ぐに真の席へと向かった。
「悪いな、突然で」
口ではそう言いながら、どこか真の口調は嬉しそうだ。
そんな真の態度に、実桜の胸が躍る。
「ううん、嬉しい」
笑顔を、真に向ける。
「今日はどうしたの?」
「うん、同期と新年会で飲んでてね、早く終わったから、実桜ちゃんの顔を見に来たんだ」
真が、とびきりの笑顔を向けてくる。
「ありがとう。わたしも、まこちゃんと会いたかった」
実桜の胸が喜びで満たされ、素直な気持ちを口にした。
肩が触れ合いそうになるくらい真に身を寄せ、手を重ねた。本当は、真に抱きつきたかったが、かろうじて堪えた。
「今日は、お客さん付いてなかったね」と言う真に、「付いてなくて良かった。まこちゃんとゆっくり話できるから」と、これも素直に自分の思いを口に出す。
「ねえ、飲み物頼んでもいい?」
暫く他愛のないおしゃべりをしてから、ふいに尋ねた。
別に、喉が渇いているわけでもなかったし、真から売上をせしめようとも思っていないのだが、ふと真に甘えてみたくなったのだ。
「ごめん、つい、実桜ちゃんとの話に夢中で気が付かなかった」
恥じたような顔をして言った真の言葉が、実桜の胸を熱くする。
「いいのよ、わたしも、今まで忘れてたんだもの」
実桜は、この上もない幸せを感じながら、真に笑顔を向けた。
「でも、あんまりお話し過ぎて、喉が渇いちゃった」
精一杯の可愛さを装って付け足したて、実桜はペリエを頼んだ。
「そういえば、実桜ちゃん、よくそれを飲んでるね。食事のときはコーラだし。炭酸好きなの?」
真は、思ったことを素直に口に出したようだ。
嫌味さなど微塵も感じない。
「そうだね。ジュースも飲むけど、やっぱり炭酸系が一番かな」
「しかし、お酒が飲めないで、この仕事はきついな」
自分がお酒を飲めないことは、初めに伝えていた。だから、真から無理にお酒を勧められたことはない。
お酒も飲めないのにこんな仕事をしているなんて、どれだけ大変なんだろう。
真の顔に、そう書いてあった。
本当にこの人は純情だ。
真は、思ったことが素直に顔に出るタイプで、実桜にとっては非情にわかり易い。ただ一点、どうしてもわからないのは、自分のことをどう思っているかだ。
好意を持ってくれているのはわかる。しかし、ひとりの女性として好いてくれているかどうかが、どうにも判断がつかないのだ。
じれったい気持ちを抑えながら、「そうね。ときには、お腹がタポタポになることもあるわ」と答え、実桜がクスリと笑う。
それから真顔になり、真の目を真剣に見つめた。
「まこちゃんが、無理に勧める人でなくてよかった」
「だって、飲めないのに、無理に飲ませちゃ悪いだろ」
真も、実桜の目をしっかりと受け止めながら、真顔で答えてくれた。
「だから、まこちゃんが好きなんだ」
真の優しさに、自分でも思わぬ言葉を発していた。
「そんなことを気付かってくれる人は、少ないのよ」
実桜が、思わず発した言葉の照れ隠しに、取って付けたように言葉を続ける。
「そうなの?」
「そうよ。無理に飲まそうとするお客さんの方が多いのよ。酷い人になると、わたしが飲めないといったら無理やり飲まそうとしたり、酒も飲めないのに、なんでこんなとこに勤めてるんだとか、俺が嫌だから飲まないんじゃないかとか言ってくるの」
驚きとも、呆れともつかぬ真のリアクションを見て、実桜はつい強い口調で答えていた。
言っているうちに、これまであった数々の嫌なことが思い出され、我知らず、顔をしかめてしまった。
「本当に、大変だな」
真は笑顔を装っているが、心の中では怒っているのが、実桜にはわかった。
自分のために怒ってくれる真に、またもや、実桜の胸に熱いものが込み上げてきた。
「優しいのね」
実桜は、どうしようもなく真を愛おしく思い、真の手に、そうっと自分の手を重ねた。
「そんなことないよ。ところで、わんちゃんはどう?」
真が話題を変えてきた。多分、同じ男として、これ以上ここに来る男のくだらなさを聞きたくないのだろう。
「うん、弱っていっているけど、なんとか頑張ってる」
犬の話になると、実桜は自分の感情を完全にコントロールしきれない。
今も、自分が悲しそうな顔をしているのがわかった。
「そうか、一日でも長生きしてくれるといいね」
真の励ましを聞いて、実桜は、真と出会えたことを感謝し、それを素直に口にした。
「ありがと。まこちゃんって、本当に優しい。わたし、まこちゃんに出会えて良かった」
真はどう返してよいか、わからない様子だ。
これ以上真を困らせては悪いと思って、今度は実桜のほうから話題を変えた。
「この間ね、プロポーズされたの」
こんな話は、他の客には言えない。かといって、心に溜めておくものしんどい。
真には、こんな話でも素直に話せる。
「そうなんだ」と答えた真は、平然を装ってはいるが、内心ドキリとしたのが、実桜にはわかった。そんな真の態度が、実桜には嬉しかった。
やっぱり、まこちゃんは最高だ。
そう思いながら、実桜は、たまっていた鬱憤を解放した。
「で、聞いて。その男はね、公務員でいいお給料を貰っているみたいなこと言ってたけど、結婚したら、キャバクラは辞めてほしいけど、別なところで働けっていうの。自分だけが働くのは損なんだって」
実桜の話を聞くうちに、真の顔色が変わってきた。
真の怒りが、その客に向けられたものか、そんな話をする自分に向けられたものか、実桜は不安になり、「どうしたの?」と尋ねてみた。
「いや、なんでもない。実桜ちゃんの話を聞いていると、自分が同じ男として情けなくなってね」
真の怒りが、自分に向けられたものではないことを知って、実桜は安堵した。
「そんなこと言わないで。まこちゃんは、他のお客とは別格よ。わたしね、まこちゃんと出会うまでは毎日が辛かったけど、まこちゃんと出会ってからは、随分と楽になった。まこちゃんは、これまでのお客さんとは違う。だから、なにも、まこちゃんが落ち込むことはないのよ」
内心では嬉しさを押し隠しながら、実桜は優しく言った。
これまで、こんなにも自分に優しくしてくれ、こんなにも自分を気遣ってくれる男はいなかった。
真と話していると、まるで違う自分になれる。
客を売上の道具としてしかみていなかった実桜は、真に対してだけは、本当のお客さんと思っている。
いや、それ以上の存在になりつつあるのを、実桜は自覚していた。
「そう言ってもらえると助かるよ」
真の笑顔が、実桜の心に沁み込んだ。
今日、真が来てくれてよかった。
実桜は、心からそう思った。




