VOL.19 ある夜の会話(真)
年が明けた、一月の初旬。 真は、同期と新年会で飲んでいた。
夕方早くから飲んでいたので、解散したのは九時前だった。
イブ以来、実桜とは会っていない。
毎日メールはしているが、やはり顔を見たい。メールと、会って話すのとは全然違うのだ。
まだ二週間も経っていないのだが、真は、無性に実桜に会いたくなった。気が付くと、タクシーを飛ばして、実桜のいる店へと向かっていた。
店に近づくにつれ、真の鼓動は早鐘を打っていた。
店の入り口に立つと、真の鼓動は平常を取り戻し、なにやら落ち着いた気分になった。
そんなにしょっちゅう通っているわけでもないのに、不思議な気持ちだった。
店へ入ると、入口付近のテーブルに、客に付いていないキャストが座っていた。その中に、実桜の姿があった。
実桜は入ってきた真に気付かずに、懸命にメールを打っている。多分、営業メールを送っているのだろう。真は、直ぐに実桜と話せるという嬉しさよりも、そんな実桜の姿に心が痛んだ。
店に来た時は実桜を独占したい気持ちがある。だから、そんな感情は矛盾しているようだが、真は、実桜の寂しげな姿を見たくなかった。
実桜には、人気者でいてほしい。
人気者の実桜が好きなのではなく、今のような寂しげな姿を見たくないだけだ。
真が実桜の前を通り過ぎようとしたとき、実桜が顔を上げた。
二人の目が合った。
瞬時に、実桜の顔が輝いた。
真が席に座ると、直ぐに実桜がやってきた。
「悪いな、突然で」と言った真に、実桜は「ううん、嬉しい」と笑顔で首を振った。
「今日はどうしたの?」
「うん、同期と新年会で飲んでてね、早く終わったから、実桜ちゃんの顔を見に来たんだ」
「ありがとう。わたしも、まこちゃんと会いたかった」
実桜が、肩が触れ合いそうになるくらい真に身を寄せ、手を重ねてきた。
何度か実桜にそうされているのに、いつまで経っても慣れない真は、照れ隠しに「今日は、お客さん付いてなかったね」と言った。
言ってからしまったと思ったが、実桜はそんなことは言に介する様子もなく、笑顔を崩さない。
「付いてなくて良かった。まこちゃんとゆっくりお話できるから」
真の胸が、キュンとなった。
それから二人は暫く他愛ないおしゃべりしていたが、実桜が突然、「ねえ、飲み物頼んでもいい?」と甘えるようにおねだりしてきた。
「ごめん、つい、話に夢中で、気が付かなかった」
真は、実桜に気遣ってあげられなかった自分を恥じた。
「いいのよ。わたしも、今まで忘れてたんだもの」
真を気遣うようにいってから、「でも、あんまりお話し過ぎて、喉が渇いちゃった」と付け足した。
またもや、真の胸がキュンとした。
実桜は、ペリエを頼んだ。
「そういえば、実桜ちゃん、よくそれを飲んでるね。食事のときはコーラだし。炭酸好きなの?」
「そうだね。ジュースも飲むけど、やっぱり炭酸系が一番好きかな」
実桜がお酒を飲めないことは、初めに聞いていた。だから、無理に勧めたことはない。
お酒も飲めないのにこんな仕事をしているなんて、どれだけ大変なんだろう。それに、一日に何杯もジュースや炭酸を飲むほうが、きつい気がする。
「しかし、お酒が飲めないで、この仕事はきついな」
真は思ったことを、正直に口に出した。
「そうね。ときには、お腹がタポタポになることもあるわ」
実桜がクスリと笑う。
それから真顔になり、真の目を真剣に見つめながら、実桜が言った。
「まこちゃんが、無理に勧める人でなくてよかった」
真も、実桜の目をしっかりと受け止めながら、真顔で答えた。
「だって、飲めないのに、無理に飲ませちゃ悪いだろ」
「だから、まこちゃんが好きなんだ」
これまでは会いたいとか、楽しいとか言われたことはあっても、好きと言われたことはない。メールでも、そんな言葉はなかった。
初めて言われた言葉に、真は心底胸が高鳴った。
それを悟られないようにするのに、多大の努力を要した。
「そんなことを気付かってくれる人は少ないのよ」
実桜が、少し悲しい顔をする。
「そうなの?」
「そうよ。無理に飲まそうとするお客さんの方が多いのよ。酷い人になると、わたしが飲めないといったら無理やり飲まそうとしたり、酒も飲めないのに、なんでこんなところで働いてるんだとか、俺が嫌だから飲まないんじゃないかとか言ってくるの」
色々と思い出したのだろう。実桜が顔をしかめた。
真は、実桜の話を聞いているだけでむかっ腹が立った。
一体、ここへ来る連中はどんな奴らなんだ。
どこまで、実桜たちのような女性を軽く扱っているんだ。
男として、恥ずかしくないのか。
だが、それを実桜に言ったところで仕方がない。
「本当に、大変だな」
真が怒りを胸に沈めて、笑顔を造る。
「優しいのね」
実桜が、真に手を重ねてくる。
「そんなことないよ。ところで、わんちゃんはどう?」
真は話題を変えた。
これ以上、キャバクラに来る嫌な客の話を聞いていると、同じ男として、自分が恥ずかしくなるからだ。それ以上に、抑えきれないほど、腹が立つ。
「うん、弱っていっているけど、なんとか頑張ってる」
実桜の悲しそうな顔に、真は胸を痛めた。
「そうか、一日でも長生きしてくれるといいね」
「ありがと。まこちゃんって、本当に優しい。わたし、まこちゃんに出会えて良かった」
真は、返す言葉がなかった。
こういうとき、どんな言葉を返して良いのか、真にはわからなかったのだ。
「この間ね、プロポーズされたの」
真はドキリとしたが、平然を装って「そうなんだ」と答えた。
これにも、多大の努力を要した。
「で、聞いて。その男性はね、公務員で結構いいお給料貰っているみたいなこと言って
たけど、結婚したら、キャバクラは辞めてほしいけど、別なところで働けっていうの。自分だけが働くのは損なんだって」
真は、またもや胸に怒りが込み上げてきた。
自分を何様だと思っているのか知らないが、キャバクラに来る客は、どいつもこいつも自分勝手な奴らばかりで、卑小過ぎる。
一体、会社ではどういう顔をしているのだろう。
実桜たちのような女性がいるから、癒され、助かっているのではないのか?
そんな感謝の気持ちを忘れて、男の欲望を剥きだしにし、キャストを娼婦扱いしたり、貶めて喜んでいる。どんなにお金を持っていようが、どんな地位に就いていようが、そんな奴らは、人間として最低だ。
自分の怒りを敏感に感じ取ったのか、実桜が「どうしたの?」と、心配そうに尋ねてきた。
「いや、なんでもない。実桜ちゃんの話を聞いていると、自分が、同じ男として情けなくなってね」
「そんなこと言わないで。まこちゃんは、他のお客とは別格よ。わたしね、まこちゃんと出会うまでは毎日が辛かったけど、まこちゃんと出会ってからは、随分と楽になった。まこちゃんは、これまでのお客さんとは違う。だから、なにもまこちゃんが落ち込むことはないのよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
真は、どこまで本心かは知らないが、実桜にそう言ってもらえたことが、随分と励みになり、誇りに思った。
実桜を落胆させてはならない。どれだけ苦しかろうと、自分だけは他の客のようにならないように心掛けようと思った。
そのために、自分の欲望を押さえつけねばならない。
辛いが、実桜の味わっている苦しみに比べると、そんな辛さなど、なんでもないことのように思えた。




