VOL.11 ときめき(真)
実桜と食事をして、そのまま一緒に店へ行くのは、夢の世界から現実に引き戻されたような、そんな気分だった。食事中、これは同伴だとずっと自分に言い聞かせていたが、それでも、真はデートしているような錯覚に、しばしば捉われていたのだ。
「今日は楽しかったね」
焼き鳥屋を出たとき、実桜が飛び切りの笑顔を向けてきた。
その笑顔が、真の胸を熱いもので満たした。
席に着いて真のグラスにお酒を注いだあと、「着替えてくるね」と言って、実桜は席を立った。
そのままでもおかしくはないのにと思いながら、「行ってらっしゃい」と、真が気持ちよく声をかける。実桜がお洒落をするより、一分でも長く話をしていたかったが、そんな我儘を言っても実桜を困らせるだけなので、無理をしてそうしたのだ。
実桜が着替えに行っている最中、別の女性がヘルプに付いた。
結構な美人だったが、実桜のようにはときめかなかった。それでも、顔に笑みを張り付かせて、それなりに話を合わせていた。
「お待たせ」
実桜が、白いドレスで現れた。
先ほどまでは黒で、今は白。
その対照的な色使いに、真は鮮烈な印象を受けた。
ああ、いつもの場所だ。
実桜が隣に座った瞬間、真は安らぎを覚えた。
たった二回しか来ていないのに、そんな気持ちが、真の胸を駆け巡る。
真は充足感を胸に、実桜とグラスを合わせた。
実桜の胸は大きい。それを誇張するかのように、今日のドレスは、いつもよりも胸元が大きく開いている。胸の谷間が、三分の一ほど覗いていた。
真は目のやり場に困った。
実桜と話をするのに、実桜を見ずに話しをするのは失礼だし、さりとて、実桜に目を向けると、どうしても胸の谷間が目に飛び込んでくる。
真は、あらん限りの努力で、実桜の顔から目を離さないで会話を続けた。
焼き鳥屋で結構話したというのに、まだまだ話題は尽きなかった。
楽しく会話している最中、急に実桜が暗い顔になった。
「どうしたの?」
真が、心配そうな顔をして尋ねる。
「実はね、わたしの飼っているわんちゃんの一匹が病気なの」
実桜は、犬を三匹飼っている。二匹がトイプードルで、一匹がチワワだ。
そのトイプードルのうちの一匹が、病気だという。
「お医者さんに診てもらったら、後、数か月の命なんですって」
そう言った実桜の眼が潤んでいる。
実桜が言うには、一番元気な子だったそうだ。それが、つい数か月前に具合が悪くなり医者に連れて行くと、お腹に悪性の腫瘍が出来ており、もうその段階では手術しても手遅れだったそうだ。
早く気付いてやれなかった自分を責めている口調で、実桜は訥々と語った。
「何歳なの?」
そんな実桜を見ていられなくて、真が口を挟んだ。
「八歳なの。普通だったら、あと五年や六年は生きられるのに」
実桜が、また眼を潤ませる。
真は、思わず実桜を強く抱きしめそうになった。
そうすることで、実桜の悲しみが和らぐなら、真は躊躇わずにそうしていただろう。
だが、実桜にとって、真は恋人でもなんでもない。そんなことをしても、嫌悪感を抱かれるだけだ。
そう思い、ぐっと踏み止まった。
「それは、たまらないだろうな」
実桜を抱きしめる代わりに、心から悲痛な声を出した。
「ある人がね、三匹も飼っているのだから、一匹くらい死んだってどうってことないじゃないかって言うのよ」
その時のことを思い出したのだろう。実桜は怒りの表情を浮かべている。
「そいつは、犬を、ただのペットとしか見ていないんだろうな」
口調は柔らかかったが、真は実桜以上に怒りを感じて、掃き捨てるように答えた。
犬だろうが、猫であろうが、命には変わりない。ましてや長い年月、飼い主と寄り添って生きているのだ。いうなれば家族も同然で、その家族が余命宣告をされて、悲しくないわけがない。
真は、犬や猫を擬人化し過ぎるのもなんだが、ただのペットとして、物のように扱うのもどうかと思っている。
「自分の子供が三人いたとして、一人でも死んだら、そんなことは言えないだろう」
真の怒りは収まらず、今度は強い口調で言ってしまっていた。
「ありがとう」
実桜が潤んだ瞳で、真正面から真を見つめてきた。
真はドキリとした。
今までの怒りが影を潜め、代わりに、鼓動が激しく脈打つ。
「まこちゃんなら、わかってくれると思ってた」
実桜の顔から悲しみが消え、いつもの笑顔に戻った。
「わかるさ」
真の鼓動も、平常に戻った。
実桜の笑顔は、ときめきよりも安らぎを与えてくれる。
「俺は飼ってないけど、実桜ちゃんの立場だったら、きっと同じ思いになると思う」
「ありがと。こんな話をわかってくれるのまこちゃんだけよ」
真は、店の女の子で他にも犬を飼っている娘はいるだろうと尋ねたが、いるにはいるけど、みんな一匹だけだし、それにファッションの一部として飼っている娘も多いと、実桜が答えた。
「わんちゃん、少しでも長生きするといいね」
答え終えた実桜が口を噤むと、実桜の目を真剣な眼差しで見つめながら、真が優しい口調で言った。
真には、それしか言い様がなかった。
「うん」
実桜の目が、またちょっぴりと潤んだ。
「ねえ、湿っぽい話はお終いにしない?」
真も、これ以上この話をしてもどうなるものでもないし、実桜を悲しませたくなかった。
せっかく実桜と一緒にいるのだ。店に居られる時間も、そんなに残っていない。
しがないサラリーマンの真には、延長するだけの余裕はなかった。
「そうだな」
あっさりと頷いて、話題を切り替える。
「あの焼き鳥屋にはよく行くの?」
「そんなに行かない。でも、美味しいでしょ」
「うん、美味しかった」
実桜と一緒だったから、余計に美味しく感じたのかもしれないと思ったが、口にはださなった。
それから、食べ物の話になった。
真がなにが好きかと尋ねると、実桜は、お肉にカレーと答えた。魚介類は苦手なのだそうだ。
魚介類が苦手だったら、寿司屋には行けないな。
魚が好きな真は、残念だなと思うと同時に、安堵もした。
実桜のような女性を、回転ずしに連れて行くわけにもいかない。それなりの店へ連れて行かないと恰好がつかないだろう。カウンターの向こうで握ってくれるような店へなんか、真の給料ではとても連れて行くことができない。
「あとね、果物が好き。特に、マンゴーとかメロンとか。それとね、甘いものも大好物よ。ケーキとかプリンとかね」
真の心中をよそに、実桜は嬉しそうに自分の好きな食べ物を並べている。
可愛いな。
行きつけのケーキ屋さんの話をする実桜は、普通の女性となんら変わりない。
濃い化粧をして、派手な服を着ていても、実桜は童女のように、無垢な笑顔を浮かべている。
真の胸が、またもやキュンとした。
夜の世界で働いていたって、心は汚れていないな。
この世界で働く女性のしたたかさを知らない真は、実桜の笑顔を見ながら、能天気にもそう思った。
もっとも、夜の世界でなくとも、女性はみなしたたかなのだが、女性に疎い真には、そんなことなどわかろうはずもない。
時間が来ると、実桜は引き止めることもなく、素直に真を送り出してくれた。
真が立ち上がると、実桜が腕を絡めてき、そのまま出口まで一緒に歩いた。
実桜の胸が真の腕に当たり、真は顔を赤らめた。それを悟られぬよう、真は俯き加減で出口まで歩いく。
店を後にしてからでも暫く、真の鼓動は激しく脈打っていた。




