VOL.1 真
日向真は、中堅どころの食品メーカーに勤めるサラリーマンだ。
齢は32歳、結婚もしていなければ、彼女もいない。だからといって、ホモでもゲイでもない。
顔立ちは、イケメンとまではいかないが、性格の良さを反映してか、好感の持てる顔をしている。
真は、意志が強く、責任感も強いほうで、仕事も熱心だ。それに、周りに対して気も遣える。反面、曲がったことや理不尽なことは大嫌いだ。
仕事で、無理や無茶は当たり前だと思っているが、理不尽なことを言ったり要求したりすれば、たとえ上司といえども、平気で楯をつく。それで馘になるのだったら、こっちから願い下げだと思っている。
真は、人の価値を、学歴や職業や性別、それに年齢なんかで推し量ることはない。
学歴がなかろうが、たとえ年下であっても、そしてどんな職業についていようとも、自分が良いと思えば、素直に尊敬できる人と受け止める。
反対に、いくら高学歴であろうが、いくら権力の座に座っている人間でも、それを鼻にかけたり、思いやりがなく、他人を貶めるような人間ならば、尊敬することもしなければ、へつらうこともしない。
損と言ってしまえば損なのだが、他人に媚びてまで自分がいい目をしようなどとは、露ほども思っていない。
そんな真だから、会社の中では、彼を好きな人間か嫌いな人間かの、どちらかしかいなかった。多くは、上司から煙たがられ、後輩からは慕われていた。
生まれながらの性格もあるだろうが、多分に親の影響もある。
真の父親は、ごく普通の、中堅どころの会社に勤めるサラリーマンで、家族を養うために、何があっても我慢するような男だった。
それはそれでいいのだろうが、その分、嫁、つまり真の母親に当たったり、真に、俺のような大人になるなと、酒を飲んではよく愚痴をこぼしていた。
そこまでしんどいのだったら、なぜ転職しないのかと、真は子供心に不思議でしようがなかったし、そんな父親の、情けない姿を見るのも嫌だった。
育ててもらった父親には悪いが、父親の愚痴を聞かされる度に、こんな大人にはなるまいと、いつも思っていた。
そんな幼い頃からの体験が、真の性格を育てていったといってもいいだろう。そして、その信念は、今でも変わっていない。
真は、独身が気楽だと思っているわけではない。健全な男子ゆえに、彼女がほしいと思っている。結婚して、幸せな家庭を築きたいとも思っている。
しかし、仕事が忙しいのと、気を遣い過ぎる性格のせいで、なかなか彼女ができないでいた。
仕事で気を遣うのは当たり前だが、真は惚れた女性にも凄く気を遣う性格で、自分の欲望を押し殺し、親身になって彼女と向き合う。一見、男らしくみえるが、女性からしてみると、それが却って、男性としての魅力を損なわせているようだ。
女性から言わせれば、いい人過ぎて、どこか物足りない。甘えたり、頼りにはしても、恋人としては心を惹かれないのだ。
女性とは不思議なもので、結婚には安定や幸せを望みながら、どこか危険な匂いのする男に惹かれてしまう習性があるようだ。それが証拠に、真面目で固い男はモテないが、平気で浮気をするような男や、暴力を振るう男を好きになる女性は多い。
真は、浮気や暴力、それにストーカーなんかとは、まるで無縁の男だ。
仕事もそうだが、恋愛にも、いつも本気でぶつかる。
もしかしたら、女性にとって、それが重荷になるのかもしれない。
真は、そんな女性の心理を、ある程度はわかっている。
しかし、自分を変えるつもりはない。無理をしても、続かないのがわかっているからだ。
素の自分を受け入れてくれる女性が、どこかにはいるだろう。そう思って、恋愛でも結婚でも、焦る気持ちはなかった。
とはいえ、この年齢になると、同僚や友人の大半は次々に結婚していき、その度に、どこか自分が置いていかれるような気持ちになることも、しばしばあった。
そんな時は、どんどんと悪い方向に考えてしまうため、真は、仕事に打ち込むようにしていた。逃げるのではない。そう、自分に言い聞かせていたが、切ない気持ちは抑えきれなかった。それを押えるために、また仕事に打ち込む。悪循環の繰り返しだ。
これでは、中々彼女ができるはずもなかった。
真は、これまで女性と付き合った経験はそれなりにある。別れは、いつも女性から切り出された。大抵の女性は、真と付き合っている間に、別の彼氏を作っていた。
真は、理由を質すことはするが、彼女が答えなくとも、それ以上深く追求しようともせず、あっさりと別れた。が、内心はそんなにきっぱりと割り切れるものではない。できることなら、別れを撤回してほしいとも思っているし、何日も寝られない日々が続いたりもする。しかし、相手の事を考えて、未練たらしく迫ることは絶対にしなかった。
別れを切り出すということは、自分の事が好きではなくなったか、他にもっと好きな人ができたかのどちらかだ。そういう時に、未練たらしくしたり、相手を詰ったりしても始まらないと思っている。
いいか悪いかは別にして、それが真という男だ。
真は知らないが、それらの元カノの大半は、真と付き合っているときより不幸になっていた。
自分から振っておいて、何人か縒りを戻したいといってくる女がいたが、真は取り合わなかった。
付き合っているときは彼女に気を遣い、彼女のために尽くす真だが、自分を振った女に縒りを戻したいと言われて、喜んで尻尾を振るような軟弱さは持ち合わせていない。
その点では、これまでの彼女は、真の本質を見抜けなかったといえるだろう。
何度振られても、真は、女性不審に陥りはしなかった。
いつか、自分に合った女性が現れる。
真は、ずっとそう信じている。
真の仕事は、営業職だ。
真の性格上、顧客とは信頼関係を結んで仕事に繋げているが、稀に信頼関係を結べない客もいる。そいった人間は、いつも発注側の立場を利用して、なにがしかの見返りを求めてくる輩だ。
真は熱い人間だが、潔癖ではない。仕事のためだったら、そういった人間も受け入れる。そんな奴らをすべて弾いていたら、営業という仕事は成り立たないからだ。
いくら立場を利用してくる人間であっても、最低だなと思う気持ちを押し隠して、笑顔で相手の要求に答える。ただ、あまり酷いと、角が立たぬようやんわりと断ることもある。
清濁併せ持った真は、そんなタチの悪い担当者もうまく扱っていた。
接待を受けるのもするもの嫌いな真だが、必要なときは平気でやる。
今日も、顧客の要求に従い、キャバクラに連れていった。
真は、キャバクラという場所があまり好きではない。というより、クラブやガールズバーなど、店に女性を置いている場所が苦手だった。別に、そこで働いている女性を見下しているわけではなく、純粋に自分の性に合わないと思っているだけで、見知らぬ女性と余計なお金を払ってまで飲む価値を見いだせないだけだ。
酒は、気の合う仲間と、居酒屋でわいわい飲む方が楽しいと思っていた。
夜の接待は、顧客のランクに応じて、クラブにキャバクラにスナックと、会社御用達の店がある。今日の顧客は大口なので、本来ならばクラブに連れていくのだが、クラブは行き飽きているからキャバクラへ行きたいという顧客の要望に応えて、キャバクラへ連れていくことになった。
会社御用達のキャバクラに行く途中、繁華街を歩いていると、ふと見かけた看板に惹かれたのか、前から気になっていたのかは知らないが、その顧客は、「セクシーキャット」という店に入りたがった。
名前からしてなんだかなと思ったが、どこの店でも同じようなものだろうと思い、真は顧客の要望に従い、その店に入った。
クラブやキャバクラの違いがあまりわからない真にとっては、どんな店でも構わなかったというのもある。
入ってみると、名前から想像していたのとは違い、わりと落ち着いた雰囲気の店だった。キャバクラというより、どちからというと、クラブといってもいい雰囲気だ。
案内された席に座ると、真はざっと店内を見回した。
やや照明は暗いが、いつも行く店より広いし、在籍キャストの数も多かった。月曜日というのに、店内の半分以上は埋まっている。
真は、店によっていろいろと個性があるもんだと思いはしたが、それ以上の関心は持たなかった。
まさかこれが、真にとって波乱の幕開けになろうとは、このときの真は、露ほども思っていなかった。