8:元同僚の昔話 2/4
酔っ払って何をするか分からないエマに、ルーファスは下手にエマを刺激しないように大人しく従う事にした。
エマはワインの瓶と等身大マンドラゴラを手に、陽気に鼻歌を歌いながら部屋に入るや、部屋の入り口にマンドラゴラを立てかけ、一番奥の三人掛けのソファに倒れ込む。
ラヴィーネをそっとソファに横たえたルーファスは、エマと向かい合うようソファに腰を降ろし、以前ラヴィーネが振舞ってくれたマロングラッセを棚から取り出す。
「さっきから言ってる『エレムルス』って、もしかしてラズの事か?」
ついに直接瓶に口をつけワインを飲み始めてしまったエマに、伺うようにそう問いかけると、一瞬目を丸くした後、すぐまた無邪気な笑みを浮かべマロングラッセを口に放り込んだ。
「そっか、今はもうラヴィーネだったわー。骨の檻に入ると特別な呼び名を付けられるからつい。そう、今はラヴィーネ、ラヴィーネ」
何度か確かめるようにラヴィーネの名前を反芻すると、エマは物珍しそうにソファで眠るラヴィーネの顔を覗き込む。
全く目を覚ましそうに無いラヴィーネの頬を数度つつき、三つ編みにされた髪をくるくると弄びながら、エマはふと表情を消した。
「全く、新しく出来た友人の前だからって、いくら何でも無防備過ぎよ。なに簡単に私の術なんかにかかってるのかしら……」
先程までとは全く違うその声色に、ルーファスは目を見張った。
ルーファスが少し体に力を入れたのが分かったのか、エマは顔を上げると照れくさそうに眉を下げ小さく笑う。
「まさか……演技だったのか?」
「確かに強くないけど、おやつ時に飲む様な甘いワインじゃ酔わないわよ」
ぺろっと舌を出しワインの瓶を振るエマは、申し訳無さそうに眉こそは下がっているが、相変らず子どもの様な無邪気な笑顔をしていた。
「さすがにね、酔ったフリなんてちょっと無理があるかな? って思ってたのに……。まさか本気でルーファスに魔法使いだった時の姿を見せたくないのね。どうせこの人の事だから、自分の事なんて何にも言って無いんでしょ?」
ルーファスは少し記憶を探ってみたが、確かにラヴィーネの口から前職の話を聞く所か、この前の伯爵家の魔物を捕らえる時ですら、魔法を使う事を渋っている様子だった。
再びエマに視線を戻したルーファスは、一度無言で頷くと話しの続きを促すようにマロングラッセの箱をエマに差し出し、座ったまま戸棚に手を伸ばし茶器の準備をする。
「俺が知ってる事と言えば、甘い物が好きな事と攻撃魔法が苦手って事と、あとは何だかんだ言いながら実はあまり金に頓着しない所かな。この前も全部で金貨七枚もの大仕事をしたってのに、金を渡したらそのまま店先の戸棚にぽいって、さ」
呆れたようにそう言いながら箱に金貨を放り投げる仕草をすると、エマは困ったような笑みを浮かべ何度も頷いて見せた。
「甘い物は昔からそうね。お金は現役の頃にもう一生分稼いじゃってるから、かな。でも、攻撃魔法が苦手なんて随分酷い嘘ね。大嘘も大嘘よ。この国で十の指に入る実力を持つ魔法使いしか所属出来ないって言われる骨の檻の人間に苦手なものなんて、しかも攻撃魔法が苦手なんてあり得ないわ」
ルーファスはどうにか、不満そうに鼻息荒くワインに口を付けようとするエマの腕を掴むと、そっとお茶のカップを握らせる。
先程のが演技だと分かっていてもそう直ぐに慣れるものでもないし、正常な状態でラヴィーネを昏睡させたと思うとルーファスは背筋が凍る思いだ。
「ラヴィーネがまだ『エレムルス・ウィステリア』だった頃の話をするわ。どうして角があるのか、どうして骨の檻を辞めたのか。私の知ってる範囲だけど、それでもきっと、あなたは知っておいた方が良い」
エマはお茶を一気に飲み干すと、ソファで少しだけ苦しそうに身動ぎするラヴィーネを見つめながら、ゆっくりと話し始めた。
エマが骨の檻に入った時には、既にラヴィーネはあちらこちらで天災級の魔物を一人で仕留めた功績を幾つも持つ、骨の檻屈指の魔法使いだった。
骨の檻は、少数精鋭の一騎当千の集団と言えば聞こえは良いが、ただでさえそう数多くない魔法使いだと言うのに、極端に高い力を求めた結果こうならざるを得なかったと表現した方が良い。
大きな魔路をいくつか抱えるこの国で、そんな数少ない骨の檻所属の魔法使い同士の接点があるはずも無く、全員が全員単騎で国中を転々としていた。
しかし、エマが骨の檻に入った時、騎士団と小型翼竜の群れの討伐の為、たまたまラヴィーネは王都に戻って来ていたので、元老院にラヴィーネの働きを見るよう言われたのが、二人の出会いだった。
もっとも、骨の檻の制服は顔は目以外覆い隠す形なので、ラヴィーネもエマもお互いの第一印象はほぼ無いと言って良い。
しかし、下手をすれば何年も同僚に会う事も無いラヴィーネは、エマを見るや嬉しそうに、だが確かに淋しそうに目を細めた。
その表情の意味は、入ったばかりのエマもすぐに理解出来た。
国が太い魔路の上にある限り、永遠に終わる事の無い戦いの舞台に、エマが引き上げられた瞬間だったからだ。
小型翼竜が大量に目撃されたのは、王都からそう遠くない山岳地帯。
鬱蒼と生い茂る木々が視界を遮っていると思いきや、一歩踏み出せば巨大な渓谷が幾つも存在する、一瞬たりとも気を抜く事が出来ない場所。
重い金属音を鳴らしながら山道を進む騎士の間に紛れ、ラヴィーネとエマもただひたすら足を前へと運ぶ。
道中重い甲冑のせいで騎士が何人か滑落しかけたが、その都度ラヴィーネが魔法で拾い上げ、三日がかりでようやく小型翼竜の群生する場所まで辿り着いた。
人里離れた山岳地帯に小型翼竜が出ただけなら騎士や骨の檻に要請等せず放っておいだろう。
しかしいざ現場に来てみれば、空を黒く覆い尽くす程異常な数の小型翼竜が頭上を旋回し、渓谷にびっしりと巣を作っていた。
エマは過ぎ去った昔話を懐かしむ事無く淡々と話を進めていくが、ルーファスはその光景を思い描き絶句していた。
ルーファスもこう見えて、若くして中隊長に任命された豪傑ではあるが、空を覆う程の魔物、しかも小型翼竜など今まで見た事は無い。
先日ラヴィーネが言っていた通り、ドラゴン一頭あたりの賞金は金貨百枚から。小型種と言えど金貨七十からと言う、破格の値段をしている。
それだけ一頭の力が強大だと言うのに、それが空を覆い尽くす程の量。
エマは詳しく語らなかったが、その一回の討伐に一体どれだけの騎士が駆り出された事か。
ルーファスは目を伏せ、先日伯爵家の地下で見た光景を思い出す。
あの時地下に居た魔物で最大の物は、伯爵達を石化させたコカトリス。それでも人と然程変わらない大きさしかない。
そして何より魔物は檻に入れられ、ラヴィーネも居た。
もし、あの魔物達が檻にも入れられず、もしラヴィーネを連れずに一人で地下に降りていたらと考えると、ルーファスははたして自分は今ここにこうして座っていたかどうか、考えただけでも身震いする。
まだ話が始まったばかりだと言うのに、既に自分だけ場違いな気がしてならないルーファスだったが、先程のエマの言葉を思い出し、自分に気合いを入れ直す。
先程エマはルーファスに『あなたは知っておいた方が良い』と言った。
それはエマが面白半分に誰彼構わずこの話をして回っているのではないと証明する言葉だ。
そして、それ位ラヴィーネにもルーファス自身にも、重大な意味がある事を意味している。
ルーファスが伏せていた顔を真っ直ぐ戻すと、それまで静かにルーファスを見つめていたエマは小さく微笑み、続きを話し始めた。