7:元同僚の昔話 1/4
非番だったルーファスが、行きしなに仕入れて来た陰干しワインを片手にラヴィーネの店を訪れると、珍しく先客がいた。
真っ白なケープを羽織った赤い髪の女性は、カウンター側の椅子に腰掛けながら、小瓶をいくつか指で弄びながらラヴィーネと談笑していたのだが、ルーファスもその女性もお互いの姿を確認するや、目を丸くし揃ってラヴィーネの方を向くと『友達居たんだ』と、揃いも揃って同じ事を口走った。
「……ルー、手が滑ってそこの人鳥の瓶割っちゃうよ? 友達というか、昔の同僚のエマだよ。買い物ついでに色々話してただけ。エマ、あれが最近噂の『人鳥の騎士』のルーファス」
呆れ顔でルーファスからお土産のワインを受け取ったラヴィーネは、二人を順番に顎でしゃくると、なんとも雑に紹介していく。
ルーファスは苦笑いを浮かべると、店の奥に積まれている木の丸椅子を一つ手に取り、エマの横に並んで座る。
普段のかっちりとした装いとは違い、ルーファスはシャツの上に、よく使い込まれ程よく草臥れた革のベストを羽織っているが、何故かブーツだけは普段通り騎士の物をつけている。
ルーファスは無造作にシャツの袖を捲りあげると、慣れた手付きで棚からグラスを三つ取りだしカウンターに並べた。
「昔の同僚? へー、てっきりラズは昔から、魔法は使えるが何処にも所属する気のない気ままな個人商店主か何かかと思ってた」
土産のワインのコルクを抜いていたラヴィーネと、人鳥入りの瓶を手に取り眺めていたエマは、ルーファスのその言葉に目を丸くし動きを止めてしまった。
さすがに二人のその姿を見たルーファスも、自分が何か変な事を言ってしまったと理解したらしく、気まずく曖昧な笑みを浮かべたまま二人の顔を交互に見ながら、ラヴィーネの手からワインを抜き取る。
しばらく押し固まっていたエマだがゆっくり動き出すと、同じく押し固まっていたラヴィーネに向かい深い呆れたようなため息をつきカウンターに突っ伏してしまった。
「説明してなかったあんたが悪いのか、それとも緊急で一般の学舎に基礎魔術学を導入させるべきと国に進言するべきか。本当に悩みどころだわ」
「す、すまない……」
「いやいや良いんだよ。魔法使いの事は秘匿事項が多いし、そもそも自分の与り知らぬ世界の事は知らなくて当然なんだから。ね、エマ」
慌てて謝罪するルーファスを手で制しながら、ラヴィーネはカウンターに突っ伏したままのエマの頭を鷲掴みにする。
それでのろのろと顔を上げたエマは、どうにも不満そうな、しかし申し訳無さそうな複雑な表情でルーファスを見上げると、再びため息をつく。
「そうね……ごめんなさいルーファス。簡単に私達の事を説明させて」
そこで一度話を区切ると、エマは何から説明しようかと一瞬考えを巡らせるようにラヴィーネの顔を確認すると、そのまま説明を始めた。
まず、この国では出産の際、産婆の他に教会関係者と魔法連盟関係者が立会いをする。
教会関係者は安産祈願と共に生まれてくる子どもが健やかに育つよう祈りを捧げる為立会いを行い、魔法連盟関係者は生まれてくる子どもに魔法使いとしての資質があるかどうか見極める為にいる。
この国の人間にとって、それはあまりに当たり前の事なので誰も疑問に思う事は無いが、他国ではほぼありえない事だという。
生まれた子どもに魔法使いの資質が少しでも見つかると、その場で魔法学舎への入学許可証を発行する。
子どもは能力の大きさに問わず、遅くとも全員六歳までには魔法学舎へ入学する事となる。
魔法学舎は全寮制であり、更に入学金なども一切かからないと言う事もあり、貧困に喘ぐ家は子どもにただで食事と教養を与える事が出来るこの制度は、神の奇跡とまで称される程。
もし、子どもにそれ程大きな力が認められなくとも、魔法使いの資質を持つと言う事実だけで仕事には困らない。
ここまでは一般学舎出身のルーファスも当然知っている事で、取り立てて驚く事も無くエマの話しに耳を傾けていたのだが、そのエマとラヴィーネの表情はどうにもすぐれない。
しかし、ルーファスがその事について触れる前に、エマは続きを説明し始める。
魔法学舎を卒業した後は全員国の魔法使い名鑑に登録され管理される。
そして卒業後の仕事は大きく分けて四つ。
一つ目は各地にある魔法学舎の教員になるか。二つ目は街に駐在し魔物や人同士の争いの対応をするか。三つ目は魔法連盟の本部にて研究者になるか。そして最後四つ目は、城に上がり国に尽くすか。
この事は何となくとしか把握していなかったルーファスは、大きく頷き面白そうに話しに食い入っていたが、一瞬違和感を眉根を寄せ感じ小首を傾げた。
そのころころと変わる表情が面白かったのか、先程までどこか寂しそうな表情をしていたエマもラヴィーネも、揃って笑いを堪えるように肩を震わし必死にルーファスを視界に入れないようにしている。
「その話だと、二人は街常駐魔法使いって事か。今更だが、どうやって魔法使いの資質を見極めて……と言うか、どうやって魔法を使ってるんだ? それと『城に上がり国に尽くす』って、騎士から要請があった時に来るあの魔法使い達の事か?」
笑いを堪える二人だったが、そのルーファスの素朴な疑問に、再び思案顔でお互い見詰めあう。
その表情は聞いてはいけない事を聞いてしまったと言うより、どう説明するのが正しいのかと言った表情だ。
「驚きを通り越して感動だわ。その様子だとラヴィーネの魔法を見た事が無いのよね? ラヴィーネに純粋に一緒にお茶を楽しむだけの友達がいたなんて……! これは今年一番の話しのネタになるわね」
目を輝かせルーファスに羨望に近い眼差しを向けるエマに反し、散々ラヴィーネの魔法を見て来たルーファスは今更その事を伝えられず背中を丸め小さくなって行く。
ラヴィーネはそんな二人の姿を微笑ましく眺めながら、グラスにワインを注ぎゆったりと椅子に腰掛けると、自身の髪を緩く三つ編みにする。
誤魔化すようにルーファスが思い切りワインをあおぐと、エマもワインを口に運びようやく続きを話し始めた。
魔法使いの資質の見極め方と魔法の原理は、案の定、魔法を使えないルーファスには易々と理解出来る物ではなかった。
魔法の資質の見極めはとても単純な事。生まれたての子どもの手を取りながら、ほんのりと熱を送り込むだけ。
これは別に熱でなくとも治癒魔法だったりと、体に害の無い物なら何でも良い。
魔法の資質が無い者はその熱に何らかの拒否反応を示すが、資質のある者は上手く体内に受け入れるらしい。
しかし、魔法の資質が分かってもその子どもがどう言った能力に長けているのか、そもそも魔法として形になる程の力があるのか等はその段階で判別する事は出来ない為、六歳に達したら強制的に技術を教え込み潜在能力を測っていく流れとなっている。
そして魔法の使い方だが、まず、この世界には魔法を使う際に使う魔力の源となる力が流れる、目には見えない道『魔路』が存在する。
この魔路は血管や葉脈の様に隙間無く世界中に張り巡らされている。
魔路にも細いものと太いものがあり、簡単な見分け方としては、魔物が多く集まる場所は太い魔路が通る場所と思って間違いない。
魔物もまた、魔路から魔力を吸い上げ自分の糧にする生き物なのだ。
そして最近の研究で判明した事は、魔力の必要としない動物や人間達も、なぜか自然とこの魔路に集まる性質にあるという。残念ながら現在判明しているのはそれだけで、どういった理由で魔路に引き寄せられるかは、現在古参の魔法使い達が日夜血眼になって研究と議論を交わしてるとの事。
そして魔法使いは、その魔路から魔力を吸い上げ使う事が出来る人の総称である。
学舎で基礎を学び訓練をすれば、人が呼吸をする様に意識しなくともそれが出来るようになると言う。
魔力の吸い上げ方だが、もう呼吸をするのと等しい感覚になっている二人には上手く説明出来ないらしく、学舎で習った通り『目で捕らえ手で捕らえる』と、どうにもルーファスには理解が出来ない代物だった。
魔法使いの資質を持つ者は単純に感覚が鋭い等曖昧な物ではなく、基本的に資質の無い人間とは違う人種だと考えた方が良いと、ラヴィーネは笑いながらエマの説明に付け加えた。
面白そうに話を聞いていたルーファスだったが、ついに棚から羊皮紙を取り出すとメモまで取り始めてしまった。
口を潤すようにワインを何度も口に運ぶうちに程よく酔いが回ったのか、エマはほんのりと色付いた顔にとろんと甘い笑みを浮かべると、上機嫌に説明を続けていく。
「簡単に説明しちゃったけど、それが魔法の原理。でもー、私もラヴィーネも駐在なんてお気楽な魔法使いなんかじゃないわよー? こう見えて『要請があった時に来るあの』国お抱え『骨の檻』所属の魔法使いなんだからー。あ、でもラヴィーネは『元』骨の檻だったわねー」
すっかり出来上がってしまったエマは、隣に座るルーファスにしな垂れかかりながら、舌足らずにそう告げる。
そっとエマのワインを取り上げたラヴィーネは、相変らずメモを取りながら肩によりかかっているエマの頭を撫でるルーファスに視線を落とすと、二人に聞えない程度のほんの小さなため息を漏らす。
「騎士も入隊する時危険だからって止める親はいると思うけど、骨の檻もなかなか酷い所でねー。時間があれば危険魔法の開発研究と実験。でもほぼほぼ天災級魔物の駆除がお仕事なんだもん。骨の檻を辞める方法なんか、現場で殉職するか病死するか、一番良くて無事寿命を迎え天寿を全うするか位のものよー? もう、生きて骨の檻を辞めれるのなら、私もラヴィーネみたいに角生やすー」
「あー、ごめんねルー。エマ酒癖悪いんだよね」
ついにルーファスの首にしがみ付き始めたエマだったが、すぐさまラヴィーネがその体を引き剥がすと、近くに置いてあった等身大マンドラゴラを抱き枕代わりにエマの腕の中に落とす。
マンドラゴラを抱かかえ満足そうに顔を緩めるエマだったが、今度は標的をラヴィーネに変更したらしく、カウンターの上に乗っていたラヴィーネの三つ編みを軽く引っ張りながら楽しそうに笑い声を上げる。
「なあにー? まさか本当に何も言って無いのー『エレムルス』?」
エマに水を用意していたラヴィーネが、露骨に顔を顰めたのが見て取れる。
しかし、エマはそんな様子など一切気にかけず、エマとラヴィーネの顔を交互に見ていたルーファスの膝をとんとんと叩く。
「基礎魔法理論なんて面白くないしー、折角だから『エレムルス』の昔話でもしてあげるー」
「エマ、そろそろいい加減に――」
ようよう手に負えなくなって来たエマを静止しようと、ラヴィーネはカウンターを回りエマの隣に来ると、手を取り奥の部屋に行くよう促す。
「もう! 今ルーファスと話をしてるの、『エレムルス』は黙っててー」
しかし、ぱっと手を引いたエマは不満そうに頬を膨らませると、ラヴィーネの額を人差し指で軽く小突く。
すると次の瞬間、ラヴィーネは糸が切れた人形の様にかくんと膝を折り、慌てて手を差し出したルーファスの腕の中に倒れ込でしまった。
「よし。邪魔者は眠らしたし、いっぱいお話してあげよう」
エマは誇らしげにほんのりと蒼い光を放つ人差し指を天井に向けながら、先陣をきって奥の部屋へと進んで行く。
酔っ払ったエマはラヴィーネに魔法をかけ昏倒させたのだった。