31:ラヴィーネ救出 1/3
金竜が街中に放って行った黒い霧は呪いであったらしく、王都中に原因不明の疫病が蔓延し、王族を含めほぼ全員が床に伏せる事態となってしまった。
何故か黒い霧を浴び疫病にかから無かったのは、ルーファスとエマと元老院の三人だけであった。
その事について現王は床に伏せながら小言を言っていたようだが、元老院が思うに、金竜は三人がラヴィーネを守ろうとしていたと認識し、助けたのではないかという。
三人はそれぞれ負傷しつつも、命に別状は無かった。
今は骨の檻のロビーにて、三人で今後についての話し合いをしている。
「ラズを助けに行く」
「だからどうやって?」
しかし話し合いは難航――と言うよりも、結論は出ているのだがどうにも出来ないのが現状で、かれこれ一時間同じやり取りを繰り返している。
一刻も早くラヴィーネを助けに行きたいと言うルーファスだが、エマは金竜に太刀打ち出来ないと言う。
二人の言い分はもっともで、お互いにそれは重々理解しているのだが、解決策が一向に見当たらない。
戦闘に備えるならば、骨の檻を総動員するしか無いのだが、骨の檻も軒並み呪いを受けてしまった今、文字通り三人しか居ないのだ。
爪を噛みうなだれるルーファスと、机に突っ伏したまま動かないエマを静かに眺めていた元老院だが、元老院も負傷が激しく殆ど頭が働かない状況だった。
「エマか元老院のどっちかが俺を抱えて谷を降りてくれれば良い。その後は俺が一人で金竜を説得してみせる。ラズの魂を持ってるからそうやすやすと殺されないだろう」
「簡単に言ってくれるわよね……。本当に話し合いに応じると思ってるの? それに、谷に下りるには小型翼竜の巣を通過するか、巣を避けて他の場所から未開拓の谷の底を進まなきゃいけないのよ? あと、あんた今しれっと言ったけど、あんたの意思で元老院を動かそう何て随分偉くなったわね。……今はそうも言ってられないけど」
何の根拠も無い事を言い放ったルーファスに、呆れてエマは床に寝そべってしまったが、いくらその案を否定してもそれしか手が無いと頭を抱え、苦し紛れに元老院に確認の視線を向ける。
元老院もエマとほぼほぼ同じ様な表情でうな垂れていたが、エマに向かい力なく笑うと、そのまま椅子に横になってしまった。
折り目正しく厳格な元老院が、ロビーの椅子でそんな姿を晒した事に驚いたルーファスとエマは、恐る恐る身を乗り出し元老院の顔を覗き込む。
すると、元老院は徐々に笑い出すと、しまいには肩を揺らし苦しくなる程笑い出した。
「全く、ようやく捕まえたと思ったらまた何処かに行きおってあの馬鹿息子め……! しかし、これで王も辞さねばならぬだろうな。金竜の加護どころか、このまま呪いが広がったら歴史的な大災厄だ。面倒な派閥の板ばさみから解放されてせいせいするわ。……それで馬鹿娘よ、あの一件から谷を毛嫌いしておったが、本当に行けるのか?」
元老院の言動に終始口が開いたままの状態だったエマは、突如話をふられ反射的に首を縦に振る。
そして元老院が視線をルーファスに流すと、ルーファスもつられるように何度も頷いた。
「ふむ、小型翼竜など私がいくらでも打ち落とそう。二人で谷の底に下りなさい。もし金竜の説得に失敗したら、エレムルスをおいてここに転位なさい。まずは二人が生きて戻る事を最優先に。約束出来ないのなら私は協力しない」
子どもに言い聞かせるように優しい口調ではっきりと断言する元老院に、エマもルーファスも反論しようにも出来ない。
その沈黙を肯定と判断した元老院は、起き上がると腕に巻いていた包帯をほどき始める。
今思えば、三人とも金竜に手加減されていたのだろうが、硝子を突き破ったエマは全身血塗れで、城の門を突き破った元老院は何本か骨が折れていた。
二人共魔法使いだったおかげで直ぐに治療をする事が出来たが、これが騎士だったらと思うと、ルーファスは血の気が失せる。
すっかり元通りになった腕を眺めながら、元老院は相変らず床に座り込んだままのエマの頭を鷲掴みにする。
エマも自分で傷を治したのだが、元老院は執拗に傷が無いかを確認する。
何とも緊張感の無いその光景に、思わずルーファスが小さく笑い出すと、元老院は満足したのか、エマをルーファスの方へと軽く投げる。
「過保護なのか放任主義なのか、相変らず……」
「骨の檻に入った者は一様に私の子どもだ。だが、仕事は仕事だ」
二人のやり取りについに笑いを堪えられなくなったルーファスは、うずくまる。
骨の檻に入る時、親兄弟とは絶縁し戸籍を抹消する事になっている。
もし身内から犯罪に加担するものが出た時、もし身内を人質に取られた時、有事の際にそんな自体にならないよう、騎士団以上に徹底した規律がある。
しかし、当代の元老院は骨の檻の者は須らく自分の子どもと言う考えを持ち、規律で縛る反面最後の時まで親のように逐一世話を焼き続ける。
そんな、にわかには信じがたい噂を耳にしたことがあったルーファスだが、実際にそんなやり取りを見ると、途端に骨の檻を身近に感じる事が出来た。
これまで人ならず集まりと一線を置いていたが、自分と同じ血の通った人間なのだと改めて思い知らされた。
「さて、深淵の覇者たる黒き蛟龍を宿したオペラの主殿、出発はいつにしますかな?」
ラヴィーネの詠唱の一説を話しながら元老院はルーファスに視線を落とす。
一瞬何の事かとルーファスは目を丸くしたが、すぐさまあの一説は自分を指していた言葉だったと理解し、呆れたように深くため息をつく。
「二人が行けるなら今すぐに」
ルーファスはいつも通り、戦場に出る前の不思議と穏やかな顔でそう宣言した。
*
頬に当たる硬質で冷たい得体の知れ無い物には、何故か不思議と嫌悪感を感じない。
身動ぎすると追いかけてくるその得体の知れ無い物は、何度も確かめるように遠慮がちに頬をさすっては離れて行く。
ラヴィーネはこの感覚を知っていた。
動くと体中が痛むが、どうにか顔だけは動かせる。
ラヴィーネはゆっくりと目を開け、頬をさする得体の知れ無い物を確認する。
目を開けているはずなのに目の前は真っ暗で何も見えない。
ラヴィーネがゆっくりと視線を上に上げていくと、心配そうに自身を見下ろす金色の瞳と目があった。
「……久し振り。ちょっと白くなった?」
ラヴィーネは金竜の巣で、金竜に抱えられた状態で眠っていた。
しきりにラヴィーネの頬を爪の先でつつく金竜は、ラヴィーネが嫌そうに顔を背けたのを確認すると、ゆっくりと巣の上にラヴィーネを降ろす。
ラヴィーネは痛む腕を上げ自身の体を確認し始めるも、少し前に新たに生え始めた一対の角が大きく成長しているのに気付き、ため息と共に手を下げる。
元々生えていた大きく弧を描く角の直ぐ上から、後ろにやんわりと弓なりに伸びる角が新たに生え、よくよく確認すれば爪も何処か以前より硬質な物になっている気がする。
そこまで確認したラヴィーネは、ようやく自分が刺された事を思い出し、それと同時になぜ金竜の巣にいるのかも理解した。
「ねぇ、今王都はどうなってるの? 私の側に居た黒い髪の人間は……?」
ラヴィーネは遙か上にある金色の目に向かって話しかけるが、金竜はそれには応えず、どこか満足そうに体を丸めラヴィーネを抱え込むと、顎を尾の上に置き目を閉じてしまった。
ラヴィーネは手を伸ばし金竜の顔に触れるが、金竜は既に小さく寝息を立て始めていた。
「ちょっとどれだけ寝るの。もう何百年も寝てたくせに……」
ラヴィーネは呆れたようにそう溢すも、金竜につられるように目を閉じると、再び眠りに落ちてしまった。
意識を取り戻して三日。
相変らずラヴィーネは一気に増大した魔力のせいで座るのがやっとの状態で、その反面金竜は相変らず気持ち良さそうに眠っている。
金竜は時折目を覚ましては、思い出したようにラヴィーネに水や食料を運んでくるが、持ってくる食料は人間も馴染みのある猪を丸ごとだったりと、気を利かせているようだがもう一息と言ったところ。
その都度ラヴィーネが小さく切って焼くのだが、その些細な魔法でさえ痛みを伴いままならない。
ようよう生で食べるかそのまま食べれる物を希望しようか悩み始めていると、ぼたぼたと渓谷の底に何か焼け焦げた破片が落ちてきた。
金竜の尾に凭れて座っていたラヴィーネは、そのまま後ろに倒れこむように尾にのしかかると、渓谷の上に視線を向ける。
岩に囲まれた狭い空には眩し過ぎる太陽が煌き、いくら見上げても状況を目視する事は出来なかった。
ラヴィーネが目を細め諦めたように視線を下げると、それまで大人しく眠っていた金竜がのそりと体を起した。
背凭れにしていた金竜の尾が動き、ラヴィーネは無抵抗のまま横にごろりと寝そべると、金竜はラヴィーネを守るようにラヴィーネの前に尾の先を置く。
その直後、渓谷の上から徐々に悲鳴の様な声が近付いて来たと思った矢先、エマとルーファスが無数の小型翼竜に追われながら物凄い速度で落下してくる。
当初ラヴィーネは、エマが小型翼竜を振り切ろうと高速で飛行しているものと思っていたが、エマの泣き喚く顔と悲鳴とルーファスの首をしめている様子を確認した結果、再び魔法が使え無くなったか忘れているかのどちらかだろうと察した。
小型翼竜はルーファスが斬り伏せているので、一先ず、落下する直前に受け止めなければならないと判断したラヴィーネは、痛む体を起し立ち上がる。
しかし、一歩踏み出そうと足に力を入れると酷く体が軋み、再びラヴィーネはその場に座り込んでしまった。
すると先程まで静かに落下してくる二人を眺めていた金竜が、面倒そうに一度大きく羽ばたく。
すると小型翼竜だけが見事に吹き飛ばされて行き、それで状況を思い出したのか、エマは急ぎ詠唱を開始し地面に叩きつけられる前に、どうにか飛行魔法を発動させる事が出来た。