30:金竜襲来
金竜は会場の上空を舞ながら、静かにルーファス達を見つめている。
とっさにルーファスがラヴィーネを抱え直すと、すぐさま元老院とエマが構える。
魔法騎士と直系派の骨の檻は、金竜を見た途端、空を見上げたまま動かなくなってしまっていた。
二人は一目で自分の手には負えない相手だと分かったのだろう、エマは歯軋りをすると動かなくなってしまった二人を軽く蹴る。
ようやくエマに視線を向けた二人の顔からは血の気が引き、思考も停止しているのかエマを見る目は丸く見開かれ焦点が合っていない。
「邪魔だからあんた達はそのままゆっくり後退りしてって」
端的に告げると、エマは再び竜へと視線を戻す。
骨の檻とて一瞬たりとも気が抜けない。
それが分かったのだろう、二人は何か言おうと一瞬口を開きかけたが、すぐ苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、言われた通りゆっくりと後退していった。
エマとて二人を見下して言った訳では無い。本当ならば自分も今すぐ走って逃げたい気持ちを振り払い、地に足を付け踏ん張っているのだ。
「エマ、ラズを頼む。俺じゃ傷を治してやれない」
「竜相手に魔法で強化してもない騎士がどうしようって言うのよ。死ぬ気でラヴィーネを守りなさいよ」
エマとルーファスはお互い見る事無く、微かに聞こえる程度の声を上げる。
ルーファスは腕の中でゆっくりと呪いが進行していくラヴィーネの事が気がかりだった。
その為、治療が出来るエマと交代しようとしたのだが、その意見はエマに軽く一笑されただけだった。
ゆっくりとラヴィーネを抱え直したルーファスは、エマが先程言っていたように、じりじりと距離を置くように下がり出す。
すると、今まで上空で停止し見下ろすだけだった金竜だったが、徐々に高度を下げ、大人が手を伸ばせば届きそうな距離まで降りて来た。
金竜が羽ばたく事に会場内には突風が吹き荒れ、王が先程まで座っていた玉座は吹き飛んでしまった。
「ラズの声に答えたたのか、それともラズの危険を察知して来たか……どちらにせよこんな状態のラズを見たら、な。すぐ側に居たのに、最後まで俺は何も出来ないのか……」
間近で見た金竜に息を飲んだルーファスだが、ラヴィーネをマントで包み直しながら、無意識に自嘲するかのように呟いていた。
しかし、それまで一瞬たりとも金竜から目を離さなかったエマが、目を丸くし振り向くや、眉間に皺を寄せルーファスの腕を掴む。
「ラヴィーネが呼んだ? 危機を察知した? ちょっと待って、全く意味が分からないんだけど」
そこでようやくルーファスは思い出した。
今元老院に召喚されたばかりのエマは、ラヴィーネの呪いの正体も、この会場でラヴィーネがした事も全て、何もかも知らないのだ。
しかし、一から説明している時間は無い。
ルーファスはエマと金竜に交互に視線を向けながら、苛立ちを抑えるように頭をかく。
すると二人の元まで来た元老院がルーファスに代わり、口を開いた。
「エレムルスと金竜の説明は後だ。だが、金竜は呼ばれて来た訳では無い事は確かだ。そやつときたら、祝福だけやれば良いものを。殆ど魔力が無い状態で更に別魔法を足しおった。……エレムルスの為に、ルーファス殿だけには死なれては困る」
「全く説明になってないわよ。何で今ルーファス?」
不気味な程何もせずじりじりと迫ってくる金竜を横目に、苛立ったようにエマが更に説明を求める。
「エレムルスは祝福の魔法の詠唱に、契約の詠唱を混ぜ込んでいた。詠唱を混ぜるなど制御が難しい事をあの状態でな。『オペラ』と言う名はルーファス殿がつけた名か……。エレムルスはルーファス殿が自身の……オペラの主とすると宣言し、魂も半分預けた。ルーファス殿が傷付いたらエレムルスの魂も傷付く事になる」
顔色を変えず真っ直ぐ金竜を見据えたまま、元老院はそう言い放つと、結界をはる。
事態の深刻さに膝から崩れそうになったルーファスを、エマはすぐさま支えると、元老院の結界の上から更に結界をはる。
先程までルーファスは、腕の一本足の一本無くなっても、ここにいる人を守ると決意していた。
しかし、自分が傷付くとラヴィーネの魂が直接傷付くと知ると、先程の決意が脆く崩れ去り、あとには恐怖しか残らなかった。
今もエマに支えられどうにか立っている状態。ルーファスは自分でもどうやって力を入れれば良いか分からなくなっていた。
金竜はゆっくりと頭をもたげると、その不気味な程に穏やかな瞳でルーファス達を見下ろす。
その瞬間、エマはルーファスとラヴィーネを抱え広場の下へと飛び、同時に元老院は金竜の気を引くように、金竜の横に回り込みながら簡単な魔法を放つ。
端から何の準備も無い今、放てる魔法で金竜を討伐する事など出来ないと理解している元老院は、自分が動き回るのに支障が出ない程度の、子供騙しのような魔法をいくつも金竜に向け放つ。
しかし、やはり輝かしい光を放つ金色の鱗には傷一つ付かず、それどころか金竜は完全に元老院を無視し、男二人を抱え飛び去るエマから視線を離す事は無い。
その現実に元老院は顔を歪め歯軋りをすると、立ち止まり詠唱を開始する。
機動性を考えた簡単なものでは意味は無い。元老院はもう少し強い魔法を金竜にぶつけ、興味を自分に向けさせようと考えた。
しかし、元老院がまさに今詠唱を終え魔法を発動しようと顔を上げた時、金竜はちらりと元老院に視線を向け、大きく一度羽ばたいた。
すると、翼から巻き起こった突風は元老院だけに向かい突き進み、重ね掛けした結界を打ち砕き、元老院を広場の奥、城の中へと吹き飛ばしてしまった。
エマに腕を取られ大きく跳躍するように飛び去るルーファスは、その光景を見た瞬間、頭に血が上るのが自分でも分かった。
しかし、ルーファスが足を止めようとすると、エマはルーファスの腕を叱咤するように強く引く。
エマも出来る事なら時間稼ぎをしたいし、元老院を助けに行きたい所だが、今は一刻も早く逃げることが先決だ。
元老院の陽動に見向きもしなかった所を見ると、やはり金竜の目的はラヴィーネで間違いないはず。
エマは気合いを入れ直すように頭を左右に振ると、強く唇を噛み締め跳躍する。
しかしその瞬間、突如後ろから吹き付ける突風にエマだけが攫われ、玩具のように軽く飛ばされたエマの体は甘味屋の硝子を砕いた。
とっさに体を丸めラヴィーネを抱えたルーファスが再び顔を上げた時は、周りからは街灯も花もベンチも全て消え失せ、ただ静かに金竜が見下ろしているだけだった。
無意識のうちに街中へと走り出したルーファスだったが、三度金竜の起した突風に巻き込まれ吹き飛ばされる。
しかし不思議な事に、しっかりと抱えていたはずのラヴィーネの体は、凄まじい力で金竜に引き寄せられて行く。
決して放すまいとルーファスが更に力を入れれば入れる程、引き寄せられる力も強くなって行き、ついに二人は引き離されてしまった。
酒場の店先に置かれた木箱に頭から突っ込んだルーファスはすぐさま顔を上げるも、酷い眩暈に襲われ膝を突く。
生暖かい物が頭から滴り地面を汚す。
木箱に突っ込んだ際頭を負傷したらしく、ルーファスの頭からはぼたぼたと血がとめどなく滴り落ちる。
遠くの方でエマが硝子片と格闘している姿が視界の端に見て取れたが、ルーファスは真っ直ぐに金竜に向かって行くラヴィーネに向かい必死に手を伸ばし立ち上がる。
ラヴィーネはもう金竜の手の上に下りようかと言う所で、手を伸ばした所で届かない事は重々承知。しかし、それでもルーファスは手を伸ばさずには居られなかった。
金竜は自分の手に静かに下りたラヴィーネを確かめるようにしばし眺める。
その場に座り込むや、ラヴィーネの体を鼻先でつつき舌で頬を体を揺すり、反応を確かめているようだ。
しばらくし金竜は顔を上げると、深く息を吸い込み地鳴りにも似た咆哮を上げた。
金竜を中心とし円形に地面がえぐれ、放射線状にひび割れていく。
咆哮は地面だけではなく近くの建物も破壊し、建物の中に隠れていた人達は大慌てで外に逃げ出すや、地鳴りで動けなくなる始末。
騎士であるルーファスは民間人の非難を最優先にしなくてはいけないが、ルーファス自身も出血と咆哮で膝を付いたまま動く事が出来ない。
全員が耐え切れず地面に崩れ落ちると、金竜は咆哮をやめ、今度は何か街中から光の粉のような物を吸収し始めた。
その光の粉はラヴィーネが放った祝福の光のようで、ルーファスの体に付着していた物も、地面や建物に浸透して行った物も全て根こそぎ金竜に吸い込まれて行く。
剣を支えにしてルーファスが立ち上がるとほぼ同時に、金竜はラヴィーネを抱えたまま舞い上がる。
追いすがるようにルーファスは一歩踏み出すも、出血のせいで足に力が入らす再び崩れ落ちてしまった。
金竜はそんなルーファスの姿を上空から静かに一瞥すると、先程とは違う甲高い咆哮と同時に、街中を多い尽くす程の真っ黒な霧を発生させると、そのまま山の方へと飛び去ってしまった。