26:呪いの正体 2/3
翌日早朝。
昨日言っていた通り、元老院は枷と着替えを持ってラヴィーネの部屋を訪れていた。
「うむ……どう見ても女性にしか見えない仕上がりだな。あぁ直ぐ寝るな、折角設えた服がシワになるだろう」
軽くうっすらと透けている布を幾重にも重ねた様な真っ白な衣装は、ラヴィーネの金の髪が良く栄え、緩く編み込めば女性と見間違う程に良く似合っている。
しかし当の本人のラヴィーネはそんな言葉に反論する気力も起きないのか、着付けた側からベッドに寝そべってしまった。
「寝るなって言われても……無理、眠い……。首のこれ外してくれたら起きていられるのに」
シーツに顔を埋めたままこもった声を上げるラヴィーネを無視し、元老院はベッドに腰掛けると強制的にラヴィーネの顔だけ持ち上げ、側に仕えていた女性の方に向ける。
女性は普段、元老院の補佐をする教会の巫女。ラヴィーネ程では無いが、厳格そうな真っ白い衣装を身に纏っている。
女性は抵抗せず無防備にやられ放題のラヴィーネに微笑み会釈をすると、丁寧に化粧を施していく。
どうにも昨日と違い、緊張感の欠片も無いゆったりとした時間が流れる。
「ねぇ、念入りに手入れされてるけど、私は何処かに嫁がされるのかな? 昨日の話からどうしてこう着地したのやら」
ラヴィーネが体を捩り元老院に問いかけるも、すぐさま元老院と巫女に顔を固定され化粧の続きを施される。
きっちりと熟れたりんごのような鮮やかな紅を差すと、巫女はラヴィーネがシーツに顔を埋めないよう、クッションを顎の下に敷き固定する。
巫女が編み込んだ髪の先から色とりどりの宝石で出来た、穴の開いた小さな球をいくつも通し始めると、ようやく元老院もラヴィーネの頭から手を離した。
「昨日お前の姿を見た王が決めた事だ。平たく言ってしまえば王の趣味なのだろうな。まぁ良いのでは無いか? 都合の良い言い方をすれば、エレムルスはもう王の花嫁なのだから。国の花嫁、竜の花嫁……色々な言い回しが出来るぞ」
目元と口、髪の手入れを終えた巫女が一礼し暇を乞うのを、片手を上げ了承した元老院は、巫女が居なくなった途端軽口を叩くようになった。
普段、骨の檻以外の人間が居る前では厳格な口調と雰囲気を心がけているが、元々元老院はそんな気質ではなく、一部の人間の前では王の事でも騎士の事でも、更には部下の事でも気に食わなければさらりと毒を吐く。
ふうんと諦めたような気の無い返事をしたラヴィーネが、顔を伏せようとするのを目敏く見ていた元老院は、無造作に角を掴み枕の位置を調整する。
ラヴィーネと二人と言う事もあり、普段より肩の力は抜いているようだが、それでも腐っても元老院なだけあって一切の隙は無い。
もしラヴィーネが多少なりとも魔法が使え、今元老院の打ち込んだとしても、さらりとかわしてしまうだろう。
「で、これから私はなにをするの? どんな予定? ……それと、いつまでもエレムルスってうるさいな。ラヴィーネだよ」
顔の下半分を覆うように服と同じ薄く白い布を被せられつつ、ラヴィーネは不服そうに顔を上げる。
どうせ口元を覆ってしまうなら、白粉も口紅も必要なかったのでは無いのか。
そんな不服そうな顔をするラヴィーネの隣で、元老院は飛び出すのでは無いかと思う程目を見開き動きを止めた。
「……名乗るなと最初に教えただろう。はぁ……」
ぐったりと肩を落とし頭を抱える元老院は、すぐ気を取り直したのか諦めたのか、立ち上がると今後の予定について説明していく。
どうやら間近に迫った近隣の国との会合の際、ラヴィーネを国の力の象徴と見せ付けるらしい。
そこまでは昨日王もそれらしい事を言っていたので、ラヴィーネも理解していたが、なぜ今こんな格好をしなくてはいけないのか。
するとそんなラヴィーネの思いが通じたのか、元老院はどさりと椅子に腰掛けると、さも面倒そうに口を開いた。
「言っただろう、王の趣味だと。王は私と然程歳は変わらないが、数年前に即位したばかりで、まだ何の功績も無い。先王の弟にあたる現王が、先王の直系を差し置いて即位したせいで、敵が多いのだろう。だから金竜の加護を得たと、自分の手柄の様に民草に見せるつもりなのだろう。反発する輩をいちいち潰すより、民草の支持を集めた方が楽だからな。全く、まさか王にとられてしまうとは……人生とは上手くいかないものだな」
元老院は扉に指を滑らせ、外に音が漏れないよう魔法をかけてから忌々しそうに呟くと、幾重にも羽織った重苦しいローブの首元を緩めた。
どうやら相当王への不満が溜まっているらしく、元老院は扉に鍵をかけるだけでは無く、更にその上から魔法でも扉が開かないようにする。
ラヴィーネは装飾品でいささか重くなった頭をゆっくりともたげると、片方の口角だけ上げた半笑いの状態でくつくつと笑い始めた。
「なにを今更。王族なんて昔から鬱陶しいだけじゃないか。上手く行くも何も、魔法使いに生まれた時点で、未来なんて期待出来ないじゃない」
ラヴィーネはベッドに座りなおすと、窓枠に頭を預け再び笑い出す。
資質の無い者は身分に縛られるかもしれないが、魔法使いは国によって人生そのものを決められる。
名前に学ぶ場所に仕事に婚期・交友関係、下手したら死ぬ場所まで国によって事細かく定められ、自由などと言うものは殆ど無い。
実はラヴィーネが骨の檻を抜けたこの八年も、交友関係と仕事内容は自由ではなく、解放されたとは言いがたいものだった。
唯一ラヴィーネが禁則を破ったのは本来の名前を名乗った事。
『ラヴィーネ・ヴァーゲンザイル』と言う名は、ラヴィーネの本名だった。
言った本人の元老院も肩を揺らし笑い始めたが、すぐ息を整え椅子の手すりに頬杖を付くと、しみじみとラヴィーネを眺めだした。
「本当はな、お前が骨の檻を抜けたこの八年、さっさと呪い等解いて、次期元老院としてお前を育てようと思っていたのだよ。解呪もせず骨の檻を抜けるとお前が言い出した時は、呪いをだしにサボりたいだけか、それとも魔物に恐れをなしたのかと思っていたのだが……。蓋を開けてみればまぁ、本当の意味で呪いだな。呪いによって徐々に人としては死んで行くのに、呪いが無いと生きていられないとは」
その言葉にラヴィーネは感心したように目を細め笑った。
憂いを帯びた目で自身を見つめる元老院の姿に、ラヴィーネはようやく全てを諦める覚悟が出来た。
「短い間に良くそこまで。あの蛇もなかなか……。……小型飛竜の炎に巻かれ、呼吸する度に気管が焼かれていくうちに、ここで楽になれるならそれで良いかって思ったんだけどね」
話しながら座り直そうとしたのか、ラヴィーネはほんの少し状態を起したが、すぐさま再び窓枠に頭を乗せ、外を眺めながら思い出すように言葉を落とす。
「殲滅戦だったから魔法は圧縮して持って行った。詠唱無しでも打てる魔法はあったんだけど、あそこで死のうとした。で、目を覚ました時には金竜の腕の中に居た。……人の殻を被った不完全な金竜として生き返った。だからこれは王の言う通り、呪いと言うか祝福なんだろうね。私を生かす為の祝福……私を人として殺し竜として生まれ変わらせる、呪い級の祝福。髪は伸びるのに姿が変わらないのは、竜としての圧倒的に長い命のせいか、それとも人としての器が死んでいるからか分からないけどね」
ふと窓の外に視線を落としていたラヴィーネは、こちらに歩いてくるエマの姿を見つけ、自然と笑みが零れた。
エマは今日も何処かに派遣されるらしく、顔を半分隠した状態で騎士二人と共に骨の檻本部の中に消えていく。
エマと共に居た騎士はルーファスでは無かったが、エマとルーファスの組み合わせはきっと戦場では上手く行かないだろうと思うと、ラヴィーネは込み上げてくる笑いを堪えきれなくなる。
真っ直ぐ猪の様に突き進むルーファスと、補助魔法よりも攻撃魔法を好むエマとでは、お互いに足を引っ張り合い結局いつもの様に喧嘩が始まるだろう。
ラヴィーネは小さく声を漏らすと、目を細めたまま再び元老院に視線を戻した。
「あぁでも、骨の檻に戻って来た時のエマの姿にはびっくりしたしたし、悪い事をしたなって思った。傷が治っても金竜がなかなか放してくれないし眠らないから、戻ってくるのに時間がかかったんだけど……まさか骨の檻で友人が出来るとは思わなかったな」
一瞬元老院は小首を傾げたものの、すぐラヴィーネが戻って来た時の事を思い出したのか、顔を緩ませる。
骨の檻でエマは良い意味で異端だった。
昨日ラヴィーネが何の躊躇いも無く骨の檻に攻撃した様に、骨の檻同士は仲が良い悪い以前に、何とも思っていないのが普通だ。
さすがに入って来たばかりの人間には、今後の事を思うと多少気遣いを見せるが、その時期を過ぎれば殺しても死なない、魔物より屈強な存在位にしか思わない。
たとえ腕がもげようが足が無くなろうが、翌日には普通に戦場に立っているのが骨の檻。
初めての戦場でエマが動けなくなるのもラヴィーネを心配するのも理解出来るし、ラヴィーネもそんなエマを庇護した理由も分かる。
しかし、もう骨の檻に入り何年も経つと言うのに、エマは未だに自分より格上のラヴィーネの身を案じ世話を焼く。
骨の檻に入る程の実力を持つのに、骨の檻に染まりきらないエマに、ラヴィーネは内心安堵しつつ、精神バランスを崩しやすい面を案じていた。
「たとえ望んでも、もう元老院にはなれないだろうけど……戦場で屍を晒すエマの姿は見たく無いな。ねぇ、大人しく王のおもちゃにでも何でもなってあげるからさ、エマを解放してあげてよ。あぁでも、元老院補佐には向かないからな……。私が人でなくなった時、もし理性が無くなったら、その時私を殺す役でも良いな」
「なぜその結論に至ったのだ。また酷な事を……それならば骨の檻として働くと泣き喚かれる私の身にもなれ。お前達はお互い大切に思うのは良いのだが、その仕方がどうも……教育の仕方を間違えたか」
それまで憂いに満ちた目でラヴィーネの話しに耳を傾けていた元老院だったが、突然方向性がおかしくなったラヴィーネに心底呆れたように肩を落とすと、指を弾き部屋に張っていた魔法を解く。
外の音が微かに聞えてくるようになったのを確認すると、元老院はラヴィーネをベッドに横たえさせる。
「それに、簡単に言ってくれるな。時期元老院候補を新たに見つけないとならないし、そもそも骨の檻程の実力を持つ魔法使いは稀有な存在なのだぞ? まぁ今はその話しは良い。午後から王に謁見に行く予定だ。それまでゆっくり休んでいろ」
悪戯っ子のように歯を見せ笑うラヴィーネに元老院は眉を下げると、そっと睡眠魔法を発動した。