21:面倒な依頼 4/6
夜、街で情報を集めた二人は、旅の疲れもあり早々に宿に戻ってきていた。
「ラズ、どうだ?」
ベッドに腰掛け剣の手入れをしていたルーファスは、元の姿で気持ち良さそうに布団に埋もれるラヴィーネに声をかけた。
一日回ってみて怪しい人間の話は出て来なかった。
やはり魔物か巨大化した動物かなにかの仕業だと疑うのが妥当だろう。
ルーファスの問いに顔だけ上げたラヴィーネは、角に枕を引っかけたまま眠そうに口を開く。
「大満足。温泉は広々だったし御飯も美味しい。これで元老院が召喚術を諦めたら言う事無しだね……」
ルーファスの意とした事と違う返事をしたラヴィーネは、言い終わるや再び布団の中に潜って行ってしまった。
女の姿をしている時は『オペラ』と名を改めたせいか、元老院の召喚魔法の影響は受けていなかったが、男の姿に戻った今はやはり影響が出るらしい。
それでも、元老院が『ラズ』と言うラヴィーネの愛称しか知らない為、完全な召喚魔法を組めないでいるらしい。
魔力も上がりそれなりに制御出来るようになった今、ラヴィーネは多少引っ張られるような感覚こそはあるが、愛称程度の不完全な喚び出しは寝ていても弾き返せる様になっていた。
「折角だしもう一回お風呂に入って来ようかな。人が居ない時じゃ無いと行けないし」
ラヴィーネはふと思い出したように顔を上げると、ベッド脇にかけてあったショールを手に取る。
当たり前だがラヴィーネは男湯に入る。
しかし、行くまでは女の姿で移動する為、どうしても人が居ない時に限られてしまう。
その苦労をすぐ側で見ていたルーファスは、角をしまい女の姿になったラヴィーネの肩にショールをかけてやると、自分も行くと準備を始めた。
廊下に出ると時間も時間なせいか、他の宿泊客達も部屋で寛いでいるらしく、どこからか話し声はするものの姿は見えない。
これ幸いとばかりに階段を下り、一階の奥にある温泉を目指していると、ふと、外の池の脇に人影を見付けた。
昼よりは幾分か肌寒いが、やはりクロイツだけあって薄手の服で外に出ても問題はない。
二人は寝衣に一枚羽織っただけの軽装でふらりと表に出るや、池の脇に佇む人に近付いていく。
すると、二人に気付いたのか人影は振り返ると、すぐさま柔らかな笑みを浮かべ会釈して来た。
「暗いですので、足元にお気をつけ下さいませ」
顔を上げた人影は女性。
手に鯉用の餌袋を抱えているのを見ると、昼間庭師の男性が言っていた若女将と思われる。
床に伏せてると言っていただけあって、若女将の顔は青白く生気が無い。
笑顔こそは浮かべているが、そのまま倒れ込んでしまうのでは無いかと思う程儚い雰囲気を持っている。
とっさにルーファスが女将の背に手を回し支えるのを見ていたラヴィーネは、笑いが堪えられずに静かに肩を揺らし始めた。
それに気付いたのか、ルーファスはラヴィーネを一瞥すると、柔らかな笑みを浮かべ若女将に視線を落とした。
「見事な鯉ですね。昼間なんかオペラが魔物みたいと怖がってた位ですよ」
突如名前を出されラヴィーネが顔を上げると、ルーファスは勝ち誇ったようなどうにも憎たらしい顔でにやりと笑みを作っている。
諸々二人の素性を知っているのは大女将だけ。ラヴィーネはすぐさま困ったような笑みを浮かべ、ルーファスの話に同調するかのように若女将に頷いて見せた。
「まぁ。うふふ、そうかも知れませんね。ここ最近、魔力が強くなったからか急に大きくなって。嬉しいのですけど、餌代がなかなか。最近は厨房で出たあまり物も与えてる程なんですよ」
盛大に飛び跳ねる鯉を眺めていたルーファスは、若女将の言葉に小首を傾げる。
ラヴィーネは大げさに若女将の話を聞き鯉を怖がって見せたが、やはり気になったらしくルーファスにしがみつくフリをし背中を小突く。
「若女将は魔力が、魔法の資質がおありなんですか?」
確かに若女将は『魔力が強くなった』と言った。
魔法の資質が無いと魔力は見えるはずも無い。
怖がる素振りを見せるラヴィーネを抱え池から少し離れたルーファスは、振り向きながら若女将に問いかけてみる。
すると若女将はどうにも言いにくそうに目を反らすと、胸元からネックレスを取り出してみせた。
「魔法の資質はありませんが、魔力の影響を受けやすい体質でして、こうして魔力除けのネックレスをしていないと日常生活もままならないのです。ですが、二ヶ月……いえ、一ヶ月程前からこの辺の魔力が強くなってしまい、最近は殆ど寝込んでばかりで……」
また新たにネックレスを新調しなくてはと、若女将は眉を下げ笑う。
気遣うようにルーファスが若女将の手から餌袋を取り上げると、ラヴィーネは気付かれない程度にそっと若女将から距離をとった。
常に魔法で姿を変えているラヴィーネは、魔力の塊と言って良いのかも知れない。
今ここで魔力を隠すような魔法をかけても、そもそも魔法を発動しただけで若女将の体に障るだろう。
ラヴィーネは若女将に声をかけつつも少し距離を置いて歩いている。
「すみませんこんな話をして。私は鯉の餌をもう一袋とってきますので、お二人はどうぞ湯浴みをなさって下さい」
「あぁ、あの大きさじゃ一袋じゃ足りないですよね。俺が取ってきますよ。場所は誰かに聞けば分かりますよね」
ルーファスは池を眺めながら呆れたように苦笑いを浮かべると、ラヴィーネに持っていた餌袋を渡し、手を振りながら宿屋の中に走って行ってしまった。
行動的で根っからの騎士団気質のルーファスらしいと言えばらしいが、普通貴族はそんな事をしないだろうし、そもそも貴族ならば貴族令嬢の腕の中に餌袋を落っことしたりしない。
再び笑いが堪えられなくなったラヴィーネは、肩を揺らしながら若女将と再び池の側までやってくると、揃ってその場にしゃがみ込む。
「オペラ様はルーファス様より魔力がお強いようですね」
若女将の言葉にラヴィーネが慌てて立ち上がると、餌袋の中身が池の中へとこぼれ落ちて行く。
想像以上に迫力のある食事風景に、流石のラヴィーネも少し引き気味になる。
すると若女将は相変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、ラヴィーネの手から餌袋を受け取るや、ぱらぱらと池に撒いていく。
「この子達ももっと大きく育ってくれると良いんだけど……。餌を変えてみても変わらないし、もう大きくならないのかしら」
女のラヴィーネと二人だからか、少し砕けた口調になった若女将は、ぽつりぽつりと話ながら鯉に餌をあげていく。
「そうなんですか。じゃあこれ以上は大きくなりそうにないですね」
ラヴィーネは鯉に視線を落としながらぽつりと呟く。
鯉の魔力を見て見ると、体に収まりきらない程の魔力を蓄えている。
人間ならば扱える魔力量に比例し体も成長し、それ以上の力を使う場合はラヴィーネの様に髪を伸ばすしかない。
急激に成長したと言う鯉も、魔力量に応じ体を巨大化させたようだが、魔力が溢れ出ている所を見るとこれ以上は成長しないらしい。
ラヴィーネはどこまでそれを伝えて良いか悩み、どうにも曖昧な相槌しかうてない。
すると餌袋の中身を全て池に投入するや、若女将はふらりと立ち上がった。
「やっぱりこれが限界なのね。じゃあもう食べ頃ね」
若女将の言葉にラヴィーネはしゃがんだまま若女将を仰ぎ見ると同時に、若女将はラヴィーネの首に自身がつけていたネックレスを通す。
すると途端にラヴィーネは魔力が封じられ、どうにか今の姿を保っているといった状態になり、その場にへたり込んでしまった。
「鯉より先に貴女ね。折角いらしたのだもの、飛んで火に入る夏の虫」
若女将はにやりと口角をあげると、ラヴィーネに飛び掛かるや、ラヴィーネを連れ池に飛び込んでしまった。