2:初めましては女装から 2/3
二人はまず、放置したままだと言う背中の怪我の治療から行う事に。
ラヴィーネは店の扉に掛けていた看板を裏返し、早々に店じまいをすると、なるべく人目につかない通りに面していない部屋にルーファスを通す。
ルーファスも人目を気にするが、ラヴィーネも女装した男の治療をしている所等、どうにも複雑な状況を周りから見られる事無く、ただただ治療に専念したかったのだ。
ドレスの背中を寛げると、そこには生々しい大きな引っかき傷があった。
ルーファスの話ではそれ程大した傷では無いと聞いていたし、確かにルーファスは問題無く元気そうに動き回っていたが、実際傷を見てみると何故普通に動き回っているのか不思議に思う程大きな傷が背中一面に綺麗に三本並んでいる。
ラヴィーネは少し息苦しそうなルーファスに申し訳なく思いつつも、少しだけ傷の周りの皮膚を採取してから治療にあたった。
傷自体は本当にただの裂傷。
治療をする分には何も問題は無かったが、ルーファスの額に浮かぶ玉の汗を見る限り、背中を寛げただけでも相当苦しいと言う事が見て取れる。
ラヴィーネはルーファスにドレスを着せなおすと、先程採取した皮膚の一部を硝子の容器に入れると、端が切れてぼろぼろになった羊皮紙を取り出す。
不思議な模様と数式が幾重にも書かれた羊皮紙を敷きその上に硝子の容器を置くと、ひとりでに容器が発光しだす。
どうやら羊皮紙に書かれていた術式は内容物を検査する物だったらしく、その羊皮紙の隣に何も書かれていない羊皮紙とインクとペンを置くと、ひとりでにペンが走り出し規則的で流麗な文字を刻んでいく。
ラヴィーネが片付けの為席を外している間、呼吸を整えたルーファスはその物珍しい光景を眺めていた。
しばらくしラヴィーネが再び角に色々な物を引っ掛け戻って来る頃には、すっかり机の上では傷口付近の皮膚の解析が完了し、いつも通りの静けさが戻っていた。
「んー、やはり人鳥の爪に何か着いていたと言う訳では無いようですね。となると、傷は関係が無い……?」
解析結果の書かれた羊皮紙に視線を落としながら、ラヴィーネは心底困ったように眉を下げソファに腰を降ろす。
店の入り口に吊るしてあった蔓状の植物が見事にラヴィーネの髪と角に巻きつき、神話か何かに出て来そうな風貌になっている。
これで花の一つでも咲いてれば完璧だとルーフェスが微笑ましく眺めていると、それが伝わったのか、ラヴィーネは以前『髪が茨になり全身に巻きつく呪い』があったと、笑いながら自身に巻きついた蔓を外し始めた。
呪いは人鳥が原因だがいまいちその正体が見えてこない。
ルーファスはこのままでは騎士としての業務どころか、着替えすら出来ず過ごす事になってしまう。
早々にルーファスが諦めかけた時、ふとラヴィーネがある事に気がついた。
ラヴィーネは机の上の物を無造作に端に寄せると、思い切り身を乗り出し対面に座るルーフェスの首元を覗き込む。
何事かとルーフェスが顎を引きラヴィーネに視線を落とすと、ラヴィーネはすかさずルーフェスの顎を両手で掴み、そのままぐいっと跳ね上げさせまじまじと首を観察していく。
しばし無言で眺めていたラヴィーネだったが、何を思ったのかルーファスのドレスを再び寛げ始めた。
徐々に苦しそうに顔を顰めていくルーファスを確認したラヴィーネは、再びドレスを着付けなおすと、今度は腕を組み考え込んでしまった。
「これは大昔の方法で行きましょうか。悪魔祓い」
ぽつりと溢したラヴィーネの言葉に、ルーファスは訝しそうに眉根を寄せる。
現在でも『呪い』と言う曖昧な言葉が残ってはいるが、所謂『石化の呪い』など一般的な物はその根源が解明され、怪我や病気などと同じ様に正しく治療をすれば簡単に治す事が出来る様になった。
しかし、その技術が確立されるまでは全て怨念や悪鬼の仕業と考えられ、悪魔祓いを行うか駄目なら感染者が出ないうちに呪いを受けた者を葬るかしか選択が無かった。
まさかいくら手に負えない症状だからと言って、そんな手法に出ると思っていなかったルーファスは、ラヴィーネを見詰めたままゆっくりと立ち上がるとそのままじりじりと距離をとり始めた。
警戒するルーファスを知ってか知らずか、ラヴィーネは戸棚から瓶や羊皮紙などを取り出すと嬉々としてテーブルに広げ始める。
じりじりと扉まで後退したルーファスが後ろ手でドアノブを握り締めるも、早々に準備を整えたラヴィーネはルーファスの腕を引き強制的に椅子に座らせる。
ルーファスは、自分は騎士であり普段から体を鍛えていると言う自信があり、この時まで華奢なラヴィーネに力で負ける気など毛頭無かった。
しかし、ラヴィーネは軽々と嫌がるルーファスの腕を引き椅子に座らせてしまった。
ルーファスは呆然と椅子に座りながら一体何が起きたのかとラヴィーネを見上げると、ラヴィーネの体の回りには目に見える程の風がゆっくりと渦を巻いている。
その光景を見たルーファスは、自身が一つだけ失念していた事を思い出した。
特殊素材専門店兼解呪屋のラヴィーネ自身も、元々はれっきとした魔法使いだったのだ。
今ルーファスが着ている物が魔法耐性のある騎士の制服ではなく、一般的なドレス姿だったのが仇となった。
絶句しうな垂れるルーファスの顔を強制的に上げさせたラヴィーネは、ルーファスの手の中に一つ、両手で抱える位の大きさの瓶を置く。
それは丁度店に置いてあった、妖精が入っていた瓶とほぼ同じ大きさだ。
ラヴィーネはその瓶のくびれた首の所に術式が書かれた細長く切った羊皮紙を巻きつけると、外れない様にしっかりと縛りつけ、満足そうに一歩下がる。
さも準備が完了したかのような表情のラヴィーネに、ルーファスは恐る恐る疑問に思った事を聞いてみた。
「悪魔祓いってこう、仰々しい祭壇を準備するとか、長々しい祈りの言葉とか、激臭を放つ薬とか生贄とか火炙りとか、そう言うのじゃ無いのか……?」
今ラヴィーネが準備をしたのは、ルーファスの手元にある瓶と羊皮紙だけ。
瓶はいかにもその辺に転がっていただけと言う物で、術式の書かれた羊皮紙に至っては、先程ラヴィーネが適当にその場で書き記し適当に裁断しただけの物。
もう少し仰々しい儀式的な物を想像し身構えていたルーファスは、変に肩の力が抜け、これからラヴィーネが何をするのか考えると余計に不安になる。
ラヴィーネは長い髪を無造作に緩い三つ編みにすると、瓶の蓋を片手に人懐こそうな笑みを浮かべた。
「やる事は大昔の悪魔祓いですが、やり方は現代風です。昔のやり方は苦しいだけで祓えるものも祓えないですしね」
あまり魔法や悪魔祓いなどの知識が無いルーファスは、現代風悪魔祓いと聞かされて安心して良いのかも良く分からずにいた。
しかし、ラヴィーネの言い方だと、これから行う現代風悪魔祓いは効果があるように聞えてくる。
腹を括ってラヴィーネの店を訪れたルーファスだったが、ラヴィーネの判断に任せようと再び自分に言い聞かせると、居住まいを正し真っ直ぐにラヴィーネを見上げた。
ルーファスの覚悟が決まるのを見届けたラヴィーネはもう一度緩く微笑むと、右手の人差し指を立てくるりと一周だけ回す。
指を回した軌道に沿って赤い光が輪を作り、もう一度回すと今度は青い光が輪を作る。
音も無く幾重にも現われては消える光の輪を、ルーファスが大口を開け見詰めていると、その姿にたまらず肩で笑い出したラヴィーネはルーフェスの首元に人差し指を向ける。
生き物のように光の欠片がルーフェスの首に纏わりつく。
光の欠片自体は何処か暖かく感じるだけで触れている感覚は無い物の、ルーフェスは自身の首に少し違和感を感じた。
何かが這い回る様な暴れるような、苦しくは無いが呼吸が出来なくなる時に感じる違和感がずっと続いている感覚がする。
そのルーファスの微妙な混乱を見逃さなかったラヴィーネは、ルーファスの顔の前で何かを捕まえるようにぎゅっと勢い良く手を握った。
すると一瞬ルーファスの首が絞まり再び解放されると、部屋中に耳を劈く程のけたたましい叫び声が響き渡った。
咄嗟に瓶を手放し両耳を覆ったルーファスだったが、ラヴィーネは冷静に瓶に手をかけると何かを入れるような動作をししっかりと蓋を閉める。
蓋が閉まると同時に、瓶に巻いていた羊皮紙の文字がうっすらと発光し、蓋を覆うように動き出し完全に密封してしまった。
羊皮紙の文字が再び光を失った頃には、部屋は元の静寂に包まれていた。
「お疲れ様でした。無事終わりましたよ」
未だに耳を塞いだままのルーファスの膝の上に瓶を置くと、ラヴィーネは何事も無かったかのようにソファに腰掛けた。
ゆっくりと自身の膝の上に視線を落としたルーファスの目に飛び込んで来たのは、瓶の中を跳びまわる小さな半透明の人鳥の姿だった。