11:トレント 1/4
早朝、ラヴィーネはルーファスに連れられまだ朝靄の残る森の中を歩いていた。
先日ルーファスが言っていた『面倒な案件』は嘘でも冗談でも無く、本当の事を言っていたらしい。
ラヴィーネが今日、何も予定が無い事を確認したルーファスは、日も昇らないうちに店を訪れるや、寝ていたラヴィーネを半ば攫うように馬に乗せここまで走って来たのだ。
森の入り口で馬を下りた二人は、道に沿って森の中を進んで行く。
「最近王都も人が増えて来たから、裏の森を切り拓いて新しい居住区を確保する計画になったんだが……」
先を歩くルーファスはラヴィーネに説明しようと振り返る。
しかし、すぐ後ろを歩いていると思っていたラヴィーネは、朝靄に霞む程遠くの木にもたれ掛かり二度寝の体勢に入っていた。
思い掛けず言葉を飲み込んだルーファスは、自身の眉間を解すように指で何度か揉むと、ラヴィーネの元まで戻り、ラヴィーネを肩に担ぐと再び歩き出す。
寝衣の上に適当な上着を羽織っただけのラヴィーネは少し寒いのか、担がれたままルーファスのマントを手繰り寄せ潜り込もうとする。
「で、先日森の中に仮小屋を建てて開拓を始めたんだが、すぐ作業者達に異変が起きて今は完全に作業が止まってしまったらしい。どうにもそれが魔物による妨害なのか呪いなのかはっきりしないみたいでな、とにかく一度見てくれ」
重い金属音を響かせながら歩くルーファスは端的に説明すると、ラヴィーネを起こすように数回背中を小突く。
「魔物でも呪いでもどうでも良い……」
寝言のように呟いたラヴィーネが丸めたマントに顔を埋めると、ルーファスは思い切り草の上にラヴィーネを放り投げてしまった。
「骨の檻に依頼をしたくても、今近くに動けるやつが居ないんだ。帰還を待ってたら時間がかかる。最初、王都駐在魔法使いにこの話が行ったらしいが、原因不明で全員お手上げだとさ。そんでこっちにおはちが回って来たって訳だ」
朝露に濡れた体をのそりと起こしたラヴィーネは、ルーファスの言葉に耳を傾けるや、不満そうに森の奥に視線を向ける。
しばし周囲に視線を走らせていたラヴィーネだったが、地面に目を向けると舌打ちをした。
「原因不明ね……。本当にそうだったらど三流、全て分かってて騎士に投げたならそれはそれで問題だね」
起き上がろうとするラヴィーネの腕を引いていたルーファスは、ラヴィーネのその言葉に眉根を寄せる。
上着と髪についた朝露を払いながら、ラヴィーネは体を伸ばすと、髪を編みながら歩き出した。
立ち止まったまま先程のラヴィーネの言葉の意味を考えていたルーファスだったが、すぐ頭を切り換えると、先を行くラヴィーネを追い掛け始めた。
作業者がいる仮小屋の扉を潜ると、ルーファスは思わず顔を背けてしまった。
ルーファスも実際に現場を見たわけでは無く、聞きかじった情報を頼りに現場検証に訪れたのだが、どうにも駐在魔法使い達は報告の義務を怠ったようだ。
作業者の多くはもう人の形をしていなかった。
全身至る所から枝が生え深いヒビが入り、足は床と一体化してしまっている。
どうにか目や鼻などが確認出来るので元は人だったと判別出来るが、それが無かったらただ朽ち果てる寸前の木がそこにあるだけにしか見えなかった。
仮小屋の中では五人、既に完全に木になっていた。
ある者はベッドに横たえたまま、ある者は椅子に座ったままの体勢で、その場にしっかりと根を生やしている。
仮小屋の奥でまだ完全に木になってない男が一人居たが、足はしっかりと根を張りもう動かす事も叶わない。
絶句するルーファスの隣で、入り口の脇で座ったまま木になっている男を確認していたラヴィーネは、深々とため息をつくと仮小屋を出てしまった。
慌ててルーファスが後を追い掛けると、ラヴィーネは点々と切り倒されている木に視線を向けていた。
「あの作業者達は全員、樵夫かな? 何で態々あの木から伐ったんだろう」
ルーファスがラヴィーネの視線を追うと、その先には巨大な切り株がうっすらと見える。
その巨大な切り株と仮小屋を繋ぐように、他の木々も何本か切り倒されていた。
「情報だと樵夫で間違い無い。腕に自信のある名だたる樵夫を集めたとは聞いてるが……」
ルーファスが巨大な切り株に近付こうと一歩踏み出すと、ラヴィーネが腕を掴み引き留める。
その顔は怒りとも悲しみとも言えない、ただただ悲痛そうに歪んでいた。
「それ以上近付くとルーも呪いを貰っちゃうよ」
ラヴィーネのその言葉にルーファスは思い切り後ろに飛び退く。
「この真下には大きな魔路が通ってるんだ。そしてその魔路の上に何百年何千年も腰を据えていたのがあの木――他と見分けがつかないと思うけど、天災級のトレントだよ」
天災級と言う言葉にルーファスは背筋が凍り付いた。
もうただの切り株しか残っておらず、今となってはその全貌は分からないが、相当巨大な木だったと推測される。
呆然と切り株を眺めているルーファスの姿をしばし黙って見つめていたラヴィーネだったが、ぎゅっと眉根を寄せるとその腕を掴み来た道を引き返し始めた。
「あの樵夫達はもう手遅れだよ。治せない。それよりこれ以上ここに居たら危ない。トレントを拠り所にしていたドリアード達も集まって来たし、一先ず撤退しよう」
そう告げるやルーファスの腕を掴んだままラヴィーネは走り出した。
しかしルーファスはラヴィーネの腕を掴むと立ち止まり、強引にラヴィーネの足を止めた。
「ちょっと待て! 手遅れなのは分かったが、残った呪いはどうするんだ? まさかこの辺一帯を禁域にするつもりか?」
「準備も何もしてないこんな軽装じゃどうにも出来ないんだよ! ルーだって本格的に武装してないだろ? そんな格好で天災級の呪いとドリアード達と戦うつもり? 二人だけで? なんにせよ、今はどうにも出来――」
初めて余裕のない表情を見せるラヴィーネにルーファスが戸惑っていると、ラヴィーネがルーファスの後ろの一点を見つめ言葉を飲み込んだ。
確認しようとルーファスが少し体を捩った瞬間、再びラヴィーネがルーファスの腕をとり走り出した。
「ルー! 振り返らず全力で走って!」
ラヴィーネはルーファスの腕を引きそう叫ぶと、後方とルーファスに向けいくつかの魔法を発動する。
途端に体が軽くなったルーファスは自分でも驚く程の速さで走り出す。
しかし、それで少し心に余裕が出たからか、振り向くなと言われたにもかかわらず少しだけと自分に言い聞かせほんの少し、横目で後ろを確認した。
すると先程までルーファスとラヴィーネ以外何も居なかったはずの後ろに、猛然と迫り来る四足歩行の半分朽ち果てた真っ黒な木が数体と、空中には緑の髪をした半透明の女性が三体、近くの枝を掴むや次々と真っ黒な木を生み出し二人に向かって投げつけていた。
とっさにルーファスは振り返りながら少し後ろを走っていたラヴィーネを肩に担ぐと、言われた通り一心不乱に全力で走り出した
「何だよあれどうにかしろよ!」
「だから振り返るなって言ったでしょ! あれが天災級トレントのドリアードと呪いで変化した森の番人だよ!」
頭上から降り注ぐ枝や木の実を魔法ではじき飛ばしながら、ラヴィーネはドリアード達に向け魔法を放っていく。
ラヴィーネの魔法は確実に真っ黒な木、呪いで変化した森の番人を焼きはらっていくが、ドリアード達が新たな番人を創り出す速度の方がはるかに早い。
見る見る二人の周りには番人がひしめき合い、ついに正面からも番人が走ってくる。
「ルー! 絶対に番人には触らないで! あとその辺の木にも触っちゃ駄目!」
「じゃあどうしろってんだよ!」
津波のように後ろから押し寄せる番人の処理で手が離せないラヴィーネは、ルーファスにそう助言するだけで前方の番人は無視するつもりらしい。
ルーファス剣を抜き迫り来る番人を斬り捨てるも、一撃いれただけで剣はたちまち木に変化し、刀身に深くひびが入ると瞬く間に砕け散ってしまった。
とっさに剣を投げ捨てたルーファスは、ラヴィーネが触るなと言った意味を嫌と言う程理解したと同時に、現在自分達が置かれている状況が最悪の物と言う事も正しく理解した。
「あぁ忌々しい! 森ごと焼きはらって良いなら楽なのに……! 森から出たらドリアード達は追って来れないからあと少し頑張って!」
ルーファスの肩に担がれたままラヴィーネは舌打ちをする。
的確に一体ずつ焼きはらっているが余りにも効率が悪すぎる。
だが、森を焼いてしまえば、すぐそこに隣接する王都にも影響が出てしまう。
まともに準備も時間も無く戦闘に雪崩れ込んでしまった今、ラヴィーネが最善を尽くした結果がこの状況だ。
森の出口が見え、ルーファスは全ての力を使い切るつもりで走る足に力を込める。
横からも上からも番人達が襲いかかり始め、もう夜も明け日が昇っていると言うのに二人の周りだけ薄暗く闇に包まれている。
もうあと少しで森から出れると言う時に、また正面から一体番人が現れた。
がむしゃらに走るルーファスはぎりっと音が鳴る程強く歯を噛み締めると、叫び声を上げ番人を踏み越えると、そのまま森の外に転がり出た。
するとラヴィーネが言っていた通りドリアードと番人は森の入り口で二の足を踏むと、二人をじっとりと見据えたまま再び森の奥へと戻って行った。
「ルー! 靴脱いで靴!」
ラヴィーネを放り出し自分も地面に転がり森を眺めていたルーファスだったが、突然勢い良く飛び付いて来たラヴィーネの言葉にすぐさまブーツを脱ぎ捨てる。
先程番人を踏み越えたせいか、ブーツは木になり始めていて、ルーファスが脱ぎ捨てると同時に完全な木になり乾いた音を立て砕けてしまった。
もし幾重にも魔法を重ね掛けした騎士団のブーツを履いていなかったら、番人を踏み越えた瞬間ブーツは木に変化していただろう。
呆然と砕けたブーツを眺めているルーファスの隣で、しきりにルーファスと自分の体を確認していたラヴィーネだったが、何も問題が無い事を確かめると思い切りため息をつき、ルーファスの背中に自分の背中を預けもたれ掛かる。
「もう、なんの気構えも無く天災級は無理だよ……」
ラヴィーネは緊張も不満も全て吐き出すようにそうこぼすと、どさりと地面に横たわってしまった。
「帰ったらまず、無事だった樵夫に話を聞くのと、駐在魔法使いの所に殴り込みに行かないか?」
森の入り口で木になってしまった馬を見つめながら、ルーファスは恨めしそうにそう吐き捨てた。