10:元同僚の昔話 4/4
重苦しい空気が部屋中を支配する中、ラヴィーネが小さく呻き声をもらし、エマの腕の中で身動ぎする。
「そろそろ睡眠魔法が破られそうね。と言うわけで、私怒られる前に帰るわ! 最近はちょっとやそっとの怪我ぐらいじゃ大丈夫みたいだけど、くれぐれも大きな怪我はさせないでね! じゃあまた今度ー!」
「は!? おいエマ――」
エマは突然立ち上がるや、ルーファスの上にラヴィーネを落っことすと、入り口に立て掛けていたマンドラゴラを手に走って行ってしまった。
遠くで店の扉が閉まる音が聞こえると、再び部屋は静寂に包まれる。
エマの話を聞いた結果、新たな疑問が生まれてしまい、ルーファスは力無くため息をつく。
その直後、ラヴィーネは目を覚ますと不満そうに目を細め体を起こし、何故かルーファスの膝の上に座り直した。
「寝起き最悪……。頭がぐるぐるする。いつになったらエマは魔法が上手くなるんだろうね」
「骨の檻なんだから下手も何もないだろ。……と言うか退いてくれ」
ルーファスは再びため息をつくと、自身の膝の上に座ったままぼんやりとしているラヴィーネを持ち上げソファに放り投げる。
そのままもぞもぞと身動ぎし寝そべってしまったラヴィーネは、のそりと顔を上げると部屋中を見渡す。
「エマは帰ったみたいだね。で、骨の檻の事は聞いたんだ。別に言う必要も無いと思うんだけどね……って、また栗全部食べてったな。高いのに」
マロングラッセの箱に手を伸ばし乾いた笑い声を上げるラヴィーネに、ルーファスもつられて笑う。
先程の話だとどうにもラヴィーネは恐ろしい力を持った人間に思えるが、目の前で寝そべるそれは相変わらず毒気を抜かれる、世話を焼きたくなるラヴィーネそのものだ。
「まぁ、角の事を説明するのに別にあそこまで話してくれなくても良かったかなとは思ってる。角が伸びて困るなら思いっきり折ってやろうか?」
にやりと悪巧みをする子どものようにルーファスが笑うと、ラヴィーネは飛び起き両手で角を掴みソファの端に後退していく。
そのあまりにも怯えきった小動物の様な仕草に、ルーファスはずっと張り詰めていたものから解き放たれるように、テーブルに突っ伏し涙を流す程笑い転げた。
ラヴィーネはルーファスが笑い転げているのを確認すると、不満そうに頬を膨らませお茶を作り直す。
しかし、準備してあったのが来客用茶葉だと確認すると、戸棚に手を伸ばし普段使いの茶葉を取り出す。
そして自分の分だけで無く、ルーファスの分も当たり前のように普段使いの茶葉でお茶を煎れ、戸棚からりんごのコンポートを取り出だすと一人で頬張り始めた。
「嘘だよ悪かったって。……疑うわけじゃ無いけど、ラズを見てるとさっきの話がいまいちピンと来ないんだよな」
「だからって折ろうとしないでよ。魔法なんか普段使わないし、骨の檻で使うような魔法なんかそれこそ縁が無い。強いて言うならお湯を沸かすのが面倒な時にちょっと使う位」
コンポートをもう一口頬張ったラヴィーネが、エマが使っていた空のカップに手を添えると、どこからともなくお湯が湧き出しカップを満たしていく。
確かに現役を引退した今、日常生活で魔法を使うような場面は少ないだろうとルーファスも納得する。
「その角、解呪出来ないのか?」
「解呪は無理かな。出来たとしても……うん、この話はもう止めよう。つまんない」
言葉を濁し、露骨に話を中断したラヴィーネは、ルーファスの口にコンポートを詰め込むと、カップに満たしたお湯を捨てに部屋を出て行った。
ルーファスはまだ色々聞きたい事はあったが、今はまだ聞くべき時じゃ無いと判断すると、コンポートを咀嚼しながらカップを片手にラヴィーネの後を追う。
すると部屋の向かいのキッチンで、相変わらず飾りのれんを角に引っかけ藻掻くラヴィーネの姿が目に飛び込んで来た。
いっそ角に物が絡まない魔法か何かをかけてしまえば良いのではとルーファスは言いそうになるも、キッチンにカップを置きため息をつくと、いつも通り絡んだ飾りのれんを解きにかかる。
ルーファスが来た事に気付いたラヴィーネは、どうにもバツが悪そうに歯を見せて笑うと、そのまま洗い物を始めてしまった。
洗い物をしようとラヴィーネが俯いた瞬間、シンクの中に落ちそうになったラヴィーネの髪をルーファスは慌てて纏め上げると、再びため息をつき飾りのれんに手をかける。
しかしふと、ある考えが頭を過ぎり、気付いたらそれが口からつい出ていた。
「これが女だったら……魔法でどうにか……いや、思い込むんだ俺」
「ルー、何言ってるの?」
泡だらけのカップを持ったままじりじりとルーファスから距離を取るように動くラヴィーネだったが、ラヴィーネの髪とまだ絡んだままの飾りのれんを持っていたルーファスも一緒になって移動する。
ラヴィーネは心底嫌そうに頭をふりルーファスを引き剥がそうとするも、余計角に飾りのれんが絡まり悪化する一方。
しばらくし諦めたのか、カップをシンクに戻し手を洗うと、ラヴィーネはルーファスを引き連れ再び部屋に戻り、一人掛けソファに座り背もたれに頭をもたれかける。
「そうだ、もう煩わしい所属がどうこうってのが無いんなら、直接ラズに好き勝手依頼しても良いんだよな? 丁度今、面倒な案件が何個かあったんだよ」
ソファの後ろに立ち棚にもたれ掛かりながら、ルーファスは思い出したように口を開いた。
するとラヴィーネは少しだけ体を捩りルーファスを見上げると、面倒そうに欠伸を一つする。
「えー、面倒事は嫌……。機会があったらさっき言ってた姿を変える魔法をルーにかけてあげるよ。これで潜入捜査も行けるよ良かったね」
くすくすと笑うラヴィーネをじっとりと恨めしそうに見つめるルーファスだったが、ラヴィーネの過去を知ったからと言って特になんら変わらない事を確認し、ひとり満足げに笑みを深めた。
そのまま、以前見た時よりもほんの少しばかり内側に捻れたような気がするラヴィーネの角を掴むと、酷く絡みついた飾りのれんを取り除く作業を再開させた。