立待月 朝
あくる日の朝食後。
俺は、見た目にはいつもと変わらない院内生活を過ごしていた。
ベッドの傍らに国語辞典を置いて、表紙にカバーをかけた本を読んでいると。
「相変わらず勉強熱心だね、あんちゃん」
隣のベッドにいる初老の男性――名前は覚えてない――が、優しく声を掛けてきた。
「え? あ……う、うん。まあね」
俺は愛想笑いを浮かべ、多量な飲酒が祟って肝臓を患っているその男性に応えた。
当時の俺は特に自慢にするつもりはなかっただろうが、俺は九歳にしてすでに、愛想笑いの極意を会得していた。
「けどあれかい? まだ手術を嫌がってるのかい?」
続いて、今度は智哉の向かい側から声が掛かる。
先の肝臓患者よりも老いた印象を受ける彼は、腎臓を患っていた。この人の名前も、やっぱり覚えてない。
「あ。……うん」
「そうかい……」
「…………」
いつもと変わり映えしない俺の答えに、彼らの他に二人いる肺病患者たちも言葉を失ってしまい、病室内に沈黙が落ちた。
かつての俺が患っていた病、『漏斗胸』は本来、術前・術後を併せても、半月も入院していれば充分なものだった。
けれど、看護師や医者が説得しても、周りが宥めても。親たちが叱っても。
俺は頑なに手術を拒んでいた。
生来の人見知りと、不慣れな土地の病院に独りで入院している不安。
それと、自らの身体にメスを入れる恐怖とが、重なったせいでな。
そんな俺が、初めてあっという間に会話を交わせた女の子。
初めて「似てる……」と感じた他人だったルナは、当時の身長が一三〇センチにも満たなかった俺より頭一つ半くらい高くて、綺麗な黒髪で、瞳が大きくて目鼻立ちのハッキリした、凜とした声音の少女だった。
あの時は月光の演出効果もあって、少々過剰に綺麗に見えたかも知れない。
けど間違い無く、当時の彼女は誰の目から見ても綺麗で、可愛かっただろう。
なにせ、人見知りが激しくて女の子になんかてんで興味の無かった当時の俺がそう思ったくらいだからな。
そんなコに初対面でいきなり、「んじゃトモ君。これからは毎晩、ここで会おう。ねッ」
なんて、逢引に誘われたんだ。
戸惑いはしたが、当時は逢引なんて言葉を知らなかったから反対する理由はどこにも無かった。
だから受けたよ。
でも一晩経つと、迷いが出てきて。
(だけど、会う時間が夜ってゆうのはまずくないかなぁ、やっぱり)
病室のベッドで『シャーロック・ホームズの冒険』を読みながら、俺はそんなことを考えてた。
――ま。
結局はその晩も、屋上に行ったんだけどな。