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エピローグ

 二千三年八月某日。午後十一時正刻。


 此処は、北海道はとある町の郊外。二階建ての一軒家。

 白樺製の表札には、横書きで『小瀬』と記されている。

 その二階。小瀬家の長男の部屋では、日暮れからずっと、実に奇妙な光景が繰り広げられていた。

「――とまぁこれが、俺とルナとの馴れ初めって事になる」

《ほぉう……。なるほどねえ……》

 そこに居たのは、三月に二十二歳の誕生日を迎えた、その部屋の主である青年。

 そして、銀色なのだか灰色なのだかよく判らない、それなりに毛並みのしっかりしている―― 一匹の猫。

 今この家には、青年とこの猫の他には誰もいなかった。

 だがもし、彼をよく知らない誰かがこれを目にしたならば。まず間違いなく彼を、問答無用で病院へ連れ込んだことだろう。

 なにしろ青年は、

《で? その後はどうしたんだ?》

 目の前にいるこの灰銀色の猫と、会話をしていたのだから。


 まだ仔猫なのだろうか。ずいぶんと小柄なその体躯。だがその態度と口調は、体つきとは裏腹に巨大で横柄なものだった。

《もちろん、それだけで終わったわけではないんだろ?》

 二人掛けのソファの真ん中に、でん、と陣取って体を丸めて座り、長い尻尾を揺らしつつ毛繕いしながら、青年の話をアクビ混じりで聞いていた。

 だが青年は、仔猫のそんな態度など何処吹く風で語りを続けた。

「うん? ああ。そのあとにも色々あったよ。手術はもちろん上手くいったし、ルナとも再会したり、勇希(ゆうき)姉や(あおい)とも逢ったりな」

《逢った? 知り合った、の間違いじゃないのか?》

 毛繕いを止めぬまま、器用にも尻尾で「?」を形作りながら疑問を投げかける。

「いんや。姉妹と知り合ったのは、退院して間もなくだったよ。ちょうど、聴き取り範囲が拡大したり念話も使えるようになった頃だ」

《ああ、なるほどな。そう言いやいま俺様とこうやって話ができるのも力のひとつだって言ってたよな》

「……聴いてなかったのか? 俺の話」

 ついさっきまでチカラのことを交えて昔話を聞かせていたにも関わらずそんなボケをかました仔猫を半眼でにらみ、声のトーンを急落させる。

 その様子に険悪な雰囲気変を察知したのか。仔猫は急に口調を変え、調子のいいことを言い繕った。

《あ。……い、いや冗談。ちゃんと聞いていましたぜ? 旦那ッ》

「誰がダンナだ」

《てへへへへ……》

「ったく……」

 呆れ顔の青年。照れ隠しのつもりなのか前足で顔を掻く仔猫を見て、声のトーンを元に戻した。

「――そしてそのあと、ルナに告白したんだ」

《なぬっ!? それでっ? どうなったっ!?》

 『告白』と言う単語を耳にした瞬間、仔猫は「!」を表すように尻尾をピンと立たせて色めき立った。

 見掛けによらず、耳年増な仔猫である。

「お前なぁ……。まぁいい。その話は、また今度してやるよ」

《ええ〜っ?》

 心の底から『声』を上げ、脱力した尻尾がへなへなと萎えていく。

「あぁぅるさいっ。ンな昔話より、実物に逢う方がいいだろ? ほら、早くしないと置いてくぞ」

《へ?》

 言いながら着替えを始めた青年に仔猫は再び尻尾で「?」を形作り、間の抜けた『声』を発した。

「……あのな、今日が旧暦で何日だったか忘れたのか? 『月の猫族アルトァミス』の子孫のくせに。

これもさっき話しただろ。十三年前に俺がルナと出逢ったあの日が、何の日だったか」

 ため息をつきながら、記憶を呼び起こしてやる。

《え? えーと……》

 前足をあごにあてて頭上を見上げ、記憶を辿る。

 くるくると旋回していた尻尾の先がやがて、ぴたりと止まった。

《思い出した。そっか、今日がその日なのか》

「っとに世話の焼ける……。そういうことだ。ほれ、中に入れ」

《おうっ。って……》

 黒のスラックスに白いジャケット。その中に淡い青のシャツ。

 なにやら余所行きの恰好に着替えた青年が、手に取ったもの。それは――

《……なあ。やっぱりソレに入んなきゃダメなのか?》

「今さら何を言うかな、お前は。俺がどうやってあの場所に行くと思ってる?」

《いや、まあ……それはわかりきってるけどな。だが……》

 ――ソレは、鳥篭だった。

 籐で編まれた縦長のドーム型で、普通の仔猫が三匹くらい入っても余裕でじゃれ合えそうな大きさ。

 その頂点には、専用のスタンドに引っ掛けるための金属製の丸い輪っかが付いている。

 ただし、そのスタンドはこの部屋には無かった。

《俺様は文鳥かっ!?》

「いや、どっからどー見ても猫だろ?」

《……お前があの有名なアニメ映画を大好きなのは、俺様もよーく知ってる。だがな。何度も言うが、あれに入っていたのは『ヌイグルミ』だったはずだろ?》

「なーに言ってる。忘れたか? 成り行きではあったが、あとで『本物』も入ったんだ」

 彼らがここで話しているのは、ある有名な、魔法使いの少女の出逢いと成長を描いたアニメ映画の事である。

 『ヌイグルミ』だの『本物』だのと言っているのは、それに登場する黒猫のこと。

《だからってなあ……うわっ》

「四の五の言っとらんで、大人しく入れっ」

 なおも渋る仔猫の首根っこを引っつかみ、無理矢理に鳥篭に放り込む。

《あぁ〜。月の猫族の子孫であるこの俺様が、こんな狭いとこに閉じ込められて運ばれるなんて……》

「つべこべ言うな。鴉たちのエサになりたいか?」

《うぐ》

 呟き嘆く仔猫を黙らせて鳥籠を持ち、机の引出しを開ける。

 青年はそこから小さな箱型の包みを取り出して大事そうにジャケットの内ポケットにしまい込み、階下に降りていった。


「ありゃ、曇ってるなぁ……」

 玄関で大きめの箒を手に取って外へ出ると。

 そこにあったのは、静寂を覆う暗闇と、暗闇と同じ色をした雲だけだった。

「まっ、いっか。さあ、行くぞ」

《はぁっ……。もうどうでもいいや》

 だが青年はそんなあいにくの空模様にも特に気落ちした様子もなく。

 仔猫は空模様とは別の意味で肩を落としていた。

《けど、あんまし飛ばすなよ? 鴉どもにつっ突かれるなんて俺様はご免だからな》

「ああ。……努力するッ♪」

《なにぃっ?》

 仔猫にいたずらっぽい笑みを放ってから箒の柄に鳥籠の輪っかを通して跨ると。

「よっ」

 青年は軽い掛け声とともに地を蹴り、仔猫もろとも夜空へ身を躍らせた。


 自らが住む家も地域も、街までもが、見る見る小さくなってゆく。

 やがて闇色の雲を抜け、辿り着いたそこには。

 「うーん。いつ来てもここは気持ちがいいな。大好きだ」

 目の前に、ほんの少しだけ欠けた満月、十六夜月が晧々と浮かんでいた。

 蒼い光にさらされて多少霞んではいたが、星たちもしっかり瞬いている。

《へっ。ナントカと煙は高いところが好きって言うしな》

 そんな軽口を叩く仔猫。鳥篭の柵越しに蒼黒い雲海を見下ろしたことで上位を錯覚し、気が大きくなったらしい。

 しかし。

「……行き先変更して、鴉どもの巣まで送ってやってもいいんだぞ?」

 爽快な気分を害された青年は、その顔に爽やかな笑みを貼り付けたまま警告した。

《……すまん》

「ま、わかればよろしい♪ んじゃ、いくぞ?」

 後頭部に大きな汗を浮かべて謝る仔猫を見て満足げに笑い、スタート直前の競輪選手のように身構えると。

《言っとくが、スピード違反は許さんぞ!?》

「聴こえねー……っよ!」

 仔猫の警告をスルーし、文字通りのロケットスタートで、西の空のかなたへと消えていった。


 そこにあるのは、青年の少年時代の想い出の地であり、やがて少女達との再会の地にもなった、あの場所。

 だがそれを語るのは、また、別の機会にしたいと思う。



 ― 終幕 ―


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