エラいことになった
ゴールデンウィーク真っ只中。ガラス戸から太陽光が差し込む自室でメロは目覚めた。
外からけたたましい救急車のサイレンが聞こえる。
枕元の目覚まし時計を見ると時刻は午前九時十一分。昨晩、夜明け前まで遊んでいたことを考えると、起きるにはまだ早い。寝返りを打って二度寝を決め込もうとするが、尿意と空腹がそれを許さなかった。
用を足し終えてパジャマ代わりに着ているジャージの裾で手を拭きながらトイレから出ると、妙な違和感を感じる。しかし、寝ぼけた頭ではその正体に気付くことができない。
ふらふらと散らかった部屋のテーブルから買い置きのドーナツとリモコンを取り、テレビの電源を入れたところで違和感の正体に気付く。
「やけにうるさいな・・・。」
普段ならすぐに通り過ぎて小さくなるはずのサイレンがずっと鳴り続けている。そして、サイレンに交じって怒号や悲鳴のようなものまで聞こえてくる。
ドーナツを頬張りながらガラス戸を開けてベランダに出ると、向かいにある五階建てマンションの四階ベランダからピンク色をした布の塊のようなものが駐車場に落下し、鈍い音を立てた。ピンクのトレーナーを着た女だった。
「え・・・。」
突然の事にその場で固まっていると、背広を着たサラリーマン風の男がうつ伏せのままピクリとも動かないトレーナーの女にふらふらと歩み寄る。
様子がおかしい。
そして、次の瞬間。背広の男が屈み込み、トレーナーの女の首に噛みついて肉を食べ始めた。
「・・・ッ!」
予想だにしないショッキングな出来事にドーナツを片手に持ったまま尻餅をつく。
「おい!外に出るな!」
斜め左にある民家の二階窓から頭髪の薄い男が怒鳴る。
その声で我に返り、室内に転がり込むと、テレビで臨時ニュースを放送していた。
「全国各地で暴動が発生しています。放送をご覧の皆様は不要な外出を控え、公共機関及び自治体の指示に従ってください。」
若い男のアナウンサーが慌ただしい雰囲気のスタジオで淡々と原稿を読み上げている。
「松川市と中継が繋がっています。」
画面が街中の映像に切り替わる。
「・・・現在、松川市内に来ています。ご覧ください。辺りは逃げ惑う市民でパニック状態です。」
ヘルメットをかぶったリポーターの男が逃げ惑う人々を背景に実況を始める。
「先ほどから銃声のような音も・・・おい!何すんだ!」
映像が大きく揺れ動き、激しいノイズとともに真っ暗になる。カメラが落下したようだ。しかし、音声だけはまだ流れている。
「おい!ちょ・・・ッやめ・・・ッ、ぎゃああああああ!!」
リポーターの絶叫を断ち切るようにして突如、画面がスタジオに切り替わり、唖然とするアナウンサーを映し出す。
「・・・あ!ぜ、全国各地で暴動が・・・」
アナウンサーが先ほどと同じことをしゃべり始めたところでテレビの電源を切る。ふとガラス戸越しに外を見ると、明らかに死んでいる筈のトレーナーの女がゆっくり立ち上がり、血まみれのままふらふらと歩きだした。
「マジかよ・・・。」
これは暴動なんかじゃない。死者が生者を襲い、襲われた者がさらに生者を襲う。どう考えてもゾンビ映画みたいなことが起こっているとしか思えない。
とにかく情報収集をする為、ベッド近くの床に転がっていたスマートフォンを拾って立ち上げると、不在着信やメール、SNSの受信通知が多数届いていた。既に回線がパンクしているであろう電話とメールは後回しにしてSNSを開くと、いくつかのグループでは、メンバー間で安否を気遣うメッセージが書き込まれ、個人アカウントにも多数のメッセージが書き込まれていた。
全てのメッセージに対して返事をしているような余裕はない。その代わりとしてプロフィールページにある、誰でも閲覧が可能な伝言板に「生存」とだけ書き込んでおいた。そして、登録アカウント一覧ページを開くと、「対亡徒」という見慣れないグループから招待が来ていた。主催者は遊び仲間のゴス子だったので、迷わず参加してグループのトークページに移る。
対亡徒(5)
メロが参加しました。
月野「ご無事でなによりです。メロさん」
「誰かこの状況を説明できる?」既読4
D「ゾンビゲームと同じことが起こってる。」
「ああ、うん、そうね。このグループ名なんてよむの?」既読4
D「たいぼうと」
「ぼうとってどういう意味?」既読4
月野「ゴス子さんが考えたゾンビをさす造語ですよ。暴徒とかけたとか・・・」
「なるほどね。あいつらしい」既読4
松永「今後の動きは24時間以内に家に集合。事後、秘密基地に前進ってことでよろしく~」
「了解。秘密基地?」既読4
月野「集合場所で説明するそうです。あと、ゴス子さんがメロさんちに向かってるんで回収お願いします。」
「だから反応がないのか…わかった」既読4
SNSを閉じて電話とメールを試してみるが、案の定、繋がらなかったので早々に諦めてスマートフォンをポケットにしまう。
本来ならとてつもない不安に襲われるような状況だが、仲のいい遊び仲間の無事が確認できただけでかなり安心した。さて、避難の準備だ。
ワンルームマンションの数少ない収納スペースの内、最も大きなクローゼットを開けると、そこには趣味で集めたモデルガンが所狭しと並べられていた。コレクションを置いていくのは心苦しいが、今後の行動において必要なのは殺傷能力を備えた武器だ。そう考えながらクローゼットの片隅に置かれた青緑色のチェーンソーを取り出し、バッテリーを装着する。
まさかアルコールと中二病の相乗効果によって衝動買いした充電式チェーンソーを使う日が来るとは・・・。
バッテリーが満充電であることを確認し、二回ほど試運転したところで来客を知らせるチャイムが鳴る。
「来たか・・・。」
音を立てずに忍び足で玄関ドアに近づき、ゆっくり首を伸ばすようにしてドアスコープを覗くと、見慣れた顔がレンズに映りこんでいた。一安心してドアを開けると、黒を基調としたレースやフリルの付いたワンピース等のゴスロリファッションに身を包んだ金髪の若い女が立っていた。
「よく生きてたわね。」
女が静かに微笑みながら言う。
こいつが遊び仲間のゴス子だ。常にゴスロリを身にまとい、ゴスロリ以外の服装を見たことがないと言われるほどの完全なる中二病末期患者だ。
「お前こそよく家に来れたな。」
「あんなのろまごときにこの私が足止めされる筈がないわ。」
そう言うゴス子が右手に持っているマチェットの剣先から赤黒い滴が垂れているところを見ると、既に亡徒と交戦をしたようだ。
「さあ、行きましょう。」
「待て。まだ準備が終わってない。」
「ねえ、まだかしら?紅茶が冷めちゃうわよ?」
ボストンバッグに荷物を詰め込む俺の横でソファに座り、湯気の上がる二つのティーカップを眺めながらゴス子が言う。
「いや、手伝えよ!」
「それはあなたの問題でしょう?」
「つーかなんで靴履いてんだよ?」
ゴス子は黒く輝くロリータパンプスを履いたまま土足で部屋に上がり込んでいた。
「この状況に比べれば些細な問題ではなくって?」
「終わった!」
荷物の詰まったボストンバッグを玄関にドスンと置く。
「はい。すっかり冷めちゃったわよ。」
「ありがとう。」
差し出された紅茶を一気に飲み干し、ボストンバッグを肩に掛けて右手でチェーンソーを持ち上げる。
「その格好で行くの?」
ジャージ姿で出発しようとするメロにゴス子が聞く。
「時間が惜しい。このまま行く。」
「わかったわ。あなたの車で行きましょう。」
玄関ドアをゆっくり開けて外の廊下の様子を窺うと、そこには誰もおらず、正面に設置された柵の向こうにはいくつもの黒煙が上がる荒田市街が見えた。
「よし、行こう。」
ゴス子とともに廊下へ飛び出し、周囲を警戒しながら自宅のある三階から一階の屋内駐車場まで駆け下りる。そして、駐車場に入る直前で止まる。
コンクリートの壁で囲まれた広めの駐車場には俺のSUVとその隣に停まっているゴス子のコンパクトカーの他に数台の車が残っている。そして、床には数体の死体が転がり、亡徒と化した近隣住民も数体彷徨っていた。
「うへぇ・・・。」
軽い吐き気とともに思わず声が出る。
無理もない。映画やゲームで見るのとは訳が違う。立ち尽くしていると、一体の亡徒がこちらの存在に気付き、異様に血走った目でこちらを見つめながら血の気のない青白い両手を前に突き出してふらふらと歩み寄って来た。
「やば・・・。」
「生き残りたければ殺しなさい。脳を破壊すれば彼らは死ぬわ。」
耳元でゴス子が囁き、軽く背中を押す。
逃げられない。そう悟った瞬間、心臓の鼓動が激しくなり、頭の中に様々な感情が激流のように駆け巡る。そして、何の前触れもなく感情の激流が途絶え、無意識に体が動き出した。
左肩に掛けていたボストンバッグを滑り落とし、数歩前に出ると、チェーンソーの刃を回転させながら亡徒の頭頂部に押し付ける。ゴリュゴリュという肉と骨を切り裂く気持ちの悪い感覚が手に伝わる。眉間まで切ったところで亡徒が動かなくなり、刃を引き抜くと力なく倒れる。
肩で息をしながら死体となった亡徒を見下ろしているとゴス子が肩に優しく手を置いた。
「おめでとう。あなたは生き残る資格を手にしたわ。」
「・・・うえぇっ!げほ・・・ッ!おえええっ!」
とうとう耐え切れず吐いてしまった。
「大丈夫?」
「はぁ、はぁ、・・・水くれ・・・。」
「車で渡すわ。行きましょう。」
そう言って進行方向上にいた亡徒を躊躇いなくマチェットで切り倒し、駐車場の端に停められている車まで歩いていく。
「はい。お水。」
SUVの広々とした車内の助手席に座るゴス子がミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。
「ありがとう。」
礼を言って受け取り、口をゆすいで車外に吐き出す。
「ふぅ、すっきりした。・・・さて、行くか。」
「ええ。」
ゴス子がニコリと笑う。
そして、二人を乗せたカーキ色のSUVが駐車場を後にする。




