花の道
春が来る。冷たい風と共にたっぷり運ばれてきた雪は山の奥に融け残りを残すばかりで、森の草木は早くも蕾を膨らませていた。
「あ! スィニー! スィニエーク!」
森の泉の近くに生っている果物を集めていると、知った声に名前を呼ばれた。手を止めて振り返ると、鮮やかな緑の衣に身を包んだグリーンエルフの友人がいる。
「冬以来だな、ティノベール」
「そうだねー。冬はスィニが山から下りてこなくてなかなか会えなかったもん」
「おれたちスノウエルフは、夏籠りの支度をしなきゃならないからな」
そういうとティノは、おれが両手に抱えているものを見て納得したように頷いた。地面に置いてあるかごに果物を入れると腰を下ろす。隣を軽く叩いて、ティノに座るよう促した。ティノは嬉しそうな顔で、ぴょこんと跳ねるようにすぐさま隣へ座り込む。
「そっちは春の支度か」
「うん。木の芽が出始めてるから、そろそろ本格的に収穫だよ」
「それじゃあ獲りすぎないように気を付けないとな」
「ぼくたちとスィニたちの必要なものが被ることってあんまりないし、大丈夫だと思うけど」
「いや、あまり獲るとアースエルフに疎まれるんだ」
「……ああ、水果のことか。それなら仕方ないね」
この辺りには多くの種族のエルフが集落を形成している。森の近くにはティノたちグリーンエルフが一番大きな集落を、夏でも雪が融けない山奥にはおれたちスノウエルフが、他にもアースエルフやアクアエルフなどが暮らしている。
グリーンエルフ以外には各々休眠期というものが存在する。スノウエルフの場合は夏籠りがそれだ。山奥の凍った洞窟の中で夏が終わるまで眠りにつく。
「今回はいつくらいに起きるの?」
「さあ……こればかりはその年によるからな。ただ、この春は暖かくなるのが早いから長いかもしれん」
「えー、寂しいなぁ」
「秋なんてすぐだ、すぐ」
「スィニは寝てるからそんなこと言うんだよー。結構長いんだからね、スィニのいない夏って」
むくれながら言うティノの頭を撫でてごまかしながら機嫌を取る。休眠期のないティノに言われてしまっては、正直返す言葉がない。
「おれはそろそろ行く」
「もう行くの?」
「まだ準備があるからな」
立ち上がってかごを背負う。見上げるティノの瞳が寂しげに揺れている。
「ティノベール、夏が明けたら会おう」
「うん。……ねぇ、スィニ」
「ん?」
「君は春の花を見たいとは思わない? いつも花が咲く前に籠っちゃうだろ」
「見たいとは思うけど……秋にも冬にも、花は咲くだろ?」
「そうだけど……うん、わかった。じゃあまたね」
「? ああ、またな」
何だかティノの様子がおかしいと思ったが、深追いはしなかった。
帰り道で、早咲きの冬の花を一輪見かけた。息づく春の緑には不釣り合いな白い花だった。
緩やかに浮上する意識の隅で、ティノベールの声を聞いた気がした。もちろん夏籠りから目覚めたばかりなのだから、ティノが洞窟まで来ているはずはない。長い夢でも見ていたのだろうか。
「……ニ、…………エーク……」
「…………気のせいじゃないのか」
やはり聞こえる知った声に、起きたばかりの体に鞭打って歩き出す。薄暗い氷の洞窟へ徐々に外の光が入ってくる。眩しさに目を細めながら出ると、白銀の世界に似つかわしくない鮮やかな緑があった。
「おはよ、スィニ!」
「……よくおれが起きるとわかったな、ティノ」
「最近涼しくなってきたから。毎日ここへ来て、いつ起きるかなって名前を呼んでたんだ」
「難儀なことを……」
あっけらかんと言い放つティノに呆れて溜め息を吐く。気温はまだ少し高いようだが、確かに風は涼しい。
「それで、何か用か」
「うん。ちょっとついてきて」
「うわっ、こっちは寝起きだぞ!」
「大丈夫だって!」
おれの手を取ったティノは走り出した。久しぶりに体を動かしたからどこかぎこちなく、自分ではうまく走れない。ティノに引きずられるようにして山を下りた。
「どこへ行くんだ?」
「内緒。でも、素敵なところだよ!」
「はあ?」
ティノはくすくすと楽しげに笑っている。山を下りるとひたすら森のなかを連れ回された。木々は鮮やかな緑から黄や赤に彩りを変えようとしている矢先であり、まだ夏の名残も感じられる。
「スィニは春の花も夏の花も、ほとんど見たことないでしょ? 君はあまり興味ないみたいだけど、秋の花や冬の花とは全然違うんだ。すごく綺麗なんだよ!」
「はあ……え、花を見に行くのか?」
「そんなところ」
わざわざ花を見に行くようだが、夏も終わりがけ。夏の花はもちろん春の花を見られるはずがない。ティノが何を考えているのか、おれにはさっぱりわからない。
「…………到着!」
「っおいティノ、」
急に足を止めたティノにぶつかる。文句を言おうと体を引いたとき、辺りの様子に言葉を失った。
広い草原に、いくつものキャンバスが立てられている。大きさはバラバラだが、まるで一本の道を作るようにきちんと並べられている。その数は両手で数えても足りないほどだ。そしておれが言葉を失った原因は、そこに描かれているものだった。
「これは……花……?」
「さすがに、取っておけないからね」
「これ、全部ティノが描いたのか」
「うん、そう。結構時間かかっちゃって、実はあんまり早くスィニが起きないといいなって思ってたんだ」
ティノはおれの手を引いて歩き始めた。両側に飾られた色とりどりの花を忙しなく見やる。瑞々しさに溢れた花は、確かに秋や冬には決して見られない美しさである。半ば呆然と眺めていると、強く腕を引かれた。
「どう? これが自信作だよ!」
そう言ってティノが指した先には、いくつものキャンバスをつなげた大きな木が描かれていた。薄桃色の花びらが一枚一枚、丹念に描きこまれており、それだけで他を圧倒している。今にも風に乗って花びらが舞い散りそうな雰囲気をかもし出している。
ティノを振り返ると、ティノはにこっと笑みを浮かべた。
「綺麗でしょ? これ、桜って言うんだ。スィニたちが夏籠り始める頃に咲くんだよ。――次の春は、一緒に見られたらいいね」
「……まあ、考えておく」
くすくすと笑うティノから、恥ずかしさに顔を背ける。けれどすぐに桜の描かれたキャンバスを見上げた。
「ティノ、……その、ありがとう」
涼しいけれど、花の香りがする風が吹いていた。
部誌に提出したものを、少しばかり手直ししました。
他にもいろいろなエルフの種族を考えているので、また機会があれば書きたいところです。