第七章 全ての始まりと意に沿わぬ再会
『おいで、夜神。』
あいつは俺のあこがれだった。
あいつさえいれば、何もいらなかった。
なのに、神はそんな俺のささやかな願いすら無情にも奪っていった。
『夜神……悲しまないで…………』
『あ……』
『わ……たし…………は………』
死に際にあいつは俺に何を伝えようとしたのだろうか。今ではもうそれすら謎のままになってしまった。なぁ、雫、お前は…………
~・~・~・~
『マーデンビリア』から1キロメートルほど離れた小屋にやって来た夜神達は、『白金の城』で繰り広げた戦いの疲れを癒すためその小屋で一休みをしていた。夜神は外ではしゃぎまわる仲間たちを見つめながら「あの日」に思いを馳せていた。
「………雫。」
「……夜神君。」
「!!」
名を呼ばれ慌てて振り向いたその瞬間、神奈の顔が己の幼馴染にだぶって見えたのだ。ありえないことなのに、一瞬でも「彼女」に会えたと信じてしまった夜神は、未だに「あの事件」を引きずっている己に苛立ちを覚えたものの、すぐにその感情を胸のうちに押さえつけ、笑みを張り付けながら神奈に問いを投げかける。
「どうした神奈?」
どこかつらそうな表情を浮かべている神奈を見ながら、夜神は「神奈にこんな顔をさせた奴しばいてやる」と何とも物騒なことを心の中で考えながら、努めて優しい声色でそう尋ねた。すると神奈は夜神の方をまっすぐ見ながら、かすれるような声で呟いた。
「夜神君が悲しそうな顔だったから、……その、心配で。」
「!……悪い、心配かけたな。」
「………雫さんのことを思い出していたの?」
「ああ、「あの事件」が、全てのきっかけだからな。」
夜神にはかつて、誰よりも大切な幼馴染がいた。「彼女」が、夜神の世界の全てだった。生まれた意味を見いだせなかった夜神にとって、「彼女」の存在がまさに唯一無二にして絶対的な存在だった。だが、「彼女」は夜神の前からいなくなってしまった。
10年前の、「あの事件」によって……
~10年前~
夜神雄輝が当時8歳だった頃、夜神にはまだ「女性」らしさというものが残っていた。綺麗で雅な赤椿の模様が描かれた白の着物を好んで身につけていた彼女は、いつも、「彼女」とともにいた。「彼女」、嵐山雫は、夜神が人生の中で最も信頼できた人物だと断言できるほど好ましく思っていた長い空色の髪が特徴的で、雪のように白く透明感のある肌を持った美しい女性だった。彼女は剣の修行に明け暮れる夜神のために毎日握り飯を差し入れとして持ってきてくれて、それを彼女とともに食べるのが夜神の数少ない楽しみの一つだった。
幸せで幸せでたまらない日々、幸福ばかりが満ち溢れた世界
ともに彼女といたいと願っていた夜神のささやかな願いすら嘲笑うかの如く、「あの事件」がおこってしまったのだ。
あの日も夜神はいつまでも経ってもやって来ない雫のもとへ向かっていた。その時は深刻な理由など全く考えず、ただ寝坊したのかと的外れでのん気な考えを夜神はしていた。
だからこそ、彼女は自分の中の何かが粉々に壊れたような音を聞いたのだ。
ざあざあと一寸先も見えないような豪雨が降り頻るこの日、夜神を出迎えたのは、あの暖かい笑顔を浮かべた幼馴染ではなく、白の隊員服を身にまとった人間と……
鮮やかな鮮血の花を咲かせて、息を引き取った幼馴染の姿だった。
すべてを悟った夜神は恐怖でがちがちと歯を鳴らしながら、ぽろぽろと雨に似ても似つかない涙をこぼしながら悲痛な叫び声をあげた。
「雫うううううううううううううううううううううう!!!!!!!!!!!!!!」
何故、どうして、彼女は血まみれになっているのだろうか。何故、どうして、目を開けないのだろうか。ぐるぐると思考する彼女だったが、あまりにも衝撃的すぎる出来事にとうとう脳が考えることを放棄した。過呼吸になりかけながらも、必死で彼女は、雫を起こそうと何度も何度も彼女の名前を呼びかけた。
「雫ぅ……!!!雫ぅぅぅ!!!!!」
「うっせぇよ!!!!ガキ!!!!!」
バキッ
頬を思いっきり殴られ、夜神は地面に転がり、そのまま力尽きたように倒れ伏せる。それを嘲笑するかのように隊員たちは下品で醜悪な笑い声をあげた。狂った日常と、男たちの豚のような笑い声が、彼女のなかに眠っていた「怒り」の引き金を引いたのであった。彼女は人形のようにゆらりと、まるで痛みなど感じていないかのように滑らかな動作で起き上がると、目を怒らせながら獣のように咆哮をあげた。ただならぬ事態に隊員たちは一瞬気圧されたものの、相手が子供だという慢心もあったのだろう。すぐに小馬鹿にするような笑みをうかべて彼女に雑権罵倒を浴びせた。
「なんだよこのガキ、獣みたいにほえてやがるぜ?」
「なんだよおちびちゃん?やるっていうのか?」
「「「ぎゃははははは!!!!」」」
この慢心が雌雄を決した。夜神は咄嗟に雫のそばに転がり込んで彼女が握りしめていた刀を拾い上げると、まるで「修羅」の如く隊員たちを次々と切り裂いていった。さすがに余裕を保てなくなった隊員たちは、夜神を亡き者にしようと刀を振るうものの、圧倒的なスピードを誇る彼女をとらえることが出来ず、反撃にあっていた。例え、皮膚を切り裂いたとしても夜神はそれ以上の仕返しをしてくる。彼女は肉を切らせて骨を断ちながら、また一人、また一人と隊員の首を刎ねていく。「悪鬼羅刹」とも形容できる彼女の暴走に隊員たちは仲間が減るたびに戦意を失っていき、挙句の果て逃げ出そうとするものまで現れる始末だった。しかし、そんな生ぬるいことを、暴走した夜神が許すはずもなく……
「逃がすかああああああああああああああああ!!!!!」
ザシュッ
一瞬の早業で、逃走する隊員の首を刎ねたのだ。どんなに許しを請おうとも、どんなに泣きわめこうとも、夜神の心を満たすものはなかった。息をあらげ、咆哮をあげ、血の涙を流す彼女の粛清は結局、彼女の白の着物が「深紅」の着物へ変わるまで、そして、彼女以外の全ての人間が息絶えるまで、狂宴とも呼ぶべき舞台は続けられたのであった。
「雫ぅ…………!!」
骸の海に横たわりながら、少女は狂ったように何度も何度も亡き幼馴染の名を呼び、何故自分は彼女を救えなかったのかと責め続けた。どんなに懺悔の言葉を述べようとも、死んだ人間は二度と生き返らない。夜神は傍にある雫の死体に縋りつきながらただひたすら涙を流し続けた。
少女の慟哭に答えるかのように雨が強くなっていき、容赦なくその雨は少女の体温を奪っていく。だが彼女はそんなことを気にも留めずただ雫の名前を呼び続けたが、ふとあるものが目に入って、それに手を伸ばした。
騎士隊『古獣』と書かれたエンブレム
雫を殺した白服の隊員がもっていたエンブレムだった。
夜神はそれを握りつぶし、地面にその残骸を投げ捨てたその時であった。
「………………や………が…………み。」
「!!!」
あれだけ死んだと思われた雫が息を吹き返したのだ。慌てて止血しようとする夜神だったが、それを雫がやんわりと阻止をした。そう、彼女は悟っていたのだ。もう助からないのだと、これが、最後の会話なのだと、彼女は悟っていたのだ。雫は夜神の方に手を伸ばし、彼女の涙をそっと拭ってやると弱々しい笑みを浮かべながら、夜神に語りかけた。自分の命はもう長くないということを。夜神がどれだけ拒否しようともそれは変わらぬ残酷な運命だった。ようやくそれを認めた夜神は、ただ彼女を安心させるために涙声になりながら必死で言葉を紡いだ。
「ひっく……!!雫のかだぎはどったからぁ………!!!!ゆっぐり……!!やずんでてぇ………!!!!」
もう仇はいない、安心して眠ってほしいと、夜神は伝えたが、雫の答えは夜神の予想をはるかに凌駕する恐るべき真実だった。
雫の仇は生きているはずだという。
まさかの事実に夜神は絶望した。だが、雫はそんな夜神を慰めるかのように彼女のまろい頬を撫でてやりながら、彼女に言った。
「か……たき………なん…て……………い…い…………あ…なた……が
し……あわ……せ……に……いき………て…くれ……れば……そ……れで………」
「でも………!」
死期は近い。そう悟った彼女はなるべくはっきりとした声を出すよう努めながら、最後の力をふりしぼって語りかけた。
「おいで、夜神。」
悲しい思いはしてほしくない。雫は尽きない夜神の涙を何度も拭いながら彼女に言い聞かせた。
「夜神……悲しまないで…………」
「あ……」
「わ……たし…………は………」
その言葉を最後に、彼女は絶命した。
一人の少女の願いもむなしく、彼女はなくなってしまったのだ。
~・~・~・~
あれから10年後、幸せに暮らしてほしいという雫の願いに背いて、夜神は己の故郷から出て行って、まだ見ぬ雫の仇討ちをするため大陸を駆け巡って来た。未だに、己の復讐目的に仲間を巻き込んでいることに罪悪感は覚えるものの、復讐にすべてをかけた彼女はその良心を無視して、復讐者を追い求めていた。その果てない執着心をよく理解している神奈は、思い出にすがっている夜神を直視することが出来なくなり、さりげなく視線を外しながら夜神に問いかけた。
「夜神君は『古獣』が嫌い?」
「ああ、雫を死に追いやったのは間違いなくあの騎士団が関わっている。絶対に許すわけにはいかないんだよ。」
「………殺しに全く関係なかったとしても?」
「それならそれで、あいつの死体を冒涜したという点で許せるはずがないな。」
「へぇ、なら穏便に済ませられそうにないな。」
「!?」
突然の第三者の声に咄嗟に木刀を抜刀した夜神は、声のした茂みの方をにらみつけながら神奈に指示をとばした。
「神奈、急いで晃と玄武を連れて来い。ここは俺に任せろ。」
「分かった!無茶はしないで!!!」
神奈が二人の仲間を探しに行ったことを確認すると、夜神は木刀を構えながら茂みの向こうにいるであろう人物を呼びかけた。
「誰だ、出て来い。」
「………俺の声を忘れたか。さすがガキだな。よほどお頭が弱いということがうかがえるな。」
「!?」
茂みから現れたのは『マーデンビリア』で出会ったあの男だった。だが夜神はそれ以上のものに意識を奪われていた。『古獣』のエンブレムが胸元に縫い付けられた白の隊服。コートのように長いそれを着こなした青年は、夜神の視線が胸元のエンブレムを捉えていることに気づき笑みを浮かべると、わざわざそのエンブレムを指さしながら、挑戦的な声色で問いかける。
「このエンブレム、知ってるのか?」
この問いを聞いた瞬間、夜神の思考は一気に真っ赤な怒りで染めあげられた。
「『古獣』の奴らが俺に何の用だ!!!?」
その言葉を聞いた青年は、一層笑みを深め、微笑んだのであった。