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背徳の徒花  作者: 六条藍
4/12

4:死体なき殺人事件(後編)

「アゲハはさ、 事件解決が本当に人のためになると思う?」


 唐突に繰り出された質問はまるで事件に無関係なようで、 明石は内容そのものよりも相も変わらぬ周の呼び方が気になった。

 明石です、 と彼に出会ってから何度目になるかも知らぬ訂正を付け加えた後に、 それでも答えなければ先に進まないことは十分に理解していたので、 明石は簡単に頷くだけの回答で済ます。

 周はそのことに不満を見せるかと思いきや、 何故か面白がるような素振りを見せて、「そう」 と笑った。


「それじゃあまず結論から言うけど、 被害者が何処にいるかは分からない。 でも彼女は確実に生きていると思うよ」

「――そう言い切れる根拠は?」


 長々とした前置きを無しに、 単刀直入に言い切った周を明石は不審に思った。

 その風貌とは真逆に、 周は多弁である。 話題をあちらこちらと飛ばしながら、 明石が一を言えば、 十の言葉を返してくる。 彼自身はこの牢獄で押し込まれてから感じるようになった退屈さの反動だと宣っているが、 恐らくは元々の性質であろうと明石は睨んでいた。

 何せ退屈混じりの饒舌さにしては、 余りにも全てがスムーズだ。


「アンタが言ったんだろう? 指は二度切られていて、 被害者が生きている可能性があるって」

「あくまでも可能性の範疇です。 そもそも生きている人間を死んでいるように見せかける必要性を理解しかねます」


 周はコロコロとキャスター付きの椅子を座ったまま前後左右に動かしながら、 白い布製のスリッパを履いた片足を防弾ガラスに押しつけた。


「それはアゲハが加害者と被害者を取り違えているからだ」


 明石は思いきり眉宇を寄せながら、 周の言葉の意味を熟慮する。

 明石が――というよりもこの事件捜査に関わっている人間は全員、 指を切断された女性を被害者、 ストーカー男を加害者と考えている。

 ストーカーがそれが真実であるかは現時点では定かでないにしろ、 今のところ最も可能性が高い現実であって、 周が言うようにそれを取り違えているというのは果たして何を意味するのか。

 ストーカー男は犯人ではない?――否、 それならば周は 「加害者を取り違えている」 と言ったはずである。

 彼の言葉をそのまま素直に受け取るとするならば、 加害者だと思われていたストーカーが被害者で、 被害者だと思われていた女性が加害者ということなのだろうか。

 明石の思考がその辺りで止まったことを見越したように周が続ける。


「本当は生きている人間を死んだと見せかけることで一体誰に利益があるのか考えるんだ。 もしこのまま被害者が死んだものとして処理されて、 加害者がストーカーだと断定されたらどうなる?」

「ストーカーは逮捕されます」

「そうだ。 その後彼は裁判にかけられる。 まあ実際のところ、 今揃っているだけの証拠じゃ判決がどうなるか予測出来ないけど、 運が悪ければ殺人罪を科されて、 彼は一年以内に死刑になる」


 明石は目を伏せて想像する。

 『殺人極刑法』が制定されて以来、 この国は刑事訴訟法に記載されている通りおおよそ六ヶ月以内――長くても一年以内には刑を執行されている。 今やこの国では殺人罪イコール極刑であって、 殺人犯と断定されてしまった時点でその人間はあらゆる未来を奪われる。

 尤も以前の司法制度であっても、 ストーカーの末殺人まで犯した男に科せられる量刑がそう軽いはずもないだろうが――それでもまずもって、 死刑にはならなかった……かもしれない。


「現時点で、 そんな未来を一番望んでいるのは誰だと思う?」

「――ストーカーされていた被害者、 でしょうか」


 仮に彼女が生きているとするならば、 そうして自分を悩ませる男が居なくなってくれれば万々歳であろう。

 自ら直接手を下すことは出来ない。 そうすれば破滅するのは彼女自身になってしまう。

 しかしストーカーがもし殺人罪で罰せられるならば、 彼女の代わりに国が預かり知らぬところで正義の名の元、 彼を殺してくれる。

 明石はそうして浮かんできた結論に思わず、 悪寒を感じた。

 周が言っていた被害者と加害者を取り違えているというのはそういう意味だったの、 か?


「自分を殺害したと見せかけて、 ストーカーを殺すために彼女が全て仕組んだと――そう、 言いたいのですか?」

「随分と物わかりが早いね。 アンタも段々と此方側の人間の気持ちが分かるようになってきたみたいだ」


 半信半疑に呟いた結論に、 周はそう言って是を唱えた。

 その口振りに顔が歪む。

 彼方側はんざいしゃの気持ちなど分かりたくもないから、 こうして周にその役割を任せているにも関わらず、 彼が紡ぎ出す真相を聞く度に明石は徐々に脳内を黒く穢されていくような感覚に呵まれる。

 本当に内側から喰い殺されているように――出来ることならば今すぐ逃げ出して、 彼とは二度と関わりたくないのに。 現実と現状がそれを許してはくれない。

 そうして泥沼に嵌りながら毒されている事実から目を背けるように、 明石は表面上の冷静を保つことで自分自身の心を落ち着かせることを試みた。


「――証拠がありません。 指が二度切られているというのもあくまでも私個人の見解です」

「決定的な証拠は被害者と目されている女を見つけるしかないと思うけどね。 でも指以外にもこの事件には違和感がある」

「違和感?」


 明石蝶は間違いなく一介の法医学者であって、 探偵であるわけでも、 捜査のプロたる警察官というわけでもない。 様々な事情により、 獄中にいる周と共に捜査官じみた真似をしなければならない現状はあれど、 それでも明石はただの法医学者だ。 その嗅覚は遺体に残る違和感には敏感に働くが、 それ以外のこととなるとおおよそ一般人に毛が生えた程度の観察眼しかない。

 故に周の指摘する違和感がどのようなものかを察しかねて、 明石は不思議そうに首を右に傾けた。


「何よりも俺が妙に感じるのは、 ストーカー被害者がストーカーに単身で挑んでいった点だね。 普通はもっとストーカーを恐れているものだ。 暗い夜の路上で喧嘩なんて出来るとは思えない」

「たまたま彼女の気が強かっただけでは? 或いはそこまで追い詰められていたとか」

「そうだとしても、 相手は男だ。 人目の少ない場所で一対一で立ち向かうことがどれだけ危険か明白だろうに。 それに幾ら気が強いと言っても、 ストーカー相手には誰でも恐怖心を抱く。 近くに住んでいる男友達を "あとから" 呼んだというのも気になるね」


 説明する周に明石は自分なりの解釈を口にしたが、 彼は気怠そうにかぶりを振った。

 そうすると明石とは違う天然の薄茶色が、 柔らかそうに左へ右へと揺れて毛先が輝く。

 薄い髪色にも関わらず真上の光源を反射して微かな輪を作り上げている髪を。 あれは天使の輪と言うのだった、 とそんな俗語を明石は思い出した。

 その名称と彼に抱く印象とが余りにもかけ離れていたせいで、 最早何の感慨も浮かばず、 ただ彼に対する警戒心だけが煽られていく。


「――つまり?」


 明石は無意識の現実逃避で脱線してしまった己の思考を押し戻すように、 端的に先を促した。


「彼女が敢えてそのような行動に出たということは、 ストーカーと直接会う必要性があったということだ。 爪に組織片を残し、 疑いを彼に向けるために」

「全て計画の内だったと?」

「多分ね。 そして指を切り落として、 友人に届けた。 まあ俺の勘だと、 その友人もグルだろうとは思うけど。 直接届けられたと言っているらしいが、 十中八九その友人の家で指を切ったんじゃないかな。 死体なき殺人事件はそもそも殺人事件じゃなかったっていうオチさ。」


 そうして全てを解明し終えてしまった後には、 周の瞳から一切の好奇心が失われる。

 けれど明石の本来の目的は被害者・加害者などという立ち位置ではなく、 今も尚存命しているはずの女性の居場所である。

 当初は彼女を助けるために、 今は彼女を裁くために――成り代わった理由は、 その追及を止める由縁には成り得ない。

 明石は後を続けるように言った。


「……だとすると、 彼女は何処かに潜伏している可能性が高い」


 周は肩をすくめる。


「多分国内だとは思うけど。 海外に逃げるにはパスポートを使わないといけないから、 記録が残る。 まさか偽造パスポートを入手出来るような伝手はないだろうし」

「貴方にはあるんですか」

「今はご想像にお任せするよ。 アンタと二人で海外逃亡しなきゃいけない時になったら分かる」


 偽造パスポートなど明石にも入手する術はないが、 周の口振りを耳敏く拾って尋ねてみると、 彼はそんな軽口で濁した。

 明石はそれを肯定と捉えたが、 それ以上言葉を重ねることはしなかった。 今更死刑囚の彼に余罪を重ねても無意味であって、 仮に必要性があったとしてもそれが明石の仕事ではない。

 己の役割を取り違えることなく、 明石はただ彼の不愉快な物言い一点に関してのみ眉を顰めた。 


「まあ、 その友人を問い詰めれば彼女が潜伏している場所のヒントぐらいは掴めると思うよ」


 気分を害しているのをあからさまに訴えている明石に、 周はそんなフォローを入れて機嫌をとる素振りを見せた。

 周は明石の感情にやけに敏感だ。 専らその移り変わりをみて楽しんでいるの常であったが、 時折こうして不意に人間らしい気遣いを見せる。

 その目的は定かではなく、 或いはそう振る舞うことで明石が彼にほだされる僅かな希望を見出しているのかもしれないと思って、 明石は 「違いますね」 と一人小さく呟いた。

 それはガラスを伝わって、 向こう側の空気も揺らしたのだろう。 周が不思議そうに片眉を上げているのに、 明石は話題をすり替えた。


「――さっきの貴方の質問は、 そういう意味だったんですね。」


 事件を解明することが本当に人のためになるのか。

 指を切り落としてまで、 ストーカーから逃れたいと思う女性から望みを絶つことが明石の本懐なのか。

 周はそうして明石に問うのだ――この国の正義を。


「後悔している? アンタが導き出した結論は、 ある一人の男を救ったが、 ある一人の女から救いを毟り取った。 もしその男が真実を知ったら――はてさて、 女はどうなるだろうね」

「私が彼女を殺すことになると? 一人を救うために一人を見殺しにしろと?」


 下らぬ議論をふっかけてきた周に、 明石は敢えて正面から挑んだ。

 ――激情ではなく保身のために。

 彼の言葉から今逃げようとする素振りを見せれば、 彼は間違いなく明石を壊す。

 例え厚いガラスの境界が引かれていようとも、 彼が一度ひとたびしようと思えば、 容易にそれを成し得ることを明石は熟知していた。

 だからこそ、 彼が幾ら好意的な態度を向けてきても、 明石は決して気を許さないのだ。


「アゲハ、 命の重さの問題さ。 そんな計画を立てなければいけないほど、 彼女を追い詰めたストーカーには十分に罪がある。 そんな男が一人死ぬのと、 ある側面では間違いなく被害者である女が死ぬのどっちがマシかって言う話」

「――どんな人間相手であろうと、 どちらの命が重いだのマシだのという話は無意味です」


 周は明石の脳裏を掠めた一瞬の迷いを余すことなく読み取って、 言葉にしているようだった。

 明石の応答が、 あまりに押しつけの有り触れたものになってしまったのはそのせいだ。

 まだ明確な回答を導き出せていないことを見透かしているかのように、 周は虚勢を張る明石を嗤った。


「そうかな? この国が言ったんだよ? 犯罪者の命はどうでもいいって。 人を殺すような人間に生きている価値はないって。 誰よりも何よりも人を殺しているこの国が――そう言っているんだ。 命の重さを何よりも重要視しているのは、 アンタが仕える国そのものじゃないかな?」

「違います。 人の命を奪った罪は、 その命でしか償えない。 あらゆる人の命が同じ重さだと断じているからこその法律です」


 間髪入れずに言った台詞も、 明石自身が何処かで聞いたことのあるようなフレーズだった。

 借り物の言葉でしか話せないのは、 明石自身が死刑という制度に疑問を抱いているからだ。 その法に随順ずいじゅんし、 犯罪者達を捕らえる――ひいては彼らの命を奪う仕事に苦悩を抱えているからだ。

 周は不意に嘲笑めいた表情を掻き消して、 悲哀に満ちた眼差しで明石を捉えた。

 

「――それならアゲハ、 俺みたいな人間は一体何度死んだら償えるんだ?」


 そう言う連続殺人犯の哀愁は、 冷たいコンクリートに反響して――、 消えた。

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