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背徳の徒花  作者: 六条藍
2/12

2:一卵性双生児(後編)

「それじゃあまず、 アゲハ。 アンタの回答を聞こう。 俺の解答はそれからでいいでしょ」


 あまねはそう言って、足を組み直した。

 音だけを聞けば何を言っているのか良く分からないフレーズも、 頭の中で自然と漢字変換されていくのが、 まるで周との付き合いの長さを反映しているかのようで、 明石は至極不本意に思った。


「明石、 です。 そうして無駄に時間を費やしている暇はありません。 今この瞬間も殺人犯が野放しになっているのですから」

「野放しになっている殺人犯なんてごまんといると思うよ。 今更一人二人増えたところで、 大して変わりはないさ」


 周が事も無げにそう言うと、 「現に俺もそうだった」 と更に付け加えた。


「それに、 もし事の真相が俺の解答通りなら、 逃亡している方の双子は他人を殺したりしないよ」

「――"人間" ではなく "他人" と称したその意図は、つまり自分を殺す可能性はあると」


 明石が押し殺した声でそう言うと、 周はぼんやりとした表情のまま首を横に傾げた。

 其れに何の問題があると言わんばかりの態度に、 無意識に明石の眉宇が寄る。

 周はまるで人の生き死に無感動であって、 例え今、 目の前で明石が死んだとしても、 きっと顔色一つ変えないに違いない。

 或いはそれが自分自身であっても――彼は様々な物に執着しながらも、 ただ命というものに関してのみは何処までも無関心だ。

 さりとて今更命の大切さ云々を説いてみたところで周が何かを変えるはずも無く、 明石自身もそれをとくとくと語れる立場にいないということを彼は熟知していた。

 ――遠回りの道が、 時には最短のこともある。 明石は仕方なく今までの間で自分が組み立てた推察を口にした。


「私がこの殺人犯に抱いた疑問点は、 二つ。 まず一つ目は、 何故手だけを縛って、 足を縛らなかったのかという点」

「逃げ出せないようにするためなら、 足を縛らないと意味がない。 まあ俺ならついでに声を上げれないように喉を潰すけど」


 普通ならば猿ぐつわを噛ませるだとか、 ガムテープを貼るだとか、 そういう発想になりそうなものを、 敢えて喉を潰すという行為は絶対性を求めてのものなのか、 或いは彼の残虐性故なのか。

 どのような答えが返ってきたところで納得は出来まい。 明石は尋ねる気にもならずに、 ただその行為が不必要であることのみを語った。


「周囲に人の住んでいる民家はありませんでしたから」

「ああ、だからか」


 周は腑に落ちたかのように、 薄い唇を僅かに動かす。 ただ猿ぐつわを噛まさなかったことへの納得にしては些か大げさな素振りを訝しく感じて、 その意味を問うように明石は片眉を上げた。


「それで、 二点目は?」


 けれど周はそれには答えず、 明石に先を促す。

 問う素振りをみせて、 それでも答えなかったのならば何を言っても徒労に終わる。 それは理解というよりも諦めに近い境地ではあったが、 明石は彼の求めるままに言葉を続けた。


「二点目は、 何故薬物を使ったのかという点です。 行動を抑える目的ならば、 縄か薬物どちらかで十分事足りる」

「まあそうだろうね。 薬物をどうやって摂取させたのかは分からず終いなんだろう?」

「残念ながら。 恐らく注射針か何かを使ってのことでしょうね。 検出された薬物は、 妹が使用していたと思われる覚醒剤の一種でしたし」


 明石の言葉に、 周はふぅんと自分の髪先に視線を落としながら言った。


「人が作った薬物に、 人が狂う。 本当に人というのは、 他者を傷つけずにはいられない生き物なんだろうね」

「――貴方が、それを言うんですか」


 殺人犯である貴方が、 と明石は言外げんがいに匂わし、 顔をしかめた。

 誰よりも他者を傷つけ、 蹂躙じゅうりんしてきた周の口元が可笑しそうに三日月を描く。


「だからこそさ。 そう思う度に、 俺は間違いなく人間なんだって改めて実感する」

「それを感じたいがために、 貴方は人を殺し続けた?」

「どうだろうね。 しかし詰まらない憶測は目を濁らせる」


 否定を仄めかすような口振りで周はそう言って、 上目遣いにちらりと明石を見た。


「どちらにしてもアンタはこう考えているんでしょ。 妹が姉に自分が所持している覚醒剤を打ったか、 姉が妹の所持していた覚醒剤を打ったかしたのだろうと」

「姉の方も、 妹が覚醒剤を使っていることは知っていたようですので。 散々そのことで喧嘩をしていたという証言も」

「同じ家に住んでいるならば、 姉が妹の覚醒剤が何処にあるかぐらい把握している。 つまり血中の薬物が妹のものであるとしても、 犯人が妹であるという証拠にはならない――というわけか」


 まるで明石の思考回路を全て把握していて、 それを先回りするかのように後を繋いだ周に薄気味悪さを感じながらも、 明石はゆっくりと首肯した。


「でもそうすると、縄で両手を縛った説明がつかない」

「ええ。 薬を打つ際に、 抵抗されるないようにしたのかとも思ったんですが――、」


 それはどうにもしっくりこない。

 明石が推察の域にも達していない問題点の羅列だけを述べて、 後は黙って首を捻っているのを、 周は詰まらなそうに見て言った。


「アゲハ、 アンタは何時も被害者側からばかり見ているからこういう事件に弱いんだ。 犯罪者の気持ちを考えないとね」

「そうは出来ないから、 貴方にこの話をしているんですが」

「違うだろう。 そうじゃない」


 周はまるで全てを見透かしているかのような口振りで否定すると、 トパーズの瞳で射貫くように明石を見据えた。


「アンタは犯罪者の気持ちに寄り添うのが怖いんだ。 そうしていると自分も犯罪者になってしまいそうで。 今時ニーチェの言葉を真っ正直に信じている人間がいるなんてね」


 周はそう言うと淀みない口振りで、 ドイツ語の原文を口ずさんだ。

 生憎と明石にはドイツ語の心得がなく、 その言葉は流れるように耳を滑っていくが、 代わりに脳内で日本語のフレーズが思い浮かんだ。


 " 怪物と戦う者は、 自分自身も怪物にならぬように気をつけなくてはならない。 深淵をのぞく時、 深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 "


「――だから、 私は貴方とも出来ればこうして会いたくはないのです」


 その感情を恐怖と断じた周を否定することもなく、 この現状を不満に思うことのみを告げれば、 周は心外だと言いたげに僅かに目を見開いた。


「俺はアンタを怪物にしたいと思っているわけでもなければ、 取り込もうとしている深淵でもないよ」

「けれど貴方という人間は間違いなく怪物であって、 深淵です」


 その意志ではなく、 存在自体が明石を脅かす。 危うい境界線上で綱渡りをしているような明石にとって、ほんの僅かにでもそのバランスを崩しかねない重りは、 出来ることならば外してしまいたかった。

 周が仕方なさそうに肩をすくめる。


「それは否定しないけどね。 まあ "契約" 通り、 俺が君の目になってあげるよ――アゲハ」


 そう言うと周は椅子から立ち上がり、 つかつかと防弾ガラスの直ぐ傍まで寄ってきてはその冷たい透明に右手を当てる。

 "契約" と彼が称した其れは、 そうというには余りにも一方的だった。

 明石が周の元に通い続ける限り、 彼は明石の代わりに深淵を見通し、 怪物と戦う剣にも盾にもなる――明石にとって最も厄介な深淵の怪物が、 周当人であることを彼は良く理解しているはずなのに。

 彼は決して明石を手放そうとはしない。 それが数多あまたある彼の執着の一つ。

 その意味することを、 明石はまだ彼から聞き出せずにいた。

 180センチオーバーの高さから、 オリーブの瞳が明石を見下ろす。


「――考えなければいけないのは、 HowではなくWhyだ」


 周の落ち着いた声色が、 ガラス越しに明石の鼓膜を揺らす。


「何故この事件が起こったか、 何故犯人は放火という形でもって殺人を犯したのか。 つまりそういうことでしょうか。」


 そう答えを返す明石に、 周はそう、 と頷いた。


「火事は人為的に起こったものだった。 ならば火事を起こしたのは果たして誰なのか」

「――犯人では、ないんですか?」

「そう仮定しているから、 薬と縄の矛盾が解けないんだ」


 彼の指摘に暫く考え込んだ挙げ句に、 明石は二つの仮定を導き出す。

 火を放った人間が犯人でないとするならば、 火を起こしたのは全く無関係な第三者か、 或いは――。

 そうして考えついた "有り得ない方" を敢えて明石は口にした。


「……被害者、 本人?」


 明石と周は全く真逆な視点で各々物事を理解する。

 そんな中で周が明石には到達出来なかった真相を悟ったというのならば、 明石自身が考えつかない方の答えを選ぶのが正解だ。

 周の口角がそれで良い、と言わんばかりに僅かに上がる。

 そうしていると段々この男に毒されていっているような、 内側から喰らい尽くされているような気分になって明石は何時も落ち着かない気分に呵まれる。

 明石を深淵に引きずり込むつもりはないと謳う周をいま一つ信用出来ぬまま、 けれどその一方でそんな彼から逃れる道など存在しないことを明石は承知していた。

 周がガラスに押しつけている方の手で、 指を一本立てる。


「此処で分かりやすく、 アンタが人を殺したいと仮定しよう」

「また、例え話ですか」


 本日二度目のそれに多少うんざりしたような素振りをみせつつ、 明石は渋々了承した。


「相手は双子の片割れだ。 アンタは確か妹がいるはずだから想像しやすいだろう? もし妹への殺意が唐突に芽生えたら、 アンタはどうする?」

「――殺意が収まるまで、やり過ごします」

「それはアンタが "明石蝶" であろうとしているからだ。 今は違う。 そんな借り物の倫理観に捕らわれていないで、 もっと直情的に考えないと駄目だ」


 周はそう咎めるが、 さりとて明石は明石であって、 それが仮定の中であっても事実は変わらない。

 それが取るに足らない "例え話" であっても其の一線を踏み越えたがらない明石に、 周は猫のように目を細めた。


「妹を想像するからいけないんだな。 もっと違う、別の人間にしよう――そうだ、アンタが心底憎んでいる、」

「それ以上戯れ言を続けるなら、 今すぐ私は此処を出て行きます」


 明石は周が言わんとすることを悟り、 一語一語を殊更丁寧な発音でもってそれを拒絶した。

 周はその強い口調に一度口を閉ざし、 すぐに話題を切り替えた。

 フェアな関係とは言い難い中で、 けれども彼はこうして時折明石を尊重するような振る舞いをした。


「それならば一般論の話。 唐突に堪えきれないような殺意が芽生えたら、 人は一体どんな行動をとるか。 頭に血が巡り、 正常な思考など出来ない。 さあ、どうする」

「……絞殺か、 近くに何かあれば撲殺或いは刺殺でしょうか」


 一歩引く素振りをみせた周に、 明石もまた一歩譲って彼の話に付き合う。


「だろうね。 しかし今回の事件はそのどれにも当てはまらない。 そもそも放火なんて殺害方法、 普通その場で考えつくものじゃないでしょ」

「つまり、 衝動的な殺人ではなく、 計画性のあるものだと?」

「そうだと仮定しても、 ある一つの矛盾が生じることにアゲハ、 アンタは気がつかない?」


 矛盾――明石は再び口に手を当てた。

 そうして思考を深めていくと、指先で感じていた荒い唇の感触が徐々に遠ざかって、 指を動かしていることすら無意識の領域へとすり替わる。

 全ての意識がこの事件にのみ集中し、 やがて明石はぽつりと呟いた。


「……縄と、ハサミ」


 もし計画的な犯行であるとするならば、 犯人は綿密に計画を練ったはずである。 どんな使用目的であれ、 縄を使うつもりならば予め用意しておくはずだ。 しかしハサミは遺体の傍に落ちていた。 つまりあの場で手を縛って、 その後紐を切ったのだ。 家にあるビニール紐を使うつもりだったとしても、 それを切っておくなりの準備をしていなかったことに違和感を覚える。


「ハサミのことを考えても、 今回の事件は計画的な犯行とは言い難い。 では衝動的かと言われると、 それは先程否定した。 だとするならば、そこから導き出せる答えなんて一つしかないだろう? アゲハ」


 周は沢山のヒントを散りばめて、 そうして明石に最後の結論を言葉にさせる。

 明石は俄には信じ難いそれを恐る恐る口にした。


「――そもそも殺人では無かっ、 た?」


 まるで論理の飛躍が過ぎたが、 与えられたピースを拾い集めた結果、 明石にはそうとしか思いつくことが出来なかった。

 はっとしたように顔を上げると、 周は既に詰まらなそうに再び椅子に戻っている。

 今度は背もたれの方を明石に向けて、 それを抱え込むように座った周は言葉を続けた。


「これは殺人じゃない、 薬物中毒者である妹が起こした哀れな事故だ。 彼女は自分で覚醒剤を打って、 幻覚を見た。 どんな幻覚かなんて今となっては分からないけど、 その末に勝手に自分で放火したんだろ」

「しかしそれでは、 両手を縛られていた意味と、姉の方が失踪している理由を説明が出来ませんが」

「――ああ、 それ?」


 周の瞳からは既に光が失せて、 まるでどうでも良いことと言わんばかりに覇気のない声で明石の疑問に応答した。


「意識のない人間を運び出すときの手段だよ。 力のある男なら腕力に任せてそのまま抱きかかえるなりすればいいけど、 女にはそれが難しいでしょ? おぶっちゃうのが一番楽だけど、 意識のない人間に腕を首に回しておけというのも無理がある話だ。 だからそういう時には相手の手を紐で縛って、 出来た輪を自分の腕に通して、 肩に担いで運ぶんだ」

「――つまり、 姉が火に巻かれている妹を助けようとして?」


 思いも寄らぬ真相に、 明石は目を見開いた。


「だろうね。 でもまあ、 女が人一人運び出すなんて訓練でも積んでいない限りそうそう出来ることじゃない。 ましてや自分も煙に巻かれている状態なら殊更に。 結局妹を救えずに置き去りにして、 そのせいで姉の方は姿を見せられないんだろう」


 周囲に民家は無く、助けを呼ぼうにも呼べなかった。 周にそれ告げたとき、 彼が妙に合点がいった素振りを見せたのはそういうことだったのか。

 己の分身とも言える双子の妹が、 覚醒剤に溺れていくのを何時か助けたいと思いながら、 結局は死なせてしまった責任を感じているのか。 或るいは共に死ぬという選択肢を選べなかったことを恥じているのか。

 明石は隠れ続ける姉の心情を思って、 沈鬱な面持ちで目を伏せた。


「でも良かったね」


 唐突に響いた周の声が明石の頭上に落ちる。

 明石はその本意を掴み損ねて、 訝しむような視線を彼に向けた。


「どういう、意味でしょう」

「事件はアンタが願ったとおり、 犯人など存在しなかった」


 これがアンタの望んでいた結末だろう? と周が事も無げに言ったのに、 明石は思わず息を飲み、 まじまじと周を見返した。

 ――何故彼がそれを知っている。

 漏らした覚えのない内心を気取られて、 二の句も告げぬまま呆然と押し黙る明石に、 周は口元だけで嗤った。


「言っただろ? アンタの考えていることは全て把握してる――力になるって」

「それは、 つまり――私が望むような結論を、 貴方が導き出すという意味だったのですか」


 明石の表情が強張る。

 彼によって跡のつけられた道を歩んで辿り着いた結論は、 ただ明石がそうと望んでいたがために作られたフェイクだったのか?

 真相が急激に色褪せてくる感覚に明石は震えた。

 必死にそれ以外の可能性を探ろうとしたところで、既に導き出された思い込みから脱却することなど叶うはずもない。

 周はまるで、 そんな明石を楽しむような素振りで言葉を重ねた。

 

「妹は死に、 姉は行方不明。 本当が何処にあるかなんて当人達にしか分からないさ。 俺はただ、 こういう風にも考えられるという可能性を示唆しただけ。 もしかしたら、 そう考えられることすらも見越した双子の片割れが殺人を犯したのかも知れない。 それを肯定する証拠も、 否定する証拠もこの世界には存在しない」


 ――真実なんて所詮その程度なんだよ、 と深淵は何時もよりずっと抑えた声色で囁いた。

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