散るのは儚いモノばかり
妖の郷に来たのは二度目だが、こうしてはっきりと目の当たりにするのは初めてだ。
右を向けば妖怪。左を向けば妖怪。僕がまともな精神状態なら発狂しそうな光景。
「着いた。とりあえず横になって」
場所はつい昨日来たばかりの古ぼけた家。そこで僕はまた寝てる。
「駄目だ……早くあいつを倒しにいかないと……」
体はまともに動かない。けれど、それでも。あの黒い化け物をこの手で死へと追いやらなければ、僕は死ぬに死にきれない。
「何を言ってるの!? 久! あなた自分の体がどうなってるか分かってるの!?」
美夜が怒鳴っている。はは、美夜が怒鳴っているなんて、おもしろい。あんなに静かだったのに、こんなに大きな声で。
「……うるさい」
「え? 久、今なんて――――」
「うるさい! 黙れ、黙れ黙れ黙れ! 僕は! あの黒い化け物に殺された! 友人も、家族も……村の人達全員だ!! それなのに黙っていろって!? ふざけるな! ……美夜も見ただろ? 僕があいつの手を切り落としたのを!! そういう事だよ。これが何の力かは知らない。これも妖様の力か? はっ、そんなのどうでもいい。いいか? 僕は君みたいに体だけが丈夫な奴とは違う! 僕ならあいつを殺すことが出来る!! そうすれば―――みんなも救われるさ……」
言ったの。という言葉を遮るのは、僕の声。興奮して何を言ってるのかも分からない。ただ怒りと狂気に任せた言葉の弾丸。
「分かっただろ? だから僕は直ぐにあいつを殺――――」
バチーン!
「――――す?」
頬に伝わる痛み。それは、目の前で涙を堪えながら震えている少女の手。
「…………ごめんね……………私が、全部悪いの。私がこの村に来たから、村の人達は喰われて……久にも辛い思いをさせた…………」
流れた涙が、満月の光にキラリと輝く。
僕はそれを――――美しいと思った。
気が付けば、僕は美夜を抱き締めていた。
ギユッと。加減なんて無い力任せの抱擁。
「ああ……ああ……美夜……ごめん……みんなも……ごめん」
口から漏れるのは懺悔の嘆き。
「僕は……もう駄目になりそうだ……」
脳みそはとっくの昔に働くことを放棄している。その内体も死に絶える。
「久――」
僕には耐えられない。僕はもう無理だ。僕はあのときに死ぬべきだった。黒い化け物に殺されて喰われて……そうしたら、僕はまたみんなと一緒に。
「大丈夫。大丈夫だから……今は寝ましょう」
――――瞬間。意識は遠くなり、彼方へ消えた。
「今回は……あの時みたいに痛くないや――――――」
夢。どこかの山の中。それは静かに座る。
「――――あいつ。斬った……手」
それは自らの手を眺めていた。完璧に再生された手に傷跡は残っていなかった。
「にしても……流石、九尾の狐。凄い妖力」
九尾の狐……と言うことは、美夜の父さんを殺したのもこいつ。
――――待て。これは、あの黒い化け物が見てる物。それを……何故僕が見ているんだ?
「けれど……これを使いこなすには――――」
何故だ? 何かを忘れている? 何か、何か……
「う――う、ううん」
覚める。目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。
「起きた……? おはよう、久」
「え? み、美夜?」
上から顔を覗かせる美夜。その顔を見て……僕は昨日の事を思い出す。
「み、美夜……昨日」
「うん……けど、大丈夫。今は、落ち着いてちょうだい」
左の手を、ギユッと握られる。その手は、相変わらず冷たい。
「ごめん。昨日はショックでつい……」
「いいの。久が辛いのは痛いほど分かる。だって、私も同じ気持ちだもの」
「あ―――」
そうだ。美夜だって、自分の父さんを――
「み、美夜!」
思わず美夜と繋いだ手を強く握り返す。そうだ、まずは美夜にこれを伝えないと。
「美夜。君の父さんを殺したのは……あの化け物だ」
「え――? なんで久がそんな事を?」
「実は……」
僕は、美夜に全てを話した。寝ている間。まるで夢を見るかの様に、あの化け物の行動が見えてしまっている事を。
「………………」
美夜は僕の話を黙って聞いた後、考え込むように顔を伏せている。
「これも、美夜の血を分けて貰ったのが関係しているの?」
「分からない……けど、久があいつの手を切り落とした事もあるし、その可能性は限りなく高いと思う」
「ということは、僕の中で美夜の血が何らかの原因で覚醒してしまったって事?」
「多分ね。私が分けたのはごく少量だし、その程度なら普通はなんの異常も残さないはずよ。いくら半妖の血と言っても……ね」
僕の中で覚醒した美夜の血……
「まって美夜。美夜の血が覚醒したって事は、僕も妖怪になったの?」
素直な疑問を口にする。すると、美夜は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。
「――――考えてもみなかったけど、そういうことよね。現に貴方は日本刀に妖力を流し込みあいつの手を切り落とした……いや、違う。私は半妖なんだから、久は妖怪では無い。広く言えば妖怪だけれど、貴方はせいぜい三分の一妖程度よ」
三分の一妖とは……なんとも語呂の悪い。
そうか――昨日の夜。体が焼けるような感覚になったのはそのせいか。
「父上を殺したのがあいつなのは分かった。けれど、今の私達じゃ倒せない。分かる?」「うん……悔しいけど、しょうがない」
ギリリと歯が音を鳴らし軋む。化け物も憎いし、なにより……力の無い自分がとても憎い。
「――――朝ごはん」
「え? あ、朝ごはん?」
「そう。朝ごはん。まずは何か食べないと、出来ることも出来なくなってしまうわ」
美夜の言うことには一理ある。実際、僕も少しお腹が空いてるし――――
「?」
このまま寝ながら美夜と話をするのも恥ずかしい……さっきよりも顔の距離が近くなっている気がするし……