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光のもとで外伝  作者: 葉野りるは
9/12

十六歳の誕生日 Side 御園生翠葉 03話

 その日の夕方、楓先生が病室に迎えに来てくれて、車椅子で中庭に出た。

 中庭には私服に着替えた水島さんがいた。今日の勤務が終わったのだろう。

「これなんだけど、どう?」

 香水のボトルを差し出される。それは細長い長方形のボトルで金色の蝶がキャップとしてささっている。

 吹き出し口に鼻を近づけ、くんくんと嗅ぐととてもいい香りがした。フルーティーだけどお花の香りもする。とても優しい気持ちになれる香り。

「気に入ったみたいね?」

 顔を上げると、水島さんが満足そうににこりと笑った。

「ラッピングもしてないし使いかけ。でも、プレゼントって言っていいかな?」

「水島さん、ありがとうございます。私、香水なんていただくの初めて」

「……そっかぁ。まだ十六歳だしね? これからよ、こ れ か ら っ ! それ、そんなにキツイ香りじゃないし、翠葉ちゃんは個室だから気にせず使っていいわよ」

「あの……」

「ん?」

「香水ってどこにつけるんですか?」

「あ……そっか」

 水島さんが口元に手を当て、迂闊だったわ、と口にする。

「香水は基本的にアルコールが成分に含まれるから、翠葉ちゃんは直につけらんないわね」

 水島さんの話しだと、香水は手首や耳の裏、足首などにつけるのが一般的だと言う。けれど、アルコール不耐症の私は消毒薬ですらかぶれてしまうので、その使い方はできない。

「肌には直接つけられないから髪の毛や衣類、タオルなんかに吹きかけて使うといいわ。あとは室内に二三プッシュしてルームフレグランスみたいに楽しむ方法もあるわね」

 そんな会話をしてると、

「俺もプレゼントとは言いがたいんだけど……」

 と頭を掻きながら、楓先生に茶色い手提げ袋を渡される。

 紙袋の中身を取り出すと、コルク栓がしてあるガラスボトルに三色のビー玉が敷き詰められていた。色が三層になっていてとてもきれい。

「瓶は私物。中のビー玉はさっき弟に頼んで買って来てもらったんだ」

 私が謝罪の言葉を口にする前に、楓先生は苦笑しつつこう言った。

「こんな機会でもないと、弟と絡めないんだよね」

 それに対し水島さんが、

「彼、クールだものね」

 と、おかしそうに笑った。


 ボトルに入っているビー玉は淡いレモンイエローと涼やかな水色とペールグリーンの三色。どのビー玉も表面がゴツゴツとしていて、極一般的なビー玉とはちょっと違う。

「色は弟に選ばせたんだけど、奇抜な色を選ばれなくて良かったよ」

 どうしてそんな心配をしなくちゃいけないのかはわからないけど、楓先生が心底ほっとしてるのはわかる。

 先生の弟さんってそんなに変わった人なのかな? 水島さんはクールって言ってるけど――どっちなんだろう?

 でもね、こんなに柔らかな色を選ぶ人はとても優しい人だと思います。

「それ、窓辺に置いたらキレイなんじゃないかな? ビー玉の数を減らして水を入れてもいいよね?」

 先生の弟さんから頭を切り替え、提案されたことを想像していると、「痛っ」という楓先生の声が聞こえた。

 視線をそちらに戻すと、どうやら水島さんが楓先生をどついたみたい……?

「その情報源、うちのナースでしょー!?」

「当たりデス」

 ふたりの会話の意味がわからなくて首を傾げてしまう。

「翠葉ちゃん、検査室に行く途中にあるロビーで中庭の水が乱反射してるの見るの好きでしょ? それをね、ナースセンターで話してたことがあるのよ。その場に楓先生もいたの」

 中庭の水が乱反射――……あ、運動負荷検査に行く途中の中庭のこと?

 そこはガラス張りのロビーになっていて、脇には売店がある。こことは違って外に出ることのできない中庭で、屋内から眺めるためだけに作られたスペース。

 ガラス張りの向こう側はチャコールグレーと緑の世界。緑は竹、チャコールグレーはツルツルピカピカしている大理石みたいな素材。近代的ともいえる組み合わせの中、大理石がかたどるのは人口の小川。そこを流れる水がロビーの天井に反射して、ゆらゆら揺れる光を見るのが好きだった。

「あとはね、鈴が入ってると思うんだけど……」

 言われて紙袋を覗き込むと小さな鈴が入っていた。それは直径一センチほどの大きさで、淡いピンク色のリボンに通された銀の鈴。

 リボンをつまんで揺らすとチリンチリンと涼やかな可愛らしい音がした。

「好きでしょ? そういう音。風鈴はちょっとまずいけど、そのくらいの鈴の音なら誰の迷惑にもならないよ。あとで病室に戻ったらベッドの頭のところにでも吊るそうか」

 にこりと笑う楓先生の笑顔を見たら、涙で目の前が霞んだ。

「…………楓先生、水島さん、ありがとう――。ありがとうございます」

 言葉にしたら涙が溢れてとまらなくなった。どうしてこんなに涙が出るのか……。

 たぶん、すごく嬉しいんだ。すごくすごく嬉しくて出る涙。

 毎日お父さんかお母さんが来てくれてたし、蒼兄は平日土日問わず、大学の帰りに寄ってくれる。大学の空き時間のときにも来てくれる。

 だから寂しくない。寂しいなんて思ってないし、寂しいなんて思わない。そう思おうとしてた。

 けど、やっぱり無理。“思おうとしてた”時点でアウト。

 ただ、気づきたくなかっただけ。ひとり“時”が止まってしまったような自分を認めたくなかった。だから、見ない振りをしていた。

 卓上カレンダーを見てはふたつの気持ちが葛藤する。

 何もせずに一日二日、気づけばもう日単位ではなく月単位で病院にいること。それを正視できずにカレンダーを見ることをやめれば、何の変哲もない毎日に“時”が止まったような錯覚に陥る。カレンダーを見ても見なくても、どっちにしても辛かった。

「翠葉ちゃん、夕焼けがきれいだよ」

 楓先生の言葉に顔を上げると、樹の向こうに薄いピンク色の空が見えた。

 病院の中庭から見える空は、建物に囲まれてぽっかりと開いた穴のよう。涙がレンズの役割果たして、魚眼レンズを覗いてるみたい。

「き、れい」

 歪んで映った空はちゃんとピンクに見えた。緑の葉っぱが夕陽を浴びてオレンジ色に光ってる。木も、陽があたっているところとあたっていないところでは色が違う。

 陰とウッドデッキ、タイルと芝生。周りにあるもの全てに“色”を見ることができた。

 “色”が、ある――。

 自然と手に力が入り、その手の脇に緑色のケースが見えた。

 それを目にして、今、ここにハープを弾きに来たことを思い出す。それは、今日、手にしたばかりの白木のハープ。

 入院してからハープなんて弾いてない。指が動くかはわからないけど、これ以外のもので自分の気持ちを伝える術を知らない。

「あの……私の……“ありがとう”を受け取ってもらえますか?」

 手の甲で涙を拭いふたりに訊く。

 楓先生と水島さんは顔を見合わせてから、私が手にかけた緑のケースに視線を移し笑みを深めた。

「もっちろん! 私、ハープの生演奏なんて聞くの初めてよっ?」

 水島さんが少し興奮気味に答え、芝生に腰を下ろす。

「翠葉ちゃんも芝生のほうが楽でしょう?」

「あ、はい……」

 楓先生が芝生に移動する補助をしてくれた。

 久しぶりに爪弾く音はとてもたどたどしいものだったけれど、ふたりは何を言うでもなく聞いてくれていた。


 私はこの日を忘れない。

 三人で一緒に過ごした時間は三十分もない。けど、私はこの時間を忘れないと思う。

 学校には行けなくても私の時間は止まってるわけじゃない。ここ、“病院”という場所で、毎日二十四時間きちんと進んでる。

 日々、何も変わることがないと思っていたのは、私自身が何をどうしようとしていたわけではないから……。

 この入院がいつまで続くのか、この不安定な体調がいつ落ち着くのか。そんなことはわからないけど、“色”は取り戻せた。

 灰色のフィルターがなくなった世界は驚くほどに色が満ち溢れていて、それは太陽が沈んでも変わらない。

 夜のとばりが下りれば濃い青に支配された世界が広がる。その中でぼんやりとオレンジ色を灯す外灯は道標みちしるべのよう。

 あれはきっと希望の光だね。



 * * *



 翌日、私は朝から高校の教科書を広げていた。今は登校できてなくてもいつか登校できるその日まで、私はひとりで勉強するしかないのだから。

 学校はどこまで進んでいるだろう……。

 不安はあるけれど、今は自分にできることを頑張ろう。

 今、目の前にあるもの――それらを受け入れることだって大切なことなんだ。

「……数学も化学も好きなんだけどなぁ。英語と古典はサッパリ」

 夕方には蒼兄が来てくれる。そしたら教えてもらおう。

「翠葉ちゃーん、私これから休憩なんだけど。今日、曇りだから中庭そんな暑くないと思うの。一緒に行く?」

「え……いいんですか?」

「ちゃんと紫先生の許可も取ってある!」

 水島さんは腰に手を当てて自慢げに話した。

「嬉しい……」

「よしよし、素直でよろしい」

 満足そうに頷くと車椅子の用意を始める。

「じゃ、行こっか?」

「はい!」

 昨日、楓先生と水島さんの三人で過ごしてから、なんだかとても話しやすくなったように思う。

 壁が一枚なくなった感じ。もっとも、壁を作っていたのは私自身なのだけど……。

 いつからか、人との間に壁を作るようになっていた。そのほうが自分が傷つかずに済むと学んだから。

 だからかな? 家族以外の人と久しぶりに話をした気がするのは。



 いつも前を向いているのは難しい。でも、何かをきっかけに前を向けたらそれでいいと思う。

 明日は下を向いているかもしれない。もしくは、後ろを向いてるかもしれない。

 でも、今日の私は前を向いている。

 もし、前を向けない日がきたら、前を向くことが出来た“今日”を思い出したい。

 そうやって、一つひとつ乗り越えていけたらいいな。

ちょっと暗いお話でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

翠葉には色々とつらいものを背負わせてしまっているけれど、立ち止まって何も見えなくなって、それでも時間をかけたら前を向けるような、そんな強い子になってもらいたいです。

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