十六歳の誕生日 Side 御園生翠葉 02話
「翠葉っ!」
家族三人揃って病室に入ってくる。お母さんにお父さん、そして蒼兄。
「誕生日おめでとう!」と家族に代わるがわる言われると、心なしか嬉しくなる。
確かに“嬉しい”と感じているずなのに、顔はちゃんと笑ってくれない。
それは、やっぱりここが病院だからなのかな……。
「今日は翠葉の喜ぶプレゼント持って来たぞー!」
お父さんがいつも以上ににこにこと笑っていた。
「でも、先にケーキにしましょ? じゃないと、せっかくのカスタードクリームが溶けちゃうわ」
お母さんが蒼兄の手に持っているものを指差すと、蒼兄がケーキボックスを移動テーブルの上に置いてくれる。それは私の好きな“アンダンテ”のケーキボックス。
「翠葉の好きな苺タルトだよ」
「……もしかして、ホール……!?」
置かれた箱はいつも目にする長方形ではなく少し大きな正方形の箱。
「そう。今日はホールの苺タルトよ!」
私は“アンダンテ”というお店の苺タルトがとても好きだった。ここのケーキ屋さんのタルトは直径三十センチの大きなタルトで、ピース売りされているものは十個に切り分けられ、一つ五百円で売られている。
アンダンテのショーケースに並べられたケーキやタルトの数々は、どれも宝石を散りばめたように美しい。とりわけ、この苺タルトだけは別格。
季節を問わず、いつでもルビーのように真っ赤に熟れた甘い苺が敷き詰められていて、苺の上から塗られるゼラチンが光沢感を助長し、より煌びやかに見せていた。
いつもはピースでしか買わないタルトが、今、目の前にホールごと置いてある。
「すごい……」
気分の高揚を感じ、そんな自分の変化にほっとした。
喜ぶ私を目の前に、
「もうひとつのプレゼントはもっとすごいぞぉっ!」
と、お父さんが“もうひとつ”のプレゼントをベッドの陰に隠す。
かなり大きなものに見えたけど、それが“何か”と想像できるほど観察する間はなく、私の視界に入らないところに置くと、
「よし! まずはケーキだ!」
と、箱から出したタルトをボックスの上に乗せた。
隠されると気になるけれど、私の目は真っ赤なホールタルトを捉えて放さなかった。
「零、ロウソク忘れてる」
お母さんがお父さんに笑いかけると、
「おぉ、そうだった」
と、ずぼんのポケットから数字のロウソクを四つ取り出した。
“一”と“六”は緑。“二”と“三”は水色。
それをザクザクっとホールタルトの真ん中よりも少し上方に立てる。タルトの赤に二色のロウソクが可愛い。
蒼兄の誕生日が五月三十日、私の誕生日が六月一日。プレゼントをもらうのは誕生日当日。ケーキはいつも間をとって三十一日に食べていた。
今年は私が入院してるから……。だから、今日、ここでお祝いすることになった――。
ホールのタルトを見たときの高揚感はすでにない。ロウソクを見て可愛いと思った気持ちすらもぐらつき始める。
何もかもが空気のように心を通り過ぎ、色あせていく。
心の浮き浮き沈みが激しい自分に自分がついていけなくなりそう……。
「じゃ、火つけるぞ」
その言葉に辛うじて理性だけが反応した。
「お父さん、火はダメな気がする」
ここはまかり間違っても病室で、“火気”は厳禁だと思うの。
「翠葉はこういうとこ本当にしっかりしてるよなぁ? どうよ碧さん」
「そうね……こういうところは絶対に私譲りだと思うのよね」
そんな会話をしているお父さんとお母さんの後ろから、
「大丈夫よ」
と、聞き慣れた声がした。
家族の背後から水島さんがひょっこりと顔を出す。
「水島さん?」
「許可はとってあるし、スプリンクラーも作動しないようにしてある。もっとも、あと十分でタイムリミットだけどね」
そう言って水島さんも家族の輪に加わった。直後、楓先生と紫先生も来てくれた。
紫先生は循環器内科の先生で私の主治医。楓先生は麻酔科の先生。
「紫先生、診察……?」
訊くと、
「今日は土曜日だからね。外来の診察は午前で終わり。翠葉ちゃんの診察は朝に済ませただろう?」
と、柔和な笑顔が返ってくる。
「楓先生から翠葉ちゃんの誕生日のことを聞いてやってきたんだよ」
楓先生を見れば、
「自分は水島さん経由で情報ゲット。ごめんね、プレゼント用意してなくて手ぶらなんだけど」
と、軽く両手を上げて苦笑した。
そんな楓先生に水島さんは、
「じゃ、プレゼントはハッピーバースデーの歌で!」
と言う。
ロウソクに火を灯しみんなでハッピーバースデーを歌うと、最後に蒼兄とふたり「いっせーのぉせっ!」で火を吹き消した。
その場はとても賑やかだった。
切り分けたタルトをフォークで突いては口に運ぶみんなは笑顔そのもの。タルトは美味しいし、私もそう思ってるはずなのに、心はどこか遠くにある。自分は確かに“ここ”にいるのに、心だけが“ここ”にない。
何もかもが不透明。言葉がおかしいかもしれないけど、その言葉しか思いつかない。
不透明、不鮮明、色彩の欠如……。
苺タルトの苺は赤いと思うし、ロウソクの色だってわかる。でも、何かが違う。
窓の外に視線を移し、視界に入るものひとつひとつを見て思う。何も感じないと……。
私、どうしちゃったんだろう……。
どうしたら緑が緑に見える? どうしたら空がくすまずきれいに見える?
どうしたら、この世界の“色”を取り戻せるだろう……。
ここのところ、ずっとそれを考えていた。
体調に関しては今さら……と思うことのほうが多く、入院してる現時点で自分がどうこうできるものではないと、そう思っていた。
気持ちの持ちようでどうにかなるものならば、私はここにいない。
これから、自分がどこに向かっていくのか。どんな人生を歩むのか……。
先が見えない。先を想像することができない。先を知ることが怖い。
退院したら学校に行く。そんなことはわかってる。
違うの――私が不安に思うのはもっと違うものなの。
漠然とした不安……。
お母さんにもお父さんにも話したけれど、「今は体を治すことが先決」と言われてしまう。それに、「焦ることはない」と――。
自分が焦っているとは思わない。けど、どうしても不安になる。
どうしたらこの不安を解かってもらえるのかと考えてみたけれど、その答えが出ることもなかった。
「翠葉、今年のプレゼントはコレだ!」
そう言って、ベッドの陰に置いたものを目の前に出される。
それは黒いカバーに入っていた。
形が三角……。
「開けてごらん」
渡されたもののチャックを開くと中にはローズウッド素材の小型ハープが入っていた。
「お父さんっ!?」
「嬉しいか?」
コクコクと首を縦に振る。
「さすがにフロアハープは持ち込めないからなぁ……」
苦笑しつつ、大きなその手がケースからハープを取り出す。
「先週届いてから、蒼樹が毎日チューニングしてた。今朝もチューニングしてから持ってきたんだ。少し弾いてみるか?」
真新しいハープを抱え、弦に指をかけはっとする。
「お父さん、ダメ。ここ病院。音が鳴るものなんて……」
「翠葉ちゃん、それなら中庭に行くといいよ」
「紫先生……?」
「もちろん、手の空いてる人間が付き添えるときだけだけどね」
「……いいんですか?」
「あぁ、体調がいい日ならかまわないよ」
その言葉はなんてことのないもののはずなのに、私にとっては涙が出るほど嬉しいものだった。
だって、楽器なんて退院するまで弾けないと思っていたから……。
「おや、泣かしてしまったね」
口髭をいじる紫先生が大好き。
「先生ありがとうございます」
私が口にすると、お父さんもお母さんも蒼兄もみんなが頭を下げた。
「この時間は暑いからね。夕方にでも楓先生に連れてもらうといい。翠葉ちゃん、誕生日おめでとう」
そう言うと紫先生は病室を出て行った。
「翠葉、良かったわね?」
「良かったな?」
お母さんと蒼兄に言われて、今度こそ心から笑って「うん」と答えられた。
「お父さん、ありがとう」
「うんうん。喜んでもらえて良かったよ。でも、それは父さんからだけのプレゼントじゃないぞー? 蒼樹もバイトで稼いだ金を出してる。三人からのプレゼントだ」
満足そうに笑うお父さんの顔も、お母さんの笑顔も蒼兄の笑顔も大好き。何より――自分が心から笑えたことにほっとした。