9話 退屈
襲い来る獣を一閃、二閃。
獲物である狼型魔獣、レビディグの首を切り落とし、少女は大きく息をつく。
レビディグの首を革袋へと放り投げ、二本のショートソードを鞘に納めて空を見上げる。
太陽の方位からして、まだ夕刻にはならない程度だろうか。今回は面倒な仕事だと聞いていたが、些か拍子抜けである。
頭に巻いていた緑のバンダナを紐解き、肩口まで伸びる淡い青髪を手で梳きながら、少女は小さな声で呟くのだ。
「外の世界も、私が想像してたほど面白いものでもないのね」
少しばかり苛立たしげに吐き捨てながら、少女――マリーヴェルは、街への帰路へとつくのだった。
北方の雄、メーグアクラス王国の首都より南西二十キロほどに位置する商業都市ミリス。
この街は、首都と各地方とをつなぐ交通の要所であり、各地方の荷馬車や人の流れは、一度この地に集まると言われている。
それだけに人口も首都と並ぶ程の規模が在り、街並みも発展している。大規模な商業施設、娯楽施設、更には様々なギルドが店を並べ、街の熱気を奪いあっていた。
街中の一角、魔物ギルドの受付に彼女、マリーヴェルは訪れていた。先程仕留めた獲物を金に替える為である。
彼女が屠った魔獣レビディグは、なかなか厄介な魔物として知られており、彼女には相応の金が渡された。宿代にして二週間分はあるだろう。
『ミーク』という偽名の登録名で金を受け取り、マリーヴェルはギルドを後にする。彼女は正ギルド員ではなく、所謂日雇い冒険者扱いである。
故にギルドカードやギルドランクといったものは持たないし、興味が無い。彼女は明日を生きる金さえ手に入れればそれでいいのだ。
さっさとギルドを後にしたのは、長居をすればあちらこちらの人間からギルドに勧誘される為である。冗談じゃない、彼女は思う。
せっかく鳥籠の中から出られたのに、また何かに拘束されることなどウンザリだと。どこまでも自由に生きる、それがマリーヴェルの誰にも譲れぬ決意だった。
彼女、マリーヴェルの本当の名は、マリーヴェル・レミュエット・メーグアクラス。この国の第三王女である。
何故彼女が城ではなく、こんなギルドで魔物退治をしているのか。その理由は、彼女が城から逃げ出したからである。
今、メーグアクラス城では一つの問題で誰もが気を張っていた。それは、後継問題だ。
兄弟の中でも最年少であったマリーヴェルが十五を迎え、子供達全てが成人と見做されたとき、王位継承争いが本格化したのだ。
彼女を含め、五人の兄弟をあつめ、彼女の父である王は五人に後継者を決める争いを行うことを宣言したのだ。
この国には男も女も平等に王位継承権が与えられる。性別ではなく、優れた子供にこそ王位が贈られることが代々のしきたりであった。
時に兄弟同士で競い争い合い、ある時代ではそれこそ血を血で洗う醜い争いが発展したりもしたらしい。
だが、その王位争いをマリーヴェルは誰より早く脱落した。自分から『王位を継ぐつもりはない』と家族の前にて宣言したのである。
発言に驚く家族達に、彼女はその証明として、王族の証である指輪を投げ捨て、その場で叩き壊した。王族は生まれた時に、精霊からの洗礼を受けたアクセサリーを与えられる。それを持つことが王族の証明となるのだが、彼女はその指輪をあとかたもないほどに破壊したのだ。
故に、彼女は王位継承の資格なしとして、城から追い出された。このことに兄弟の誰もが喜んだ。自分から脱落してくれたのだ、喜ばない訳が無い。
しかし、一番喜んだのは他の誰でもないマリーヴェルだった。これで二度とあんな腐った空気の世界で暮さずに済むのだと。
マリーヴェルはただひたすらに王位に、特別な地位になど興味がなかったのだ。
そんなものよりも、マリーヴェルが求めたのは自由。何も縛られない、何物にも囚われない、胸躍る世界。
彼女の話を聞けば、誰もが彼女を笑うだろう。世間知らずのお嬢様が、汚れを知らぬお嬢様が、この世界に身一つで投げ出されても野たれ死ぬだけだと。
だが、彼女は今を生きている。何故なら彼女には力があった。彼女には剣という名の生き抜く力があったのだ。
王城で淑女としての、王としての授業を抜け出し、騎士団相手に培った力。それが今の彼女の生きていく力だった。
剣と共に世界を回る。城の中では得られないカタチの無いなにかを手にしてみせる。その決意を胸に、彼女は城を飛び出したのだった。
けれど、現実は彼女に充実という感情を与えてくれることは無かった。外の世界で生きると言うことは、日々の糧を如何に稼ぐかを考えることだ。
それは彼女にとって恐ろしく詰まらぬ作業であった。ギルドにて魔物退治を請け負い、要求された魔物を狩り、数日分の日銭を稼ぐ。
ギルドに張り出されている魔物の中には、彼女の胸を躍らせてくれるような存在などなかった。張り出されている魔物の強弱など、殺す時間が数分伸びるかどうかの差でしかない。
では、胸躍るような人物がギルドにいるかといえば、それこそ否。どいつもこいつも、弱い魔物で日銭を稼ぐことに慣れ過ぎて、今を享楽的に生きる者ばかりだ。
そこに、マリーヴェルの退屈を埋めるような強者など存在しない。彼女の容姿に目をつけ、下心で近づいてきた者には、相応の制裁を加えたが、それだけだ。
城を飛び出して四カ月。マリーヴェルは胸にどうしようもない空洞を抱えたまま、今日を生きていた。つまらないものだ、と。
翌日の朝、マリーヴェルは気だるげな空気を醸し出しながらも、ギルドの方へと足を運ぶ。
彼女がギルドを訪れる理由はただひとつ、退屈をしのげそうな依頼がないかどうかを確かめる為だ。
これまでの依頼報酬をほとんど消費していない為、その気になれば働かずとも生活出来る彼女であるが、それでもここに足を運んでしまう。
それは僅かばかりの期待を捨てられないから。彼女の願う、城の外の世界の本当の楽しさを知ることが出来る、なにかを。
ギルドの扉を少し乱暴に開き入室するマリーヴェルだが、いつものギルド内との空気の違いに気付く。
冒険者達の誰もが目を輝かせ、欲望の色に染められて何やら紙切れを楽しげに読み耽っているではないか。それが一体何なのかは分からないが、彼らにとっては非常に『おいしい』話が書かれているらしい。
マリーヴェルは呆れるように息をつきながら、馬鹿みたいと内心呟く。大体の依頼の方向性を、この時点で読み取った為だ。
恐らく、紙面の内容は報酬がかなり高い依頼、それも『貴族絡み』だ。このような弱小ギルドにあんな風に大騒ぎする依頼など、上流階層からの依頼以外考えられない。
そして、その内容は恐らく超のつく厄介事だとマリーヴェルは推察する。貴族がこういうところに依頼を頼むのは、騎士を使えない、もしくは騎士では出来ない程の厄介事である可能性が高いのだ。
紙面には記されていないだろうが、文面の裏に危険や厄介が潜んでいる。そしてそれは切り捨てても問題にならない冒険者に与えてしまったほうが早いと考えている筈だ。
だからこそ、マリーヴェルは彼らのように浮かれることはなかった。加えて、マリーヴェルは飛び出して権利を放棄したとはいえ、元王族なのだ。
そんな彼女が貴族の前にのこのこと冒険者として現れては、どんな問題が起こるか分からない。下らぬ面倒事を引き起こそうとするほど、マリーヴェルは馬鹿ではなかった。
他の冒険者達が盛り上がっている依頼を無視し、受付に何か面白い依頼は無いかと問うが、今ギルド内はこの依頼でいっぱいだと皆と同じ紙切れを数枚渡されるだけ。
苦々しく思いながら、紙面に目を通して、案の定とマリーヴェルは鼻で笑う。紙面に書かれていたのは、以下のような内容だった。
依頼者は第一王子リュンヒルド、第二王子レイドルム、第一王女クシャト、第二王女ミレイア。
依頼主はそれぞれ紙面ごとに異なるが、彼らの依頼内容は全て同じだ。この街より遥か北東の森の中のある洞窟まで、護衛を務めること。
報酬はそれぞれ異なるが、どれもこのギルドのメンバー程度ならば、一生働かずとも生活出来る額である。
マリーヴェルは依頼者と依頼内容から、この依頼が王位継承争いの本レースであることを瞬時に悟った。何故ならば彼女は知っているからだ。王位継承者は、王の力に頼らず紙面に書かれた洞窟へ向かわねばならないことを。
その中で何があるのかは彼女とてしらない。何故なら、王位継承者は誰もがその口を閉ざし中での出来事を話さないからだ。
ただ、ひとつだけ言えることは、この洞窟に四人が向かっても、帰ってくるのは一人だけだ。残りの者は決して戻らないだろう。
それが、歴代の王族達だった。恐らくは死したのだろうが、洞窟の中から帰ってくる者は孤高の王独りのみ。それが、この国の王位継承戦争の内容であるのだ。
「まあ、私には関係ないけれど。せいぜい勝手に殺し合いでもなんでもやればいいわ。あほらし」
渡された紙を力強く丸めて、ゴミ箱へ放り投げる。マリーヴェルは王族を辞めた身だ、今回の件は関係も無いし、自分から関与するつもりもなかった。
だからこそ、彼女はギルドから帰ろうとした。今週いっぱいは恐らくここにきても何の意味も無い。いや、もっとかかるかもしれない。
もういっそのこと、別の街へ移動しようかと考えながら、ギルドの扉を潜り抜けようとしたその時だった。
それは、唐突に訪れた。
ギルドの扉から出ていく自分と通りすがった少年から、自分の中の何かを呼び起こされるような感覚。
過去に遇ったことも無い、初めて見る少年に、マリーヴェルは意識を囚われる。外へ出ようとしていた足を止め、振り返って少年の後ろ姿を凝視する。
背丈はマリーヴェルより頭一つ分程高いだろうか。淡い緑の髪が特徴的な少年だ。正面から見た限り、容姿の方も悪くは無い。穏やかそうだが、意志の強そうな瞳だ。
だが、それ以上にマリーヴェルの目を捕えて離さないのは、その背中に背負う槍と彼の体躯。
その槍は巨大で、彼のまだ成長しきってはいない体躯ではどう考えても振り回せそうにないような獲物である。だが、マリーヴェルはそれを思考内で打ち消す。そうではない、と。彼はあの獲物を使いこなせると、確信していた。
マリーヴェルがそう断定した理由は、彼の身体運び。あの槍を背負いながら、彼の身体の中心は一切にブレが無い。無駄が削られて、隙がないのだ。
彼女は五歳を数える頃から、騎士団に混じって剣を振るってきた。だからこそ、相手を観察する能力は人一倍磨いてきたと自負している。
その自分が、確信しているのだ。あの少年に感じたものは分からない、けれども彼は、『強い』と――
ギルドに入り、右に左にキョロキョロと辺りを見渡す少年の姿を見て、マリーヴェルは迷ったものの、少しばかり観察する事にした。
彼を視界に入れ、彼女の選択肢からこのまま帰るというものは無くなったらしい。どうせ帰っても宿屋で寝るだけなのだから、もう少し時間を使ってみてもいいと判断したのだ。
一体あれほどの使い手が、何の用でこのギルドにきたのだろうか。そのことを純粋にマリーヴェルは興味を持った。
このギルド程度では、彼を満足させるような依頼などないとマリーヴェルは決めつけている。だからこそ、興味があるのだ。彼がそのまま自分のように失望して帰るのか、それとも。
少年は、自分が来た時と同じように、受付から例の依頼書を渡される。
その姿を見ながら、マリーヴェルは思考する。受付にいったということは、彼もやはり魔物討伐などで日銭を稼ぐ為にここにきたのだろうか。
だが、もしそうであれば、彼の心を満足させるようなものはここにはない。あるのは王族様の厄介事しか残されていないのだから。
さて、どうするのだろう。じっと彼の方を観察していたマリーヴェルだが、そのような冷静さを保つのが不可能となる。少年が紙切れを数分ほどじっと眺めた後に、とんでもない爆弾を口にした為だ。
「すみません、依頼者はこれで全員でしょうか?他の王族の方は依頼をされていないのでしょうか?」
「ああ?おかしなことを言う奴だな。他に誰がこんな依頼をするっていうんだ?」
「第三王女――第三王女、マリーヴェル・レミュエット・メーグアクラス様です。この方の依頼書は、ありませんか?」
それはマリーヴェルにとって、生まれて初めての経験だった。
自分の名前をただ呼ばれて、心臓が飛び出そうになるほど驚かされた経験など、記憶を遡ってもありはしなかったのだ。




