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第8話

 開戦を告げる鐘の代わりにロシア兵達の耳に届いたのは耳障りなロケット弾の

飛翔音だった。西から、すなわちドイツ軍の方から飛んできた何発ものロケット

弾はゾウの鳴き声のような不快な音をまき散らしつつ広範囲に散らばり、辺り一

面を目茶苦茶に破壊した。彼らのロケットもこちらの「カチューシャ」に負けず

劣らず優秀な兵器だった。

 タコ壺にしては少々深く塹壕にしては全く頼りない穴ぼこに身を隠していた歩

兵達は、その身をさらに縮こませてじっと耐える。戦車の中に居る人間にはこう

いうとき逃げ場がない。だが生身に比べればずっと安心と言える。全てのハッチ

を閉じたT-34も壕にその巨体を沈ませてひたすら耐える。ここで慌てて飛び出す

ような真似をしても何にも成らない。

 どこに敵の銃弾砲弾が飛んでくるかは運だとしても、その辺を無意味に走り回

るよりかはタコ壺に張り付いていた方が長生きできる。とかく戦争は短気な人間

には向かない仕事だ。ロケット弾による攻撃が終わり、戦場に一瞬静けさが戻る。

しかし次の瞬間には野砲の猛砲撃が始まるのが常だった。

 相手が頭も出せないように火砲で押さえつつ味方を進出させる。敵も味方もよ

くやる常套手段だ。

 ガラス窓から見える風景がどんどん破壊され月面のように穴だらけになってい

くのをヴィクトルは息をのみつつ眺めた。ロケットは時折全く見当違いなところ

に弾を落とすことがあったが、野砲は磁石で吸い寄せられているかのように正確

にこちらの陣地に砲弾を撃ち込んできた。車内にいても猛烈な振動を感じる。体

を張って揺さぶられるのを押さえつけるが、それとは別に恐怖で体がブルブルと

震えた。

 隣のソフィアを見ると両手を腹の前で祈るように組み、じっと振動と恐怖に耐

えているのが見えた。組んだ手の中からはあのおそろいのハンカチが顔を出して

いて、それを瞬きもせず見つめている。凄まじい砲撃で煙が立ち登り車外の様子

がまるで分からなくなった。ただ恐ろしい音と振動に耐えるしかない。

 かれこれ2、30分は砲撃が続いているようだと思って手元の時計を見てみる

と、長針は4分しか進んでいない。見間違えかと思ったが何度確認しても4分。

時間の流れが狂ってしまったのかと思う。

 砲撃が始まったときと同じく砲撃が終わるのも一瞬だった。煙が少しずつ薄ら

いで視界が良くなると、ヴィクトルはハッチを開け恐る恐る顔を出す。辺りには

一面草花が咲いて緑の絨毯が広がっていたはずが、今は掘り返された茶色い土し

か見えない。前方やや左には数十センチは深さがありそうな大穴が開いていた。

もし直撃していたら命はなかっただろう。

 唾を飲み込んでから頭を働かせ、気の張った声を出すように努めて「全員無事

だな!」と叫ぶ。少女達のハキハキした返事が次々と返ってくるのを聞いてヴィ

クトルは少し安心感を覚えた。

「エカテリーナ、小隊各車へ繋いでくれ。……こちら小隊長車。各車被害状況知

らせ」

 無線で222号車と223号車を呼び出す。2両とも異常なしを報告してきた。

こいつは幸先が良い。そう思った次の瞬間イヤホンから嫌な単語が聞こえてきた。

「戦車発見! 方向中隊正面!」

 急いで双眼鏡を取り出し敵を探す。11時方向の稜線から敵の戦車が姿を現す

のが見えた。黄色っぽい砂の色で塗られた角張った車体、幅広の履帯に砲塔に長

く長く突き出た砲身。この姿は忘れたくても忘れられない。

「敵は虎戦車と推定。距離1500m!」

 双眼鏡に刻まれた目盛りから大ざっぱな距離を計算してヴィクトルはレシーバ

ーに叫ぶ。その情報はたちまち中隊じゅうに伝わり、虎恐怖症が鎌首をもたげ始

める。隣の中隊はおろか、無線機を持っていない歩兵達にまで虎戦車出現の報告

が広まった。

「撃ちますか」

 となりのソフィアが静かに聞いてくる。車内に体を引っ込めると、彼女はすで

に左手をケース内の砲弾に掛け命令を待っていた。その手が震えているのがハッ

キリと見える。

「まだだ。ここから撃っても致命傷にはならない。引きつけろ。エカテリーナ、

222と223にもそう伝えてくれ」

 例え装甲を貫通できる距離でなくとも乗員や車内の機器にダメージを与えるこ

とは一般論としてあり得るが、こと虎戦車に限っては金庫に石ころを投げるよう

なものでしかない。履帯を狙って当てられるほど近くはないし、せっかく身を隠

しているのに敵の車内灯を一つ壊すのと引き替えに自分の位置を暴露するのは避

けたかった。

 だが虎恐怖症によって上がったボルテージは、始めて虎と対面する兵士のタガ

をことごとく外し、彼らを興奮状態へと押しやった。双眼鏡を覗いているヴィク

トルの視界の端に突然閃光が走る。

「な、誰が撃った!?」

 彼らの南――車内から見て左――300mの所に位置する第3小隊の各車は一

斉に砲撃を始めた。まばゆい発砲炎と煙が立ち上り、何発もの徹甲弾が虎戦車へ

と降り注ぐ。しかし急いで撃ったのか、あるものは遙か彼方へあるものはずっと

手前に着弾する有様だ。虎戦車は距離1200で一旦停止、砲塔を獲物の方へぐ

るりと向ける。そこへ一発砲弾が飛び込んだ。が、ほんの少し車体が揺らいだだ

けでまったく貫徹出来ていない。双眼鏡の中の虎戦車がおおきな炎を発して砲撃

した。いそいで体を左に向けて様子を見ると、虎戦車の砲弾は第3小隊の1号車

の右後方十数メートルの所へ着弾した。

 やはり防御姿勢を取っている相手には当てづらいのか。ヴィクトルがそうほく

そ笑んだ次の瞬間、小隊長車の砲塔が砕け散った。驚く間もなく火の手が上がり

瞬く間に戦車を包んだ。次いで隣にいた232号車。必死に応戦する彼らに虎戦

車は正確な射撃を送り込み、一撃で沈黙させる。小隊長を失い恐慌状態になった

233と234はあろう事か壕から這い出て逃げだそうとした。

 自殺行為だ! ヴィクトルは心の中で叫ぶが、何故か敵の砲弾は飛んでこない。

虎戦車へ双眼鏡を向けると、1000mまで近づいていた虎はこちらに車体と砲

塔を向けたまま後退していた。虎戦車が逃げ出した! 始めて見る余りにも不思

議な光景にヴィクトルもパニックを起こしそうだった。

 しっぽを巻いて逃げ出す虎戦車など聞いたためしがない。

「虎戦車は後退中! 追撃する!」

 誰かがそう叫ぶと、これ幸いとばかりに第3小隊の残り2両は全速で突撃し始

める。それに釣られたのかヴィクトル達の北側に布陣する第1小隊も4両全車が

壕から出てきて突撃を始めてしまった。

 怪しい。こちらを一方的に撃破でき、しかもこちらの砲弾では撃破されない絶

好の距離なのだ。鎮座したままひたすら砲撃すればいいものを何故後退する必要

があるというのか。罠だ、と直感するのと、突撃する第1小隊の3号車が爆発を

起こしたのは同時だった。

「パーヴェル車より小隊長、1時の方向に敵。III号戦車のように見える。おっと、

虎もいるぞ!」

 前進し続ける第1小隊のさらに向こう、北西に広がるまばらな木々の間から何

かが迫ってくるのが見えた。2両のIII号戦車と1両の虎戦車が間隔を広く取り、

第1小隊へ向けて熾烈な砲撃を行っていた。その背後には兵員輸送車が何両か見

える。距離はおよそ1300m。まんまと釣り出された事にヴィクトルはショッ

クを受けたが、すぐに冷静さを取り戻すとレシーバーをひっつかんで敵に囲まれ

ていることを突撃した6両に連絡する。

「第1小隊、第3小隊全車へ! 北西から敵戦車多数! すぐに引き返せ!」

「間に合わない……」

 ペリスコープを使い突撃する味方を見ていたソフィアの、その悲痛な声が車内

通話装置を通じて聞こえた。第1小隊の2号車と4号車は一瞬でスクラップとな

り、最後までもがいていた211、すなわち小隊長車も起動輪を打ち抜かれその

場に停止してしまう。乗員が脱出しようと身を乗り出したのと砲弾が側面を貫い

たのは同時だった。

 第1小隊、全滅。

 なんてことだ。第2中隊11両の内6両が一瞬で撃破されてしまった。しかも

残った内の2両は敵のど真ん中にいる。北西から現れた敵戦車はソヴィエト軍の

真っ正面に現れたにもかかわらず、全く抵抗を受けないまま間近に迫ってきてい

た。

 ドイツ兵にとって幸運なことに、そしてヴィクトル達には不運なことに2両目

の虎は戦区の隙間を縫ってここまでたどり着いてきたのだ。だが派手な発砲炎は

北に展開している第1中隊からも見えたはずだ。気付いてくれ。1両目の虎は少

し前進して良い射点を確保すると、車体を右へわずかに傾けつつ残る敵へと砲塔

を向けた。

「クソ! 各車へ、突撃中の味方戦車を支援する。目標正面の虎。北西の奴は後

回しだ! ソフィア! 距離1000m、弾種徹甲弾。砲塔の付け根を狙え。奴

の照準を邪魔しろ!」

 壕に隠れたままの3両がほぼ同時に火を吹く。照準する時間がじっくりあった

ためか、3発全てが虎へ命中した。だが無傷。とはいえ今まで気付かなかった相

手に一斉に撃たれて驚いたのか、虎戦車はその動きを一瞬止めたように見えた。

ソフィアに「いいぞ、このまま撃ちまくれ」とだけ命令しハッチから頭を出す。

全速で突撃している第3小隊の3号車と4号車がなんとか接近戦闘へ持ち込んで

くれれば撃破しうる。が、それには側面でも500m、正面からなら100mま

で近づかなければならない。虎戦車は側面をこちらへ晒すような真似などしない

だろう。

 しかしだからといって味方を見殺しになど出来るものか。

 233と234は走りながら虎へと砲撃を――つまり行進間射撃を行っている。

だが走りながら撃つ弾はまずもって当たらない。案の定明後日の方向へ吸い込ま

れる2発の砲弾。

 しかしだからといって味方を見殺しには出来ないのだ!

 数秒おきに被弾しさらには敵が側面へ回り込まんとしている状況にさすがの虎

戦車にも焦りが見え、至近距離にもかかわらず砲撃を外した。233号車と23

4号車は左右に分かれてさらに距離を詰める。だがそれまでだった。虎が放った

砲弾が234号車の側面に命中したのだ。車体右側の装甲板がしわくちゃに千切

れ飛ぶ。生気を失ったようにずるずると慣性で走っていたT-34はやがてその動き

を完全に止める。虎は車体と砲塔両方を旋回させ、左側面へと回り込もうとした

233号車へと狙いを付ける。

 だがこちらの方が早かった。

 233はフルブレーキで停車。前後に揺れる車体の動揺が収まると同時に発砲。

砲弾は虎へ深々と突き刺さる。しかしそれは狙った車体側面ではなく、履帯を一

番後側で支える誘導輪を破壊しただけだった。虎は左側履帯の自由を失い事実上

行動不能になったが、その戦闘機能には何の問題もなかった。233が仕留め損

なった様子を見てヴィクトルは絶句する。確かに虎は逃げることが出来なくなっ

た。しかし彼らには逃げる必要など元から無い。3両掛かりで支援してようやく

至近距離まで接近したというのに撃破出来なかった。また一から突撃し直すとで

も言うのか。

 T-34が次弾を放つ前に撃ち込まれた88mm砲弾は砲塔を易々と貫き、233

を無価値な鉄塊へと変えた。次はお前達だという風に右方向へ旋回する砲塔。な

おも第2小隊のT-34が放つ砲弾を喰らいつつも、そんなものは効かぬといった様

子を見せている。だが、その長い砲身はこちらを一瞬にらみ付けただけで、その

まま右へ右へと狙いをずらしていった。明らかに別の何かを狙っている。今度は

一体何を企んでいるんだ。怪しむヴィクトルだったがその答えは間もなく理解で

きた。虎は突然何物かに砲弾を撃ち込まれ、巨大な爆煙に包み込まれたのだ。し

ばしの後煙の中から現れた虎は、砲塔右側にここからでも見えるくらい大きな亀

裂を負っていた。砲塔を乗せているリングが歪んだのか、砲塔そのものが傾いて

しまっているように見える。

 T-34の砲撃ではない。近くには自分たちしか居ないはずだし、第一100mm

クラスの火砲を直撃させねばこんな事にはならない。虎戦車は気を失ったように

その場で沈黙する。そこに2発目の砲弾が撃ち込まれ、砲塔がひっくり返って転

げ落ちた。虎の死に様はここまで壮絶なものなのか。ここまでしなければ虎は仕

留められないのかと驚きつつも、どうも南側からの砲撃らしいと判断したヴィク

トルは双眼鏡を顔に当て確認する。そこにいたのは――

「『夜明け』から305大隊第2中隊へ、今から支援に入る」

 砲塔も砲身も、車体までもが巨人。あらゆるものを粉砕する152mm砲を備

えたKV-2重戦車がそこにいた。

「221号車から『夜明け』へ、助かった。ここを守備している味方戦車は3両

だけだ。北西にまだ虎がいる」

「『夜明け』了解。第2小隊長だよな? いつぞやの借りはしっかり返すぞ」

 妙に野太い声を聞きながら思い出す。ついこの前沼地に落ち、小隊の戦力の4

分の1を割いて助けたKV-2、あれが助けに来てくれたのだ。

「こちら224号車、自分もいますよ。指示を頼みます」

 打って変わって若い声が無線を通して聞こえた。エンジンが吹っ飛んだあの2

24号車が修理を完了し、全速で走ってきたのだという。まさにぎりぎりのタイ

ミングだ。

 歩兵達が射撃を始めた。軽機関銃の曳光弾が150mくらい先の草むらへ吸い

込まれる。ここからは見えないが敵の歩兵が近づいているのかもしれない。一方

北西の虎戦車とIII号戦車は、ヴィクトルら第2中隊は1両目の虎で相手に出来る

と踏んでいたのか、こちらへ向かわず元の進路のまま前進。第1中隊からの砲火

を物ともせず第1、第2中隊を分断するくさびとなっていた。虎戦車の向こうに

煙を上げて炎上する戦車がいくつも見える。十中八九味方がやられたのだろう。

 敵の主攻は第1中隊と見て良い。正面突破をする形になるが、彼らにはそれを

実現可能にする兵器と技量がある。第2中隊の正面に展開していた虎は叩いた。

である以上、ヴィクトル達が果たすべき任務は第1中隊を蹂躙しつつある敵を食

い止めることだ。

「222へ、俺達も出よう。北西の虎を横から叩く。『夜明け』はそのまま北上

して俺達についてきてくれ。223と224はこの陣地を防御。歩兵の支援を頼

む」

 各車から返事が届く。アナスタシヤにバックを命じてT-34は壕から這いだした。

方向転換する221号車のすぐ後をKV-2が全速で通り過ぎる。パーヴェル車も続

き北方へ全速で向かう。223号車はダッグインしたまま機関銃を撃ち始める。

その100mほど南に224号車は停止、歩兵の盾となるべくじりじりと前進す

る。

「アナスタシヤ、ちょい左。行きすぎた、右へ戻せ。……よし、そのまま真っ直

ぐ!」

 揺れる車内で、地図に書き込んだ戦車の走行に適する固い地面を示す印を見な

がらヴィクトルは指示を出す。履帯が路面をしっかり捕らえているせいか、前方

約100mのところを走っていたKVにあっさり追いつき、すぐに追い抜いてしま

う。敵との距離はまだ1000mはある。正面右に虎戦車、正面左にお供のIII号

戦車が真横を晒しているのが見える。ふと、III号戦車が足を止め、車体をこちら

に向け始めた。気付かれたのだ! 全滅させたはずの敵がひょっこり現れたのだ

から相手も驚いただろうが、敵の目の良さ、観察の鋭さにヴィクトルも驚いた。

正面の敵と撃ち合っている最中に、真横にいる1000m先の相手を見つけると

は。ドイツ人は目が4つあるのだろうか?

 止まって相手をしている暇はない。この距離ならIII号戦車とは良い勝負になる

だろうが、無線で虎戦車に情報が伝わったらイチコロだ。

「221は虎へ突っ込む。222は援護を頼む。ソフィア、発煙弾込めろ! 照

準距離150m!」

 ソフィアが左隣の箱から砲弾を取り出し主砲に押し込む。直ちに照準機を覗き、

発砲。着弾とほぼ同時に重く厚ぼったい煙幕が立ち込め、T-34とIII号との間に障

害物となって広がった。右側数十mのところに敵の砲弾が着弾し土をまき散らす。

適当に撃って当たる物か。

「いいぞ、もう一発だ」

 2発目の発煙弾を撃つと同時に最初に張った煙幕の中へT-34は飛び込む。その

右後方にKVが続く。煙幕の中から出る頃には2つ目の煙の壁が敵の視界を遮って

くれていた。パーヴェル車は張られた煙幕に突入せず、虎戦車からは姿を隠しつ

つIII号を狙える絶好のポイントへ迂回する。

「煙幕から出たら右正面に虎が居るはずだ、止まらずに背後へ回り込め! 準備

しろソフィア。高速徹甲弾装填、射距離400m! 『夜明け』へ! 集中射撃

でまず虎を仕留める。お供は後回しだ!」

「了解!」

 煙たいのを我慢してハッチから顔を出す。重い煙の中からまずT-34が、遅れてK

Vが飛び出した。煙幕から飛び出したヴィクトルの視界に映ったのは、こちらへ車

体と主砲を向けた虎戦車……。

 ヴィクトルが驚く間も無く虎の砲弾が放たれる。突撃を予想し待ち構えていた

虎の砲弾は、しかし予想以上にスピードのついたT-34を狙いきれず地面に穴を開

けただけだった。T-34はそのまま虎の側面へ回り込もうとする。KVは足を止め射

撃体勢に。その隙を見逃さず虎は第二撃をKVへ向けて放った。ヴィクトルの目に

もはっきりKVが被弾した様子が見える。KVも重装甲を持っているとはいえ至近距

離だ。耐えてくれ。

 祈りが通じたのか当たり所が良かったのか、88mm砲弾をなんとか堪えたら

しいKVが、その巨砲に押し込まれた砲弾を虎へ向けて撃ち込むのとほぼ同時に第

三撃が突き刺さった。射撃のほんの少し直前に被弾したKVは、衝撃を受けて砲弾

を明後日の方角へと吸い込ませてしまう。巨大な152mm砲弾はそのサイズに

比例した重量を持つ。1発あたり40kgはあるのだから、次弾装填まで30秒

はかかる。

 だがそれでも問題なかった。KVが時間を稼いだおかげで221号車は虎戦車の

真横、距離200mまで接近していたからだ。ソフィアの覗く照準機の中では車

体も砲塔も横を向いている虎戦車がはみ出すほど大きく映っていた。明るい黄土

色で塗られた、角張った巨大な戦車。そいつは今脆弱な脇腹をこちらへと見せて

いる。

「俺が装填する、撃ちまくれソフィア!」

 高速徹甲弾を側面に1発。虎戦車が砲塔をこちらへ向け始める。今度は砲塔へ

撃ち込む。まだ止まらない。今度は炸薬の入っている普通の徹甲弾を撃ち込む。

砲塔へ1発。まだ止まらない! 次いで車体へ1発。ようやくその動きが止まっ

た。

「よし、とどめを刺せ」

 それからさらに3発撃ち込む。3発目を撃ち込んだ直後、虎戦車の車体後方、

エンジンのあるあたりから火が上がった。

 虎戦車、撃破。

 だが喜んでいる暇はない。我々のすぐ後方にはIII号が居る! しかしヴィクト

ルの焦りとは裏腹にそのIII号を見つけるのは簡単だった。パーヴェル車の砲撃で

撃破され煙を噴いていたからだ。

「222、助かる。虎は撃破した」

「気をつけろ、すぐ後に歩兵が居るぞ」

 狭い砲塔の中でなんとか振り返り視線を後へ向けると、T-34の後方40mも有

るか無いかの所にドイツ軍の歩兵がいた。対戦車地雷や、救急箱のような形をし

た梱包爆薬を手に持った何人かの兵士がこちらへ走ってきている。戦車に対して

生身の人間が戦いを挑むなど冗談ではないが、彼らの攻撃を喰らえばこちらも冗

談では済まないことになる。

「真後ろに敵歩兵、アナスタシヤ、戦車6時方向へ! エカテリーナは機銃の準

備しろ! 榴散弾込め!」

 ドイツ兵は勇敢だった。が、ヴィクトル達の方が速かった。あと一息で投擲距

離まで持ち込めただろうが、T-34の車体機銃がそれを許さなかった。何人かは機

関銃弾で倒れ、残りは榴散弾でなぎ倒された。榴散弾は瞬時に炸裂すると何十何

百もの子弾を放ち、さながら散弾銃のようにドイツ兵に襲いかかった。そのまま

ありったけの榴弾、榴散弾、機関銃弾をばらまいて敵兵を一掃する。

 今度はこちらが反撃する番だ。敵がやって来た道筋を逆に辿っていく。パーヴ

ェルの222と「夜明け」も付いてきたが、エンジンの調子でも悪いのかKVは酷

く遅れていた。ヴィクトルがハッチから顔だけ出して周囲をにらみ付けていると、

10時方向距離200mほどの所に、こちらへ向けて駆けてくる何人かの兵士が

見て取れた。すわ敵か! と機銃掃射を命じようとするが、双眼鏡でよくよく見

ればソヴィエト兵だった。彼らは時折後方を見ながら慌てた様子で走っている。

前進する戦車と後退する歩兵。顔を出しているヴィクトルに気がついたのか、5

0mくらいまで近づいた彼らのうちの一人が後方を指さして手を振った。221

号車から500m程の所に稜線がある。あの向こうに有力な敵がいて、自分たち

は後退を余儀なくされている――そんな感じのことを言いたいのだろう。ソフィ

アに徹甲弾を装填させつつさらに前進を続けると、果たして稜線からハーフトラ

ックが1台、機銃を乱射しながら現れた。その隣にはまたもIII号戦車。こいつは

第1小隊をつるべ打ちにしていた2両のIII号の片割れに違いない。虎ともう1両

のIII号と共に突撃することはせず、ハーフトラックから降車して戦闘に入った歩

兵の支援をしていたようだ。目の前にいきなり3両もの戦車が現れたとあってか、

III号は驚いたそぶりを見せた――無論戦車に顔はない。ヴィクトルがそう感じた

という話だ――が、稜線の向こうまで一旦下がってから射撃体勢を取った。

 稜線射撃と言う奴だ。こちらからは相手の砲塔しか見えないが、向こうからは

こちらの全身が見えている。ハーフトラックも急転回して逃げだそうとし始める。

「戦車停止! 戦車を先に仕留める。撃てソフィア!」

 ハッチを閉じ車内に体を滑り込ませてヴィクトルは叫んだ。221号車の主砲

が火を吹く。だが的が小さいことと高低差があることが災いして、砲弾は稜線の

手前に着弾する。ワンテンポ遅れて222も射撃を開始した。が、さしものパー

ヴェルも初弾を命中させることは叶わなず、ソフィアとは逆に空へと砲弾を吸い

込ませてしまう。その間にIII号は砲塔を旋回させ目標を狙う。3両もいる敵戦車

の中からドイツ兵が狙いを定めたのは選りにも選って221だった。ヴィクトル

が体の右側にある即応弾を主砲へ押し込み、装填完了を告げると同時に被弾の轟

音と衝撃が221を包み込む。砲弾はT-34の車体正面下部へ命中するが、そこは

傾斜装甲となっているうえ最厚部だ。辛うじて貫通しなかった。だが車内では、

4人のクルーがそんな事などお構いなしに声も出ないほど揺さぶられ、意識を失

いそうになるのを懸命に堪えていた。

 揺れが収まりきらない内にソフィアが照準を修正する。主砲基部の頬当てに顔

を押しつけ、目を見開く。最初の1発が着弾した場所から必要な修正量を割り出

し、主砲の高低ハンドルを少し回す。照準機にはIII号の砲塔がしっかりと捉えら

れていた。この戦車を、3人の新たな家族を守れるのは自分しかいない。

 今度は奪わせはしない。

 発射ペダルを踏み込む。放たれた徹甲弾はIII号の主砲防盾右側を見事に貫通。

戦闘室内に飛び込んだ弾頭は信管により炸裂し、車内に存在するあらゆるものを

打ち砕いた。砲塔から煙を噴き上げるIII号。直後にパーヴェルの2発目が飛び込

み、完全に沈黙した。撃破されたIII号を尻目に逃げ出そうとするハーフトラック

と、それを追わんとする3両の戦車。だが、横合いから飛び込んだ砲弾が話を終

わらせた。まばゆい炎を上げて撃破されるハーフトラック。ヴィクトルが砲弾の

来た先を見ると、3時方向600mくらいの所で第1中隊所属のT-34が2両、誇

らしげに構えていた。

 突破を試みる敵を迎え撃つ中で、反対側にいた第1中隊の車両と相互に顔を向

けての連絡が取れた。と言うことはつまり、敵兵の突破を食い止めたのだ。

「第2中隊本部より各隊。地点149の北西約3kmに敵歩戦が発見された。大

隊本部からの報告によると第145歩兵師団からの援軍に来た自走砲隊並びに歩

兵隊が現在戦闘中。第2・第3中隊は至急援護に迎えとの由。中隊命令、第2中

隊各隊は周囲の敵を撃破次第北上、友軍を救助せよ」

 中隊からの指示が来る。手持ちの3個中隊の内ふたつも援軍に向かわせるとい

う。ここでの戦闘の勝敗は既に決したのか、それとも新たに発見された敵が大変

な脅威だというのだろうか。多分後者だろう。援軍に来た味方に対して援軍を向

かわせねばならないとは皮肉な話もあったものだ。それはそれとして、ともかく

移動せねば。だが第2中隊と言っても残っているのはもはやヴィクトルら第2小

隊と「夜明け」だけなのだ。

「勝手なこと言うてくれるなぁ……」

 アナスタシヤが渋く重いシフトレバーをエカテリーナと一緒に動かしながら愚

痴る。その疲れの混じった物言いが皆の気持ちを代弁していた。戦力は無い。し

かし、無い物は無いのだ! 無いなりに何とかするのだ!

 エカテリーナに無線を繋がせて僚車を呼び出し、223と224に現状を報告

させる。虎の砲弾を派手に被弾した「夜明け」にも様子を尋ねる。

「こちら224、現在223と共に防御戦闘中。敵車両複数。なんとか押しとど

められそうですが、可能ならば支援をお願いします」

「『夜明け』より第2小隊長車、誰もやられちゃいないが全力で走ってきたせい

かトランスミッションの調子が悪い。ゆっくり走らせてくれや」

 頭の中で手持ちの戦力とその状況を計算し最適な分配を考える。KVの火力は是

非とも欲しいが無理もさせられない。代わりに小隊で一番の腕利きであるパーヴ

ェル車を連れて行こう。

「よし。パーヴェル、付いてきてくれ。『夜明け』は戻って223と224の支

援を頼む。エカテリーナ、第2中隊が俺達以外やられた事と2両で自走砲隊の支

援に向かう旨、中隊へ報告してくれ」

 221号車と222号車はKV-2に後を任せると急いで街道に向かい、整地され

た道路を一路北へ向かう。街道の前方には第3中隊のT-34が何両か見えた。よく

よく数えてみると4両しか居ない。残りはまだ戦闘中で後から付いてくるのか、

それともやられたのか。

 味方がいるのは頼もしいことだが、ここで緊張の糸をたるませてはならない。

敵戦車はあらかた撃破ないし撃退したが、それでもまだどこかに潜んでこちらを

狙っているやも知れない。周囲を警戒しつつ、全速で走り去る6両のT-34。キュ

ーポラから監視を続けていたヴィクトルは急に暑さを感じた。顔の汗を拭った左

袖にべったりと染みが付く。このハッチから身を乗り出して風に当たればさぞ心

地よいだろうが、同時に自分の体も風通りを良くされてしまうだろう。生唾を飲

み込みぐっと我慢する。

 そう、戦いはまだ続いているのだ。

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