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第4話

 翌朝、まだ涼しい時間帯から兵士達は行動を開始した。ある者は小銃を確かめ、

ある者はこれが最後とばかりに大飯を喰らう。兵士達全員に「規定の100グラ

ム」の通称で呼ばれるウォトカが配給される。攻撃開始前にアルコールの配給が

あるのがソ連軍の常だった。

 もちろん、攻撃前に酒を配ることにあまりいい感情を抱かない指揮官達も数多

くいた。大抵の兵士は一口飲むだけにとどめるか、でなければ戦闘が終わるまで

水筒に入れて取っておいた。戦闘前に頬を赤らめるような奴は2度と酒を飲むこ

とがかなわなくなる、というのが彼らが得た教訓だった。アルコールを嗜まない

兵士や女性兵には代わりにキャンディーが配られた。例の赤い包装紙に入ってい

るやつだ。日頃飯も弾もよこさないくせにこういう時だけはやたらキチンと配給

しやがる、と誰もが感謝とも愚痴ともつかない感想を漏らした。そして、そんな

感想に対する返事も決まっている。――それが俺達の祖国なのだよ、同志。

 彼らが身につけている衣服、胃袋に納めたパンとウォトカ、そして手に持って

いる武器。これらの合計がどれだけの量になるか想像しがたい。衣服もパンも小

銃も、たった1回の攻撃で兵士の命ごと失われることがままあった。その穴を埋

め合わせるために工場には夜通し明かりが灯っていた。工廠から武器が送り出さ

れ、針子が軍服を縫い、集団農場から麦が送られる。そしてまた砲弾1発、爆撃

の1回で失われる。

 このような光景が、北は北極海に面したムルマンスクから南はアゾフ海沿岸の

ロストフ・ナ・ドヌまで、直線距離にしても2500kmに渡って繰り返されて

いた。膨大な、あまりに膨大な鉄と石油と人命の浪費であった。無駄と言って悪

ければ戦争の悲惨さの一面だと言えよう。しかしそんな悲惨さも、国家の存亡に

比べれば毛一つほどの重みもあるまい。

 これには参戦国全てが同意するところであった。が、その悲惨や悲劇の最前線

に立たされる兵士にとってはたまった物ではない。

 ヴィクトルは配給しに来た兵士に、酒の代わりに飴にしてくれるよう頼んだ。

日頃少女達が口にしている飴を食べてみたくなったからだ。兵士は笑顔で快く引

き受けると背負った荷袋から飴の箱を4つヴィクトルに手渡す。配給後に残った

ウォトカは彼らの胃にこっそり収まるに違いない。その量が増えるのだから断る

道理は無いのだろう。少女達に一つずつ飴箱を手渡した後、小隊の戦車兵全員を

集めて状況を簡単に説明をする。

 沼地を渡って攻撃発起点まで行かなければならないため細心の注意を払うこと。

攻撃開始後は互いに連携し突出し過ぎないこと。ありがたいことに――そして信

じられないことに小隊の戦車全てに無線が取り付けられているので、今までより

はるかにきめ細かい指示が可能だ。ごく最近戦車の製造ラインが改善されたため、

これから作られる戦車には片っ端から無線が搭載されるとステパーンは言ってい

た。

 もっと早くその改善が行われていれば……という愚痴が喉まで出てきたのを無

理矢理飲み込む。なんとなれば、30年前の第一次大戦ではロシア人は戦車無し

で戦争をしたのだ。100年前のクリミア戦争では無線も電話も無し。彼らだっ

て喉から手が出るほど欲しい武器があったに違いない。「歴史的に」お互い様と

いうわけで、考えるだけ意味のないことだった。

 車体にくくりつけた余分な荷物を下ろす。車体に金具で固定されている箱の中

に入ったスコップやツルハシ、主砲清掃用のクリーニングロッドや戦車用の増槽

はともかく、天幕とかスタックした際に履帯に噛ませるつもりの木材などは邪魔

になるだけだ。中隊本部で預かって貰うことにした。引っ越しするかの如く大量

の荷物を載せていれば、砲弾を一発喰らうだけでバラバラと落ちるに決まってい

る。荷物に引っかかって砲塔が旋回できないなどという笑うに笑えない事になる

のだけは避けたかった。

 一列に並んだ第2中隊第2小隊車の4両は攻勢発起点までゆっくりと進む。騒

音を出してドイツ人を起こしてはならない。だが彼らは恐ろしく勤勉で3人しか

いなくても列を作って並ぶし、一度陣地にこもると敵を撃退するか死ぬまで出て

くることはなかった。そんな彼らのことだ。今日も時間通りに起きて朝から塹壕

に張り付いているに違いないだろう。

 突然轟音が背後から聞こえ、上半身をハッチから車外に出していたヴィクトル

はおもわず身をちぢこませた。振り返ると224号車が停止し、その後部から黒

煙が上っている。アナスタシヤに停車を命じたヴィクトルは地面へ飛び出ると2

24号車へ駆け寄る。

「おい、曹長。大丈夫か」

 呼びかけられた224号車のクルーは自分たちに何が起きたのか理解できず、

目をパチパチさせていた。点検用ハッチを開けると、割れたり千切れたりした金

属でエンジンルームが一杯になっていた。エンジンが吹き飛んだらしい。品質低

下、粗製乱造。まさか半日使っただけでお釈迦になるエンジンを2回も拝むと

は! これではもはや何の役にも立たない。224号車は出撃中止、直ちに整備

中隊を呼んで修理に取りかかれ――ヴィクトルは苛立ちを可能な限り押さえて2

24号車の車長に命令した。クルー4人は、敵を目の前にして戦えない悔しさと

今日一日生き延びられることが確定した安堵が入り交じったような表情をしなが

ら車外へ降り、整備の準備を始めた。兵士達全員が無事だったのは幸いだが、ま

だ戦ってもいないうちから小隊の戦力が4分の3になってしまった。しかも戦車

兵にはまったく過失がないと来た。ここまでふざけた扱いを受ければ聖人君子も

銃を向けるに違いない。

 ともあれ、残り3両となった小隊は例の沼地にたどり着いた。先ほどから工兵

が橋を架けているようだ。橋と言っても丸太や木材を浮かべた踏み板のような代

物だが、沼の深さがももの少し上くらいまでしか無く、これでも十分用をなして

いた。キャタピラが沼の底に触れ、泥をかき回すようなことさえなければそれで

十分なのだ。

 しかしヴィクトルは、またもやそこにトラブルの種を発見した。あぜ道を踏み

外したのか、右側のキャタピラが沼に完全に突っ込み車体が大きく傾いた戦車。

今にも横転してしまいそうだ。その戦車の周囲をなんとか泥の中から引っ張り上

げようと四苦八苦する兵士達が取り囲んでいる。

「どこの部隊だよKV-2なんて持ち込んだのは!」

 ヴィクトルは思わず叫んでしまう。隣に座っていたソフィアは大声に驚いてビ

クンと揺れた。サイコロのような巨大な砲塔にこれまた巨大な152mm砲を装

備したKV-2重戦車はどこか申し訳なさそうなオーラを出しつつ泥から出ようとも

がいていた。ヴィクトル達の乗るT-34が30t程しかないのに比べこの化け物は

確か50t以上あるはずだ。馬力の無さと足回りの貧弱さは戦車兵達の間では有

名で、その代わり50mm程度の砲弾なら何十発受けようとビクともしない装甲

とあらゆる物を文字通り吹き飛ばす主砲を持っている。

 しかし戦場にやってくることも出来ない戦車など昨日の天気予報よりも役に立

たない。またもや停車を命じたヴィクトルは兵士達に様子を聞く。どうも深くは

まり込んでしまっているらしく人間の手で「掘り出す」ことは出来ないという。

砂地に足を取られた車のように、丸太を噛ませてから引っ張り上げるのだそうだ。

 それは結構。問題は「何で」引っ張るかだ。

「そこなんですがね、少尉さん。おたくの部隊の戦車を貸してもらうことはでき

やしませんかね?」

指揮を執っていた工兵がヴィクトルへと問う。自動車じゃ力不足だから戦車で引

っ張るのだと! は、なんと素晴らしいアイデアか! しかし、そこで断れない

のがヴィクトルの優しさであった。不注意で戦車を沼へ落っことしたのが話の分

からない士官に分かればKV-2のクルーは罰せられるかも知れない。不注意による

戦車の損傷は重罰だった。前線においては「裁判」とか「ルールに則った罰」と

か言う単語がわがままな美人よりもたやすく機嫌を変えることを誰もが知ってい

る。それを知りながら放置するのは忍びなかった。223号車に回収の支援を命

じ、ヴィクトルの221号車とパーヴェルの222号車はそろそろと沼を渡る。

 午前7時42分、一発の砲弾を撃つことも浴びることもないままに戦力が半減

した第2小隊は地点141に臨む攻勢発起点に到着。攻撃開始まであと18分あ

る。ヴィクトルはハッチを開けっ放しにしたまま車長席に座る。腕時計の針はど

んどん回っていく。水筒を取り出し、中に入っているお茶を一口飲む。冷えてい

る訳ではないが、それでもその香りがすっと胃に入ると風が通ったような涼しさ

を感じた。あと17分。

「都合のええ援軍とか、来ぃへんかな」

 アナスタシヤの心配そうなつぶやきが無線を通じて耳に入ってくる。あと16

分。

「戦場に都合の良い物は一つも降ってこない。奇跡や偶然より観察力と平常心の

方が役に立つ……」

 ヴィクトルは自分自身に言い聞かせるかのように返答した。残り15分になる

と体が震え始め、残り10分となると歯がガタガタ鳴り出す。あごに手をやり下

から押さえつける。誰だって怖いのは同じだ。肝心なのはそれを部下に気づかせ

てはならないということだ。

 筋肉に力を入れ体をこわばらせて震えを止めようとしたその時、急に隣から甘

ったるい臭いがした。ソフィアが飴をなめているらしい。注意しようかと思った

が、無駄に部下のストレスを溜める必要もあるまいと思い放っておいた。

 ヴィクトルも箱からひとつ取り出し口に入れる。ざらざらとしていて、甘さ以

外の風味が一切感じられない。まるで氷砂糖をかじっているようだった。正直今

ひとつな味だ。とはいえこんな物でも市井では手に入りがたいのだから、少女達

が好んで食べる理由が分かるという物だ。ヴィクトルが神妙な面持ちで一人納得

しているところに、中隊からの指示が無線を通して入ってきた。

「中隊本部より各隊へ。これよりロケット砲兵による支援が行われる。中隊命令、

各隊は最終弾着と同時に前進。友軍歩兵を支援し陣地を制圧せよ。各隊大衆的英

雄精神を発揮し勇気と剛胆の規範を示せ。以上」

 やれやれ、いよいよか。ふと左を見るとソフィアと目があった。その目は赤く

充血し顔に幾筋も水滴を垂らせていた。口は小さくぱくぱくと動き、体は壊れた

機械のごとく震えていた。彼女は音も立てずに泣いていた――。ヴィクトルが驚

いて声を掛けようとした瞬間、辺り一帯に爆音が響き渡った。ロケット弾による

攻撃が始まったのだ。

 どうすればよいのか分からぬまま差しのばされたヴィクトルの腕を驚くほど強

い力で掴むと、ソフィアは声を上げて泣き出した。その泣き声は砲撃の轟音にか

き消される。ただヴィクトルのみが彼女の恐怖を知っていた。狭い車内で、それ

でも思い切りソフィアに身を寄せたヴィクトルは言い聞かせるように話す。アナ

スタシヤとエカテリーナに知られたくなかったので車内通話装置のスイッチは切

っていた。

「心配するんじゃない。俺の言う通りに落ち着いて行動するんだ。そうすれば死

なずに済む。絶対だ」

 うるさい車内で伝わったか、伝わらなかったか。恐らく伝わらなかったろう。

それでもソフィアはウンウンと首を縦に振り、先日街で買ったおそろいのハンカ

チを胸ポケットから取り出すと涙を拭った。ハッチから顔を出し周囲の様子をう

かがう。首からかけていた例の双眼鏡を覗くと、地平線の向こうに煙が上がって

いた。

 これだけロケット弾を打ち込まれれば一人も生きていられないのでは無いかと

思う。そう思うのだが、いつだってドイツ兵は執念深く耐えているのだ。それは

もう間違いなく耐えている。ふと、急に辺りが静まりかえる。目の前の草むらに

伏せていた歩兵達がこちらへ手を振って合図すると一斉に駆け出す。300mほ

ど離れた場所にいる、第1小隊の戦車が煙を上げて動き出す。歯車が回り始めた。

ヴィクトルは車内通話装置のスイッチを入れ戦車帽を深く被り直し、落ち着き払

った声を出すよう努めて話し始めた。

「全員一度深呼吸しろ。戦車前へ。味方を轢くなよ」

 221号車はいったん後部から煙を吐き出して震えた後、一直線に走り始める。

その表面を夏の日差しが物言いたげに照りつけていた。



 ドイツ軍の陣地は砲撃によって見るも無惨に吹き飛ばされていた。積み上げた

土嚢は中身の土をまき散らして千切れ、張り巡らされた鉄条網はあちこち寸断さ

れている。木材で囲われただけの銃眼や機関銃座はただの穴ぼこと化していた。

見渡す限り草花は消し飛び、土がむき出しになっている。土が露出した地面にい

くつもの砲撃跡がクレーターのように点在していた。その上砲弾が雨あられと降

り注いだせいで猛烈な煙が立ちこめており、それが地点141をこの世の物とは

思えない場所にすることに一役買っていた。

 それでもドイツ兵は塹壕の奥深くで堪え忍び――砲撃で塹壕そのものを破壊す

ることは難しい――砲撃が終わると同時に機関銃を引っ張り出し、対戦車砲を据

え付け、迫撃砲の準備をし始めた。221号車のヴィクトルが陣地を視認できる

距離まで近づいた頃にはすでにあちこちから銃声と発砲炎がとどろき、曳光弾の

光がシャワーのごとくまき散らされていた。オレンジ色の尾を曳くドイツ軍の曳

光弾と、黄緑色の尾を曳くソ連軍の曳光弾が交差する。傍目から見れば幻想的な

光景に見えるかも知れない。だがそのまっただ中にいる兵士達にとって、頭上を

流れるこの光は恐怖そのものでしかない。

 これ以上頭を出していては狙撃される危険がある。しかしそれでも限界までヴ

ィクトルは頭を出して双眼鏡を目に当てたいた。確かに危ない行為だ。しかしそ

れを恐れて戦車自体がより危ない状況に追い込まれてはそれこそ冗談にもならな

い。危険を冒してでもさらなる危険を回避するのだ!

「222号車、右から回り込んでくれ! 対戦車砲に注意!」

「了解」

 戦車帽に内蔵されたイヤホンの向こうからパーヴェルの声が届く。少々ノイズ

が混じっているが必要十分だ。全くもって無線は素晴らしい。

 地点141に展開するドイツ軍の陣地は南北約1.5kmに及ぶ。無論長さ1.

5kmの塹壕線が存在しているわけではなく、小さな陣地が薄く長く伸びている

中にいくらかの塹壕があるといった物だが、要所要所に機関銃座や対戦車砲が用

意されそれら火点が互いの塹壕を支援し合い十字砲火を形成できるように配置さ

れている。そこへ東側から正面攻撃を掛けようというのだ。

 この陣地を攻略するのにおおよそ1個大隊の戦力――500人を軽く超える歩

兵と、それとは別に十数両の戦車、数十門の火砲が参加している。勝算は十二分

過ぎるほどにあった。

 戦車の横を大きな対戦車銃を担いだ兵士が屈みながら前進していく。人間にし

てみれば大砲でも戦車からすれば豆鉄砲でしかない。そして彼ら歩兵はまた、機

関銃弾を物ともしない装甲に周囲を包まれているわけでもない。気の毒で仕方な

かった。砲兵によって十分「耕された」から、地雷のことはあまり気にしなくて

良いだろうと思う。気をつけていても踏むときは踏むのが地雷の恐ろしさだが、

興奮した歩兵達に足下を確認しつつ走る余裕はなかった。

 歩兵の壁になるよう前へ前へと進む221号車。視察口にかじり付くようにし

て周囲を警戒しつつ進む。アナスタシヤは操縦手用の視察口、ソフィアは砲手用

ペリスコープ(潜望鏡)、エカテリーナに至っては前方機関銃の照準口まで使っ

て少しでも視界を確保する。それでもなお視察能力に問題があるのがT-34の弱点

だった。

 突然、塹壕の端が光ったかと思うと次の瞬間には真後ろの地面が弾け飛び、猛

烈に土を巻き上げた。砲撃を受けたのだ。ヴィクトルは心臓が跳ね上がるのを感

じた、が、そのために敵の位置を確認し損なうようなことはしなかった。

「いた! 11時方向距離750m、対戦車砲。戦車停止、榴弾込め!」

 戦車と違い屋根も壁もない対戦車砲は、それ故に砲弾が取り出しにくいとか装

填しにくいといった欠点がない。その気になれば凄まじい勢いで撃ちまくってく

る上、基本的に待ち伏せを狙ってくる。待ち伏せしている相手が撃ってくると言

うことはつまり、こちらを撃破出来る見込みがあるということだ。急ぎ反撃せね

ばやられる。戦車よりも念入りに偽装された対戦車砲の方が手強い相手だ――と

いうのが、戦車兵達の一般的な認識だった。

 首をすっこめ車内を見渡す。ソフィアが顔を青くしながら即応弾を入れてある

ケースから砲弾を取り出し、主砲へ装填していた。床から砲弾を掘り出すよりも

彼女の左隣にある2つのケースから砲弾を取って装填する方が圧倒的に早い。も

っとも、そのケースは各々4発しか収まらないのだが……。

 彼女が照準機に顔を押しつけた瞬間、敵の2発目の砲弾が飛来する。今度は目

の前の地面がえぐり取られた。砲弾が自分の後に落ち、次は前に落ちた。こうい

う時の3発目は必ず目標に命中する。夾叉きょうさと言う奴だ。直後負けじ

とばかりに221号車は発砲。しかし砲弾は塹壕の彼方、見当違いの場所へ吸い

込まれた。

「外したぞ! 照準ちょい下、俺が装填する!」

 ヴィクトルは車内通話装置のレシーバーに向かって怒鳴ると――というのも戦

闘騒音で非常に騒がしかったので――自分の右側にあるケースから砲弾を引き抜

き砲へと押し込んだ。発砲。粉々になった土と鉄とが巻き上がる。運を拾ったの

はヴィクトル達だった。こちらの方が早かったのだ。

「よし。念のためもう一発だ。撃ったら前進する」

 一応の危機は去り、余裕も出来たので今度は車体の砲弾庫から取り出す。砲弾

を装填しながらヴィクトルは、先ほどから自分しか喋っていないことに気がつい

た。少女達は皆命令通り黙々と動いている。いや、それで何も問題はない。それ

が、それだけが彼女たちの役目だ。3発目の砲弾が撃ち出される。撃つたびに車

内に発射ガスが流れ込み、目と喉を痛める。ヴィクトルは慌ててベンチレーター

のスイッチを入れた。すっかり忘れていたのだ。下らないことを考えているから

肝心なことを忘れるんだ! 自分で自分をしかりつつ、左を見るとソフィアが照

準機に額を押しつけているのが見えた。砲塔旋回ハンドルを握る手が震えている

のがはっきりと見えた。しかし、どうしようもない。彼女を怒鳴ったり殴ったり

したところで状況が好転するとは到底思えなかった。ともかく再びハッチから頭

を出し、双眼鏡で周囲を観察する。その注意を削ぐように無線からノイズ混じり

の太い声が入る。

「こちら222。敵の第一線を突破した! このまま陣地の制圧に入る!」

「221了解!」

 パーヴェル達の方が素早く進撃しているらしい。こちらはまだ敵の陣地にたど

り着けてすら居ないというのに。もっとも、戦闘というものは速さを競うレース

ではない。焦って命を失うくらいならのんびり進んだ方が良い。1メートル、ま

た1メートルと少しずつ前進していく。

 肉薄しようと試みる敵歩兵。巧妙に隠蔽された対戦車砲。口から火を吹き続け

る機関銃に迫撃砲。全てを撃破し前進する。

 乾いた金属音が続けざまに車内に響いた。小口径の銃弾に撃たれているのだ。

たかが小銃弾や機関銃弾程度、視察口にでも飛び込んでこない限り何十発撃たれ

ようとやられる道理は無いのだが、頭で理解していても体が言う事を聞いてくれ

るかどうかはまた別の問題だ。キューポラから覗いてみると、どうやら正面の塹

壕から撃ってきているらしい。曳光弾の黄色い光が雨のように221号車に降り

注いでいた。真っ当な思考力が残っているならこんな芸当はしない。敵も狂乱状

態に違いない。

「エカテリーナ、前方機銃撃て! 正面の火点を黙らせろ!」

 エカテリーナは弾かれたように一瞬体を引き付かせると、車体正面右側――車

内から見れば彼女の正面――に据え付けられてい機関銃に取り付き、ろくに狙い

もしない内から引き金を引いた。円盤形の弾倉を一つ空にするまで撃ちまくった

あげく、弾切れにもかかわらず引き金を引き続けていた。ヴィクトルに言われて

ようやく弾切れに気がつく有様だった。苦労しながら弾倉を交換する頃には敵の

機関銃座はとっくに沈黙していた。

「エカテリーナもういい! 機関銃は黙らせた! 弾倉を交換して1時方向を見

ていてくれ。伏せてるのは味方だぞ、撃つなよ!」

「は……はい!」

「ソフィア! 榴弾込めろ! 10時方向の発砲炎が見えるか、あそこへ一発撃

ち込め」

「了解」

「アナスタシヤ! 撃ったら移動だ! 正面の塹壕まで一直線!」

「まかして!」

 221号車が塹壕の目の前までたどり着き、怪しいところに片っ端から榴弾を

撃ち込む。なんとなれば徹甲弾より榴弾の方を多く積んでいるのだ。歩兵のため

に血路を開くのが陣地攻撃における戦車の役目だ。ソフィアに同軸機銃を撃たせ

て塹壕にいる敵兵にプレッシャーをかける。機銃の火線が塹壕を舐め付けるよう

に走る。すぐさま頭を下げ深く身を隠すドイツ兵。それでいい。彼らが地面にへ

ばりついて反撃できない隙に味方の歩兵が前進できるのだから。

 一通り怪しい箇所を木っ端微塵にすると、戦車の後についてじりじりと前進し

続けていた歩兵達が塹壕へ向けて一斉に手榴弾を投げ込んだ。続いて彼らは塹壕

へと飛び込んで行く。

 ヴィクトル達は慌てず、同軸機銃と車体機銃で歩兵を支援させる。急いで塹壕

を突破しようとする時に限ってドイツ兵は生き残っており、そういう兵士に限っ

て火炎瓶や束ねた柄付き手榴弾を投げ込んでくるからだ。あらかた片付いたよう

に見えてから、221号車は塹壕を越える。ドイツ兵達は第2線に後退しながら

まだ抵抗を続けている。そう安々とこの丘を明け渡すつもりはないらしい。だが

望むところだ。こちらとて並の覚悟でここに立っている訳ではない。

 塹壕を一つずつ一つずつ制圧する221号車。ヴィクトルが視察口から敵の様

子を伺っていると突然、甲高い音が一発耳元で聞こえた。小銃でキューポラを撃

たれたらしい。弾いたから良い物の、ガラス板をはめたスリットに直撃していた

ら頭が無くなっていたかも知れない。もっとも、動いている戦車の、しかも指一

本かそこらしかないスリットを狙える兵士がいればの話だが。いや、待ってくれ

――さっき撃ったのが小銃ではなく対戦車銃だったら、何処にどう当たっていて

もキューポラを貫通していたのではないか?ヴィクトルの心にそんな恐ろしい考

えが起き上がり、恐怖心を煽る。彼が再びスリットから外を見るだけの勇気を得

るには周囲に機銃弾と榴弾を散々浴びせる必要があった。

 銃声が小さくなり、周囲に敵がいないことを何度も何度も確認してから恐る恐

る車外に顔を出し双眼鏡に目を押しつけて周囲を伺うヴィクトル。その視界に黒

い物が見えると同時に、彼はレシーバーに向けて叫んでいた。

「1時方向に戦車2両。距離800m! 徹甲弾用意! 222号車、そちらか

ら見て南西の方向だ。見えるか!?」

「こちら222、ちょっと待ってくれ! 今探す!」

 後方で待機していたらしいドイツ軍の戦車は、自軍の陣地が荒らされた後にな

ってようやく現れた。明るい土色に塗られ草木で偽装した戦車。IV号戦車と言う

名前のその中戦車は、開戦時点でこそT-34に火力と装甲で劣る性能だった物の、

何度も何度も改良を重ねた結果、今やヴィクトルらが乗るT-34に勝るとも劣らな

い性能を獲得していた。数字に出る性能を見る限りは同程度の性能と言ったとこ

ろだが、無線機の性能だとか、照準機の精度だとかいった目に見えない部分では

明確な差を付けられており、ソヴィエトの戦車兵は苦しい戦いを強いられている

「側面が丸出しだ! 車体を狙え!」

 敵がほぼ一直線に目の前を横切る場所という、絶好の射撃位置を占めることが

出来た。その上うかつにも敵はこちらに気がついていない。気付かれる前に1両

は仕留めたい。並んで走る戦車のうち、前方の1両に狙いを付けさせる。しかし、

放たれた砲弾は敵の目の前に着弾し、盛大に土を掘り返しただけだった。敵が止

まる。気付かれた証拠だ。外したぞ、と言う前にソフィアは次弾を主砲へ押し込

む。砲弾ケースから弾薬を2発も取りだし、1発は胸に抱えたまま射撃していた

らしい。

 ヴィクトルの焦りとは裏腹に黙ったままのソフィアは照準機に額を押しつけ、

再び発射ペダルを踏み込んだ。今度は過たず命中し、敵はぐったりと沈黙する。

チロチロと炎が上がっている所を見るに多分撃破したと思うが、なにぶん砲塔が

吹き飛んだ訳でもないので断言できない。出来るならそれこそ鉄屑になるまで撃

ち込みたいがもう1両いる。そう考えていると砲弾を命中させた敵戦車のハッチ

が突然開き、次の瞬間には一人、二人とドイツ兵が脱出してきた。戦車を放棄し

たのならもう恐れる必要はない。双眼鏡を覗いたままソフィアに指示を出す。

「そいつはもういい、次を狙え! 俺が装填する!」

 このクルーになってから、そして自分が戦車長になってから初めての敵戦車撃

破だったが、そんな余韻に浸る暇はなかった。ヴィクトルは車内に体を引っ込め

ると向かって右側の砲弾ケースから徹甲弾を持ち上げる。その一瞬の隙を敵は見

逃さなかった。生き残ったIV号戦車は、やられた味方がこちらの射線を防ぐ位置

になるよう移動している。撃破された戦車に横付けするような真似はしない。砲

弾が誘爆したら自分もただでは済まないだからだ。

 程よく隠れ蓑になり程よく離れている場所を首尾良く占めようと急ぐIV号戦車

は、T-34へ砲塔をぐるりと回し走りながら発砲した。急いで狙ったせいか、それ

とも行進間だったせいか。砲弾は逸れ、見当違いな所に穴を開けただけだった。

 もとより命中は狙っていないだろう。こちらが驚く事を狙ったこけおどしだな、

とヴィクトルは感じた。T-34の反撃。しかしソフィアの放った砲弾は盾になって

いるIV号戦車の側面に命中しただけだった。先ほど脱出したドイツ兵は思わず地

面に身を伏せる。脱出し損なった彼の戦友が助かる見込みはもう無いだろう。

 その隙にIV号は目的の位置に到着。停止しこちらへ車体と砲塔を向けた。ソフ

ィアの2発目。またも撃破済みのIV号へ命中。ヴィクトルは慌てた。これは非常

にまずい。相手が一方的に撃てる状況だ。隠れようにも周囲に遮蔽物はない。次

だ! と叫びつつ彼は次弾を込めるためケースに手を伸ばす。撃ってもやられる

かもしれないが撃たなければ確実にやられる。

 砲弾を抱えた次の瞬間にT-34の車内は激しい振動に襲われた。手から砲弾がこ

ぼれ落ちる。鉄のカクテルの中で視点が定まらないほどシェイクされ、構造部材

が軋む音と少女達が叫ぶ声がない交ぜになった轟音が一切の聴力を奪う。砲塔の

壁にしこたま頭を打ち付けた。当て物入りの戦車帽を被っているが、それでも重

い痛みが伝わってくる。

「畜生! みんな生きてるな!?」

 叫ぶだけ叫んだが確認している暇など無い。砲弾が車内に飛び込んでこなかっ

たと言うことは弾いたと言うことだ。それ以上考える必要など無い。足下に落ち

た砲弾を拾い、装填。

「装填よし!」

 ソフィアが狙いを付けている間に姿勢を変えキューポラの視察口から外へ目を

やる。念を込めた砲弾がT-34から放たれる。だが三度撃破済みの戦車へ命中。こ

れでは打つ手がない。ボヤボヤしているうちに敵は狙いを定め必殺の一撃を放っ

てくるだろう。どうしろってんだ! ヴィクトルが心の中で叫ぶと同時にIV号戦

車が火を吹いた。思わず目をつむる、が、被弾の衝撃は来なかった。恐怖を振り

払ってハッチにかじりつくと、えいやっと心の中で叫んで頭を出した。こちらに

狙いを付けていたIV号戦車が黒煙を吹いていた。

「パーヴェル車より221号車へ。大丈夫か?」

 無線から頼もしい声が聞こえてきた。

「こちら221、なんとか無事だ……。助かった」

「どういたしまして」

 周囲に気を配りつつ双眼鏡で外を見る。遥かに離れた位置に指くらいの大きさ

の222号車が見えた。あんな距離から命中させ撃破したのかと考えると、パー

ヴェル達と自分達との腕の違いを痛感させられる思いだった。

「おい、全員大丈夫だな!」

 周囲に敵がいないことを確認し、車内に体を引っ込め問う。

「なんとか生きとるで……」

「あたしも、ケガはしてない」

 車体前部に座る二人の声が聞こえた。砲塔からでは背中しか見えない。ヴィク

トルの左隣にいるソフィアは黙ったままだったが、こちらに顔を見せるとしきり

にうなずき無事であることをアピールした。幸運だった。敵の弾を弾いたのだ。

まともに喰らったら生きてはいなかっただろう。そうでなくとも、被弾の衝撃で

車内の装甲板が剥がれ飛び、乗員を殺傷する事が相次いでいた。ステパーン曰く

装甲板の材料をケチっているからだそうだが、前線で戦う兵士にはどうしようも

ない。

 まだ散発的な銃声が聞こえる物の、周囲はだいぶ静かになってきた。とはいえ

戦闘はスポーツの試合とは違って明確な始まりや終わりがない。誰かが「もうお

しまいですよ」と宣言してくれることなど無く、兵士は自力で戦闘の終結をつか

み取らなくてはならない。今のヴィクトル達にはそんなことが出来るはずもなく、

あちこちへ無駄に移動しては歩兵に迷惑がられた。

 攻撃の中心だった歩兵大隊司令部からの無線通信による指示を受け取るまでそ

んな愚行は続いた。

「128歩兵大隊より戦車隊へ、地点141の制圧はあらかた完了した。支援を

感謝する。敵の逆襲に備え丘の西側で警戒待機に移られたい。以上」

 ちょっとした窪地に身を隠し周囲も自分も落ち着き払ってからようやく、3人

の少女達は初陣を生き抜いたのだと気づき、ヴィクトルは初めての指揮がまずま

ずだったことを理解した。攻撃が成功した上全員無事で怪我もしていないのだか

ら、合格点と言ってもいい。

 しかし、授業料が被弾一発だった彼らはまだ良い方だった。文字通り命で一回

こっきりの授業の料金を支払う事となった兵士も大勢いたのだ。何をか言わんや、

である。

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