エピローグ
道路を南下して最初に敵を迎え撃った陣地へ戻る。相変わらず黒煙を吹き出す
排気管の向こう、後方30mくらいをパーヴェル車が付いてきている。パーヴェ
ルは自分を含めてクルー全員が無事だと連絡してきた。
「よくも虎へ突撃した上撃破せしめたもんだ。それも2回。俺ならごめん被りた
いね」
パーヴェルの感心したような呆れたような声が無線を通して聞こえた。一度の
戦闘で2両の虎を仕留めた戦車兵はソヴィエト軍中探してもにもそうそう居まい。
「『ご馳走になった』ベーコンやソーセージの分はしっかり支払ったぞ」
「ベーコンひとかたまりと虎とじゃ割が合わないな。今度機会があったら上等な
タバコを箱一杯にせしめて……ん? 少尉はタバコは喫まないんだったか?」
「軍曹さん軍曹さん! あたしあまーいシロップ漬けが食べたいんだけど!」
ヴィクトルとパーヴェルとの会話にエカテリーナが割って入る。朝食に食べた
あのシロップ漬けがよほど気に入ったようだ。
「まかせておきな。お嬢ちゃんたちの分もしっかり稼いで来てやるよ」
なんだか妙な話になって来たところで222号車との交信を終了し、第2小隊
各車へ無線を繋ぐ。報告によると223と224、それに「夜明け」も無事らし
い。それにドイツ軍が鉄道分岐点への突破を諦めすごすごと引き返していったこ
とも報告された。味方も手ひどくやられたそうだが、戦力の補充や手配について
悩むのはヴィクトル達の役目ではない。
酷く、酷く疲れた。ヴィクトルの体は伸びきってしまったバネのようにだらり
としている。少女達も皆そうだった。7月の日差しが砲塔から半身を出している
ヴィクトルを照りつける。時速25キロで走っているからそれなりに涼しいが、
快適とは言い難い。アナスタシヤは操縦手ハッチを全開にしているが、それでも
T-34の車内は蒸し風呂のようだった。
戦車に風通しの良さを求めるのがそもそも間違いなのかもしれない。風通しが
よいという事はそれだけ穴だらけという事で、つまり防御面で問題があるという
事なのだ。そんな風にヴィクトルがつらつらと下らない事を考えていると、車内
通話装置を通してエカテリーナのつぶやきが聞こえた。
「はぁー、お腹空いちゃったな」
それを聞いていたらしいアナスタシヤが返す。
「鶏肉のパテの缶詰でええなら、あるで」
「それ、堅パンに塗って食べる奴でしょ? あんな鋼みたいな堅パン食べようが
ないじゃん!」
笑い合う2人にソフィアも加わる。
「塩ゆで牛肉の缶詰、あるから後でみんなで食べよう」
「さっすがソフィア!」
「恩に着るで!」
エカテリーナもアナスタシヤもすでに浮かれ気分のようだ。3人の話を聞いて
いるとヴィクトルも腹が減ってきた。戦車が戦闘を行うと猛烈に燃料と砲弾を食
うのと同じく、人間だって戦っている間は普段の倍、いや3倍腹が減る。
砲弾のない戦車はただの鈍重な車であり、満腹でない兵士はただの人間でしか
ない。朝食のカーシャの缶詰の事を思い出すと口に唾があふれた。味付けが濃い
めで、脂がぎとぎと気味なのだが疲れているときにはたまらなく美味い。まるで
エカテリーナみたいな思考になってきたな、と自嘲しつつ時計を見るともうすぐ
昼になるところだ。タイミングよく無線が入ってくる。敵が黙った内に急いで昼
食を配給するから位置を教えろというものだ。
「よし、陣地に戻ったらメシにしよう。ただし万が一があるから車内で喰う事」
ヴィクトルが言うと、返事が3つ聞こえた。先ほどまで戦車兵の声だったそれ
は、今や少女の声に戻っていた。
戦車は砲弾を胃に収める。兵士は缶詰を胃に収める。明日も戦うために。




