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第9話

 揺れる戦車の中、ソフィアとふたりで床中に散らばった砲弾の空薬莢を拾い、

ハッチから外へ捨てる。次いで床下の弾薬庫から砲塔の即応弾ケースまで砲弾を

移す。戦闘の最中に気長に足下を掘る訳にはいかない。エカテリーナも機関銃の

弾倉を変え、そのまま水筒を取り出して中のお茶を口に含んだ。酷い揺れのせい

でまともに飲めなかったが渇いた唇をぬらすくらいは出来た。そのまま両手がふ

さがっているアナスタシヤにも飲ませてやる。

 一通り作業が終わる頃には目的の場所が見えてきた。左前方、1kmも無い所

に黒煙が上がっている。見た感じ寂れた農村のようだった。畑が広がっている中

に農家が4、5軒点在しており、村の端にはコンクリート製らしい事務所だか作

業所だかが1軒だけポツンと建っている。この建物だけが2回建てなせいで一層

孤立感を煽っていた。一番近い家屋の陰には、建物で身を隠しつつ敵へ砲撃する

味方のSU-76自走砲とZIS-5トラックが見える。

 戦車隊は先頭を走っていた4両が街道から逸れ敵へ向けて方向転換し、農村の

中央へと向かう。後から追いかけてきたヴィクトルとパーヴェルの2両は自走砲

の援護のため、SU-76とトラックが潜む農家へ向けてそのまま直進を続ける。木造

の壁と屋根に突き出た煙突という典型的な農家の裏手に戦車を移動させ、ごく近

くにいるはずだがまだ見えない敵の射線を躱す。農家にベタ付けして身を隠し、

戦車を止めハッチから頭を出すと、自走砲もバックして農家の裏へと隠れた。ク

ルーが屋根のないオープントップの車体から身を乗り出し、エンジンと戦闘の騒

音に負けないくらいの大声で叫んだ。

「戦車隊、助かる! 敵は歩戦複数、先行してきたアルトシュツルムを1両やっ

たがこちらも2両やられた。まだ3両はいるはずだ。戦車もいたかもしれん。敵

兵はもう農村に入って来ているらしい。家々のうち何軒かは奴らの歩兵が入り込

んで火点になっている!」

 ヴィクトルも大声で返事を返す。

「こちらの戦力はどれだけだ!」

「SU-76が6両にZIS-5が4両! ただ言ったとおりSU-76は2両やられた!

味方の歩兵は畑の真ん中で撃ち合いをしている!」

 アルトシュツルム。突撃型。突撃砲全般を指す単語だが、兵士達の間では専ら

III号突撃砲の事をそう呼んでいた。旧式化したIII号戦車の砲塔を取り払って車

体に大砲を取り付けたという、ソヴィエトのSU-76やSU-122とよく似た車両だ。戦

車と遜色ない火力を持つ一方、車高が低く見つけにくいのが特徴だ。

 手を振ってクルーに答え、再び前進する。畑と言うから麦でも植えているのか

と思ったが、目の前に表れたのは鮮やかなひまわり畑だった。夏の日差しを浴び

て大きな花が揺らめき、黄色い波が遠くまで続いている。履帯で踏みつぶすのは

忍びなかったが、花と命とどちらが大切かは論ずるまでもない。ヴィクトルは右

側から進み、パーヴェルには左側から回り込ませる。先に突撃した戦車はすでに

戦闘を始めているらしい。ヴィクトル達の左前方にいくつもの発砲炎が見えた。

「少尉! 1時方向の農家で機関銃撃ってます!」

 エカテリーナが敵を見つけたことを報告する。彼女が外部を見る唯一の手段で

あるあの小さな車体機銃の照準穴から良く見つけたものだ。1時方向250mを

切るくらいの所に農家が見える。小さな窓からは確かに黄色の曳光弾がこちらへ

向けて降り注いでいた。直ちに榴弾を打ち込ませる。なにせ木造家屋の壁だ、最

初の1発で大きく穴が開き、2発目はその穴に飛び込む。榴弾の破片と爆風は窓

から煙が吹き出る程屋内を荒らしたが、念には念で3発目を撃ち込む。畑にうず

くまっていた味方の歩兵も制圧射撃を加える機関銃が黙ったことで行動の自由を

取り戻したようで、一斉に駆けだした。半壊した農家のそばまで近づくと、22

1の射撃で開いた大穴に手榴弾を3個も4個も放り込み、その後短機関銃を乱射

しながら突入し制圧に掛かる。

 ここまでやってようやく農家を1軒制圧できるのだ。歩兵達の度胸には頭が下

がる。せめて彼らの露払いはせねば戦車兵としての誇りが廃る。そう思った瞬間、

ヴィクトルの視界左にいたT-34が突然大きな炎を上げた。被弾し何かに引火した

らしい。撃った敵を急いで探す。幸いなことに撃った側も派手な発砲炎と土煙を

あげていたためすぐに見つけられた。221の右前方。果たしてアルトシュツル

ムだった。敵が先に撃ってくれたから見つけることが出来たものの、息を潜めて

待ち伏せされていたら到底発見することは無理だっただろう。その意味ではあの

T-34が「撃たれてくれた」おかげで発見することが出来たと言える。だが、あの

敵突撃砲の位置からなら221を狙うことも十分可能だった。そう、もしかする

と221が撃たれていたかも知れない。そしてたった今やられたT-34のように、

221の装甲も易々と貫かれていただろう……。後ろめたい、嫌な考えがヴィク

トルの脳裏をよぎる。しかし次の瞬間には考えを切り替え、宣誓とばかりに口に

出す。もしヴィクトル達がやられていたら、あのT-34のクルーもきっとこう言っ

たはずだ。

「仇は取ってやる……」

 敵はこちらが正面に気を取られている内に側面へと迂回してきたようだ。相手

が予想もしないところから予想もしないタイミングで襲いかかる。見事な作戦だ

ったが、ひとたび位置が知られれば逃げようがない場所にいる事を忘れているよ

うだ。

「パーヴェル! 1時方向、距離600mに突撃砲だ! 畑の端の近く! 戦車

停止。ソフィア、俺が装填するから照準次第撃て!」

 主砲に即応弾ケースから徹甲弾を押し込み、発砲。だが初弾は側面を晒してい

た敵突撃砲の上をかすめて行ってしまった。車高の低さがソフィアには掴めてい

なかったのだ。そこにパーヴェル車の砲弾が飛来、こちらは過たず命中し転輪を

複数個派手に吹き飛ばした。慌てて逃げようとする突撃砲だが、履帯が外れてし

まい動けなくなってしまったらしい。とどめとばかりにソフィアの2発目が飛び

込むと先ほど自分が撃破したT-34のように大きく燃え上がった。

「やったぁ!」

 エカテリーナが思わず快哉を叫ぶ。だが彼女をあざ笑うかのように、パーヴェ

ル車の近くに展開していたSU-76が被弾した。軽戦車がベースの自走砲である

SU-76の装甲はごく薄い。正面から飛び込んで来た砲弾によって車台も戦闘室もく

しゃくしゃに千切れ飛んでしまった。

「『雷鳴4』から各車! 村の端、北西方向に発砲炎! まだどこかにアルトシ

ュツルムがいる!」

 農村の奥深くまで進撃していた自走砲からの知らせだ。何十人分もの視線が言

われた箇所へと集中し、何者をも見逃すまいと景色を舐め付ける。

「いた! いた! 313より各車! コンクリートの建物の裏だ! あいつが

撃った!」

 今度は第3中隊のT-34が敵発見を告げる。突撃砲が潜んでいるというあのコン

クリートの建物はまだドイツ兵の手中にあり、火点と化して頑強に抵抗している。

手空きのT-34とSU-76が我先にとひまわりをなぎ倒しながら殺到して行った。2軒

目の農家の制圧を支援しつつ、ヴィクトルは双眼鏡を覗いて灰色に塗られたその

建物を見る。角張った姿に打ちっ放しのコンクリートで出来た建物。普通の農家

より一回り大きいだろうか。そこに1発、砲弾が撃ち込まれた。榴弾を撃ったの

だろうが意外とダメージが少ない。2発3発と次々撃ち込まれると壁がいくらか

崩れ、2m四方くらいの穴が開いた。たが、それでも破壊したという単語が憚ら

れる程度にしか壊れていない。中に居る人間はまだピンピンしているだろう。

 だというのに、SU-76が1両ふらふらと建物へ近づいていく。裏に居るであろう

突撃砲を討ち取らんと動いているのだろうが、あまりに危険すぎる。急いで援護

しようと射点へ移動する221をよそに、100mという至近距離まで近づいた

SU-76は旋回し建物に対し大きく側面を晒した。その次の瞬間、パッと鋭い閃光が

放たれ、その側面を貫いた。対戦車砲ではない――流石にそんなものを運び込む

暇はないはずだ――にも関わらず、たった1撃受けただけで停止してしまう。一

体何をされたというのだ? と怪しがるヴィクトルをよそに再びマズルフラッシ

ュが走る。少しの間を置いてSU-76から血まみれになった兵士が二人這いだしてき

た。その内一人は意識がないのかぐったりと腕と首を垂れている。

 対戦車銃だ。ヴィクトルは直感した。ただでさえ装甲の薄いSU-76だ。この至近

距離では対戦車銃にすら耐えられない。自走砲隊の迂闊さに憤りもしたが、同時

に敵の対戦車銃手に舌を巻いた。敵が自分の有効射程に入るまで身じろぎもせず

息を潜めているとは、なんて肝っ玉だ。普通の人間は効果がないと分かっている

距離でも撃ってしまうものだというのに。味方があっけなくやられたのを見て建

物に接近していた戦車と自走砲はみな足を止めてしまう。221も建物から30

0mもない地点で停止し、榴弾を込める。対戦車銃手もろともコンクリートのガ

レキにしてやろうと狙いを付けた瞬間、隠れていた突撃砲がぬっと表れた。SU-76

に背後からとどめの一撃を撃ち込むと即座に方向転換し、のこのこ前進してきた

新たな獲物へと主砲を向ける。

 そこに至ってヴィクトルは自分もまた迂闊だったと悟る。300mの距離は対

戦車銃を無効にするのに十分な距離だが突撃砲の主砲は到底耐えられない距離な

のだ。221より前進している味方はなおさらだ。同じ日に2回も! 似たよう

な手で釣り出されてしまうとは! 自分の馬鹿さ加減が嫌になる。それにしても

――突撃砲と対戦車銃手が互いに情報交換しながら戦っているしている訳でも無

かろうに、なんという巧みな連携だろうか。敵兵も見事というほかない。

 だが褒めそやすだけでは済ませないぞ。たかが1両の突撃砲と1丁の対戦車銃

にここまで良いようにコケにされ、手玉に取られるのも尺に障るというものだ。

「ソフィア、まだ発煙弾が1発有るはずだ。あの建物の崩れた穴へ撃ち込め。こ

の距離なら狙えるぞ。エカテリーナも機銃を開口部へ撃ちまくれ。敵兵が一人も

出てこられないようにしろ! パーヴェル! パーヴェル聞こえるか! 俺が囮

になるから奴を仕留めてくれ!」

 爆音と共に最後の発煙弾が発射される。ひまわり畑を突き抜け屋内へ飛び込ん

だ砲弾からはすぐさま煙幕が展張され、立てこもる兵士達を燻すと同時に視界を

奪う。続けて同軸機銃と車体機銃の双方でプレッシャーを掛け続ける。突撃砲は

すぐさま味方の危機を感じ取り、派手に機関銃弾をまき散らす221へ照準しよ

うと試みた。だが発砲するより早くパーヴェル車から放たれた徹甲弾が突き刺さ

り、ほぼ同時にSU-76からの砲撃も命中した。

 後は死体を蹴るも同然だった。戦車隊、自走砲隊の怨念のこもった砲弾が炎上

してもなお立て続けに撃ち込まれ、完全なスクラップになるまで叩きのめされる。

次いで未だ煙が立ちこめる建物へとおびただしい数の射撃が加えられた。20発

か、30発か。いやもっと多かっただろう。着弾により発生した土埃が建物を完

全に多い包んでしまうほどの激しい砲撃の後には、文字通り塵芥と化したコンク

リートが残っているだけだった。

 農村を奪い返しようやく一段落付いたが、これは先行隊でしかないらしい。こ

ちらから北へ向けてなだらかな丘となっており、400mほど先には稜線が見え

ている。生き残った戦車隊と自走砲隊は合流して――といっても残りはわずかに

7両しか居ない――そのまま丘を登っていく。前方を走るT-34が稜線の向こうへ

と消えた次の瞬間、空に火が登った。驚いて減速を指示したが間に合わない。ヴ

ィクトルの視界に入ってきたのは、虎戦車とIII号突撃砲が1両ずつ。それに取り

巻きの歩兵の群れ。稜線を挟んでごく至近距離に敵がいるではないか! 全身が

火照るのを感じ、次いで冷たい汗が流れた。

 虎め、まだいやがったのか。

 心の中であらん限りの悪態をつきつつ、アナスタシヤへジグザグに走るよう命

じる。他の車両もそれに倣い散開しつつ突撃する。彼我の距離は500mを切っ

ているが、しかしこの距離でも正面から虎を撃破する事は不可能だ。一方、虎と

突撃砲は簡単にこちらを撃破出来る。つまり、ソ連兵達は好む好まざるに関わら

ず突撃するしか敵を討ち取る術がないのだ。彼らとて蛮勇ゆえに無謀な突撃をし

ている訳ではない。

 III号突撃砲が火を吹いた。砲弾は221号車の砲塔右側に浅く命中し跳弾とな

ったが、戦車は無事でも中の人間にはたまらない。金庫を家の2階から落として

も壊れはしないだろうが中の貴重品は粉々になる。それと同じ理屈だ。

 被弾の衝撃による猛烈な振動でソフィアは砲塔に頭をぶつけ、ヴィクトルは司

令塔に頭をぶつけた。衝撃はさらに、今まさにシフトチェンジしようとしていた

アナスタシヤの手をレバーから離れさせ、ペダルを踏み損なわせた。

 ギアが痛々しい音を立てて鳴り響き、T-34はエンストを起こした。そのままず

るずると十数m走り、下り坂の途中で完全に停止する。車外から視線を離し、車

長席に体を滑り込ませてヴィクトルは叫ぶ。

「畜生! エンジン再始動急げ! 高速徹甲弾装填、目標は……」

 再び車外を見ると突撃砲の長い砲身が黒い丸となってこちらを見ていた。つま

り、完全に狙いを付けられている。やられる! と思いながらもどうする事も出

来ない。確定的な死を待つだけのほんのわずかな時間。生きながらにして死んで

いる奇妙な状態。ごくわずかの間にヴィクトルの頭の中でさまざまな思いが渦を

巻いた。

 無理をしてでも「夜明け」を連れてくるべきだっただろうか。下手に農村から

移動せず敵を待ち伏せた方が良かっただろうか。いや、今更喚いたところで意味

が無い。何とかこの状況を突破せねば……。しかし、どうやって? 即応弾はあ

と何発ある? 222号車の位置は? 味方は後どれだけ残っている?

 時間にして5秒か6秒だっただろうか。しかし、その瞑想状態はあっけなく破

られた。斜め後方をジグザグに走ってきた自走砲が221号車の目の前に飛び込

んで来たのだ。直後にそのSU-76は被弾し火だるまとなり、そのまま突撃砲と22

1号車との射線を塞ぐ。ヴィクトルが、ソフィアが、アナスタシヤが、エカテリ

ーナがその姿を見た。味方を救おうと自分から盾になった訳ではないだろう。

T-34を追い越してしまったのは、たまたまに過ぎない。

 しかし結果として、SU-76のクルーは死に、彼らの死を持ってヴィクトル達の生

命が購われた。視界の隅では1両、また1両と味方が虎の餌食になっていく。彼

らもまた、直接的間接的にヴィクトルらを生命を延長した。味方に対する貢献が

何も出来ず、仇を取ろうと突撃する訳でもなく、一方でのうのうと生きながらえ

ている自分に嫌気すら沸いた。

「中隊本部より各隊。野戦砲兵の射撃準備が完了した。現在より支援射撃が可

能」

 突然、無線機を通して事務的な単語が流れる。ヴィクトルはハッとしてレシー

バーにかじり付くと、エカテリーナに命じて中隊本部を呼び出しつつ大急ぎで地

図を開いた。自分が今居る位置をおおよそ割り出し、その地点の座標を地図から

読み取る。

「こちら221号車。直ちに支援射撃求む。座標は赤の21、青の9、黄の3」

「了解、直ちに砲兵隊へ連絡する。……いや待て、農村の北側か? 君たちのす

ぐ近くではないのか? 危険だ」

 体に揺れが伝わる。エンジンが息を吹き返したのだ。

「目と鼻の先に虎がいる! 頭の上に落としもいいから構わず支援してくれ! 

交信終わり! アナスタシヤ、虎の側面へ向けて一直線だ。突撃砲は放ってお

け! エカテリーナは味方に退避しろと伝えろ。全車にだ! ソフィア! 側面

から虎を叩く、さっきの要領でもう一回だ。出来るな?」

 逃げ出したところで起死回生の秘技妙技があるわけでもない。そもそも逃げら

れる状況ですらない。ここで奴を倒しケリを付けるのだ。ヴィクトルは自分に言

い聞かせる。

 虎を狩って生き延びろ! それがお前の使命だ!

 重々しく黒煙を噴き上げてT-34は再び走り始める。下り坂も相まってすぐに速

度が乗り、敵討ちとばかりに一直線に駆け出す。虎と突撃砲が221号車に気が

ついたのと同じタイミングで、空気を切り裂く音と共に野砲の76.2mm砲弾

が幾重にも降り注いだ。ドイツ軍歩兵を、地面を、大気をもえぐり取りながら周

囲を破壊し尽くす砲弾は相手を選り好みしない。221号車に命中しない保証は

なかった。車体正面や砲塔正面と違って戦車の上面装甲は薄い。直撃すればひと

たまりもない。けれども、それは相手も同じ事だ!

 こちらへと車体を向けるIII号突撃砲。221号車に狙いを付けるが、相手が速

すぎて逃してしまう。砲塔が無いため車体をぐるぐると旋回させ照準する。が、

ついに221号車へ発砲する事は敵わなかった。しっかりと生き残っていたパー

ヴェル車に対しお尻を向ける格好になった突撃砲は彼のT-34に真後ろから砲撃さ

れエンジンもろとも戦闘室を打ち抜かれ沈黙した。そのまま砲撃に巻き込まれな

いよう撃破された味方を虎に対する盾としつつ後退する222号車。

 彼のおかげで虎戦車は221と222のどちらを狙うか一瞬迷う。だがその一

瞬を付いて221号車は虎戦車まで350mに迫った。視察口から虎戦車をその

目に捕らえつつ、ヴィクトルはこの状況に既視感を感じていた。

 思い出と言うほど昔の話でもない。ほんの1ヶ月前の事だ。あと一歩及ばず返

り討ちにあったあの突撃。ダヴィードが死に、自分も危うく命を落としかけたあ

の戦い。その体験を脳裏に思い浮かべる。すると先ほどまでカッカしていた自分

の思考が急に醒めていくのを感じた。蒸し暑い上にガタガタと揺れる車内で、ヴ

ィクトルの頭だけは氷を押しつけたかのように冷え切っていた。化け物だろうと

幽霊だろうと、同じ相手に二度肝を潰すほど小心者ではない。何のことは無い。

俺はこの状況をかつて経験した事がある。ヴィクトルは車内でかがみ、車体底部

の弾薬庫から砲弾を何発も取り出して脇に抱える。彼の側にある即応弾はあと4

発。その内高速徹甲弾は2発しかなかった。

 距離300m。222を狙うのを諦めた虎が車体と砲塔の両方を回転させて2

21号車を狙い始めた。だがもう遅い。221号車は急旋回の後急停止。大きく

前につんのめる。虎戦車の真横を取りつつ、こちらは車体・砲塔共に正面を向け

ている絶好の角度。さながら決闘の如く互いを狙い合う虎とT-34。ソフィアに射

撃命令を下すが早いか、T-34の主砲が火を吹く。

 ヴィクトルは虎の様子を伺おうともせずひたすら装填に努める。重量約9kg

の砲弾を一心不乱に主砲にたたき込む。出しては押し込み、排莢されては詰め込

む。発射ガスが車内に吹き戻り目と喉を痛めても、支援砲撃の地響きが体を揺ら

してもヴィクトルは動作を止めない。側面に2発3発と撃ち込まれる砲弾。だが

まだ虎は生きている。虎は超信地旋回をしてこちらへ向きつつある。弾薬庫から

出した砲弾は尽きた。即応弾ケースから取り出した4発目は砲塔へ。5発目も同

じく。砲塔に着いていた煙幕投射機が吹き飛んだ。だがまだ致命傷ではない。虎

戦車は生きている。その車体が完全にこちらを向いて動きを止めた。そこに6発

目が飛び込む。被弾の衝撃で揺れる虎戦車。しかしこの近距離では狙う必要もあ

るまい。何時撃ってきてもおかしくはない。7発目。即応弾も切れた。だがそれ

がどうしたというのだ! 時間が掛かるのを覚悟で弾薬庫に頭を突っ込むヴィク

トル。

 こういう場合、一番嫌なのは操縦手だ。敵がこちらに狙いを付けた事がハッキ

リと見えてしまうからだ。アナスタシヤが悲鳴を上げたのが車内通話装置を通じ

て聞こえた。その直後に体を襲うであろう衝撃に思わず彼女は目をつむる。

 しかし予想に反して、5秒経っても10秒経っても虎は撃ってこなかった。こ

ちらに主砲を向けたまま完全に沈黙した虎戦車。10発目まで撃って、ようやく

ヴィクトルは手を止めた。気がつけば支援砲撃も止んでいる。周囲に敵兵がいな

いか確認した後、恐る恐るハッチを開け頭を出すヴィクトル。虎はその牙をむき

出しにしたまま、しかし確かに死んでいた。炎上もしなければ爆発する訳でもな

い虎戦車。砲塔の上面から煙が上っている。ほぼ垂直に支援砲撃の砲弾が飛び込

んで来たらしい。戦車より先に中の人間がスクラップになってしまった所に、と

どめの一撃として命中したようだ。

 戦場の真ん中にいることを忘れ、しばし呆然と物言わぬ鉄塊となった虎戦車を

眺める4人のクルー。魂が抜けたかのように呆けていたが、中隊本部からの呼び

出しでようやく我に返った。

「中隊本部より第2小隊隊長車。繰り返す中隊本部より第2小隊隊長車。現状を

報告せよ」

「……こちら221号車。農村周辺の敵は撃退。敵の進出は食い止めた。友軍の

被害多数」

「中隊本部了解。地点149の防衛は成功した。そちらに軽戦車隊が急行中。到

着次第元の陣地へ戻り火力組織を回復させよ」

 戦闘の騒音は少しずつ小さくなり、やがて聞こえなくなった。後に聞こえるの

は、つい数時間前までと変わらない虫の鳴く声と木々と草花が風に揺られる音。

 猛獣は絶命し、ヴィクトル達が生き残った。

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