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タロと今夜も眠らない番組  作者: シュリンケル
第三章
78/123

78.取材旅行23(原爆)

広島原爆の話を含みます。

一部残酷な表現がありますので苦手な方は読まないでくださいね。

 猫森村へ向う前に、僕たちは広島市内へ向った。

食料や水の調達と車両のメンテナンスを行うために。

(とはいえ、僕たちの保養も兼ねるのだけどね)


---


 三方を山に、一方を瀬戸内海に囲まれた街。

広島市内は近代的な趣である。

そうかと思えば懐かしい趣も所々で感じる。


両親の故郷だからだろうか。空気すら懐かしく感じるのは。

道は広く、緑は青々としている。


取材車を町工場に預けた僕たちは、久しぶりにのんびりと街を観光して歩く。


 「お好み焼きが食べたい」

ツヨシと猫山さんが同時にお店を指差す。


いいだろう。

僕たちは広島の名物を食べに来たのだ。


意気込んで入ったお店は、カウンター一杯に鉄板が広がっている。


僕たちは”そば・肉・玉”を頼む。


 鉄板にクレープのような生地を焼き、大量のキャベツ・もやし・肉を炒める。

焼きそばも鉄板の片側で作られ、野菜たちとともに圧縮される。

卵を焼き、やがて全てが一つになる。

食欲をそそるソースがかけられ、青海苔と鰹節が振られる。


そうして出来上がった「お好み焼き」は食欲を十分に満たすものだった。

(とにかくうまいのだ)


---


 空腹を満たした僕たちは、中心街に祭られた「平和祈念公園」を見学した。

(これもまた取材である。)


 有名な”原爆ドーム”。

崩れ落ちたレンガ造りの外壁の一部におかっぱ姿の女の子の霊が浮かび上がるのも有名な話である。

(写真に撮ってみると、確かにそう見えるものも映っているから不思議だ)


こうなると俄然張り切るのは猫山さんである。


 「ここにはエネルギーを感じますぞ」ドームを見上げ、原爆慰霊碑を見つめ、猫山さんのサングラスがキラリと光る。


 たくさんの魂が眠るこの場所に、僕たちは導かれたのだろうか。



 「人がたくさん死んだの?」振り向くとツヨシが僕に聞く。

そうだよ。と僕は説明する。

(※今回、残酷な描写が含まれますのでご注意ください。)


-それは第二次世界大戦の終焉間際の話。

-1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。


 その日、人口35万人とも推定される広島市の人々は、いつもの朝を迎えていたと言う。

工場で朝の仕事を始めた工員達。家では家事の真っ最中。。

子供たちは学校(中学以上は工員として働いていた)。

薄い雲につつまれた広島。


 それは本当に突然の出来事だった。


閃光。しばしの沈黙。

そして衝撃波。

割れるガラス。


 放射能の熱線は凄まじい。

日光の数千倍もの熱線。3,000℃にも達する地表温度。

直接熱線を浴びた人々の多くは墨となり、蒸発した。

壁際に居た人はその影だけが焼きついた。

建物は消滅した。(産業奨励館(現在の原爆ドーム)は鉄骨のため部分的に残った)


 慈悲も何もありえなかった。


 それはもはや殺人の域を遥かに超えていたのだ。


かろうじて生き残った人々のほとんどが化け物のようであった。

服は皮膚に焼け付き、内臓は全て焼けていた。

肉は熔けて着物のようにぶら下がる。


わずかに残った川の水が飲みたくて、全身の痛みと乾きとやけどを癒したくて

生き残った人々は川に飛び込む。

(水を口に含んだ直後、彼らはアナフィラキシーショックにより死んでしまう。)


 それでも生き残った人々。

彼らは更なる地獄に直面する。


 ”黒い雨”だ。


 B-29(エノラ・ゲイ号)の投下した原子爆弾により発生したキノコ雲には大量の放射能が含まれていた。


全身の乾きに飢えた人々はその黒い雨を飲んでしまう。

そうして直接放射能を浴びなかった人々も二次被爆をしたのだ。


被爆した人々は細胞レベルで致死に至る。

(とても極端な表現を用いるならば、”たちの悪い悪夢”である。なにしろ白血病まで着いてくるのだ)


病院施設も壊滅していたために、治療すらろくに出来ない。


包帯の下で蛆虫が大量に湧くままにみな死んで行く。


 何よりもの悲劇は、被爆は一生抱え続ける障害であり(症例次第では治る人もいるだろうが)

被爆した事で精神的にも障害を受けることである。

(助けられなかった。自分だけ生き残った。被爆差別を受けた。など)



 投下した側の解釈は「原爆のおかげで悲惨な戦争を終結できた」である。

それはある意味で真実なのだろう(広島と長崎への原爆投下により戦争が終結したことを思えば)。

本当にひどい事を日本人もしているのも事実である。


 しかし同じ事をされた場合、同じ理屈で納得できるのだろうか。

一族の細胞レベルまで汚す事が正しい解決なのだろうか。

僕には今でもわからない。

放射能で生態系までをも汚すこと。精神的に受けるダメージは確実に世代を超えるのだ。

(別の戦争では枯葉剤で同じことをしているし)


たくさんの傷跡が眠る”原爆資料館”を見学しながら僕は想う。

凶暴な原爆で歴史を亡くした血族の末裔として。



 ツヨシは僕の説明を聞き、資料館を見つめ続けた。

無言で涙を流すツヨシの頭を僕はゆっくりとなでる。


---


 消えることのない祈念碑の炎に僕たちは献花を捧げて祈った。


青々と茂る公園の緑が風に揺れていた。



挿絵(By みてみん)


文中の原爆についてはwikipedia情報も参考にしました。(筆者も広島出身なので幼少から見聞きしていました)

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