34.タロと”NARITA’S-PROJECT”
ラジオ局の叔父さんから受け取った書類を、僕は熟読した。
本物が必要なのだと、プロジェクト計画の末尾は締めくくられていた。
いかに正しい入れ物を大掛かりな計画をもってしても、「張子の虎」で終わるものがいかに多いかを、計画書は解説していた。
会長の意志はタジマの深い理解の上で相当ハイレベルなプロジェクト思想に昇華されていたようだ。
そこには、僕の数少ない取り柄である”音を操るセンス”と”本質を伝えるセンス”が望まれていた。
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計画の本質として、「ミルグラム実験の教訓を活用する」というその思想に僕は感服した。
彼らの理念には、宗教思想さえも陵駕しうる部分を持ち合わせているように、僕は感じたのだ。
実験を極解するならば、(正当性さえ備われば)その場で認識しうる常識に意識は制御されると理解できる。
これを利用すれば、CMで購買欲を駆り立てるようなテクニックとしても応用できるのだ。
(このテクニックはメディアの様々な販促シーンで応用されている。)
しかし、会長はそれを正しい流れとは考えていなかった。
確かに、無理やり限定された条件の下で「こっちを選べば正しいでしょ。」などと刷り込み、繰り返すことはテクニックの一つとして必要である。
大切なのは、どうせやるなら心地よくやろうということだ。
センスのない選択肢からは無意識に不快感が残って行くのだ。
”限定された条件下”を販促テーゼの下地とするのなら、本物の価値観を付与すべきだと言うのがプロジェクトの肝とされていた。
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分厚く重い資料を閉じた僕は、長いあくびをした。
どうやら彼らはとても真剣であるようだ。
僕にそんな大役が務まるとは想像できなかったけれど、やってみる価値はある。
窓の外では、たくさんの鳥が合唱していた。
ステレオから流れてきたのは-アートガーファンクル”When a Man Loves a Woman”-
まるで鳥たちとともに密やかに語り合っているようだった。
もう朝なのだ。