33.田島永一(タジマ)3 -教訓としてのミルグラム実験について-
わたしが会長から確かめたかったこと。
その一つがは”ミルグラム実験”についてであった。
旧ナチスの親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは人としての感情抜きでホロコーストを創造・指令した、ヒトラーの名の下に。
なぜ、どうしてそんな残酷な歴史が生まれたのだろうか。
それを検証した一例としてアメリカ・イエール大学で心理学者スタンリー・ミルグラムによって”ミルグラム実験”(アイヒマン実験)が行われた。
この実験の意図は「アイヒマンたち事件に加わった人達は、指示に従っただけなのか?」である。
・無作為に被験者を集め、お互いに役柄を決める。
1.問題に答える「生徒A」
2.回答を間違えた場合に電流を流す「教師」 ※教師は演技を知らされていない。
3.電流を受けて痛みを伝える「生徒B(痛みの代役)」 ※生徒A,Bは演技であることをお互いに理解している。
4.さらに電流流しをためらった場合の「説得役(教師のさらに上司と認識している)」により実験される。
この実験ではお互いに対してのプレッシャーが排除されていたそうだ。(誰か一人でも嫌だといえば終了したのだ)
電流の段階は最終的に「危険(375ボルト)」が演出されていた。最後の演技は無反応(死亡)である。
その結果、最終段階まで実行した者は40人中25人であった。
その実験の結果から、人は仕事として「指令」された場合、その仕事上の世界として感情もモラルもコントロールされてしまうように私には思えた。
それがいかに危険なことか、ネガティブな力の方向がもたらすであろう弊害を私は危惧していた。
成田会長は既にヤクザ家業から完全に足を洗っていたが、健全な事業を通じて一介の大門よりも遥かに大きな力を得ていた。
だからこそ、わたしは会長にミルグラム実験から何を感じるのかを問いたかったのである。
会長は迷いなく即答した。
「極論として」と会長は言葉を続ける。
人は、狂った価値観を「正」とされた場合、往々にして従おうとする。
しかし、それは間違った力の使い方であり、後々自分自身の良心に苛まれることとなるのだと。
(実際、ミルグラム博士は実験後、参加者の心理ケアをずっと続ける事になる)
正しくは、無意識からの流れだ。
モラルとして人として、あるべき姿として、良心から正しいと思える方向に向かって前進する結果こそが本物と成りえるのだ。
それをわたしは目指しているのだ。
それが過去の負の歴史に対する償いにも繋がるのだと。会長は本心を語ったのだ。
わたしはそれを聞いてから、一度も会長を疑ったことがない。
会長の意志を確認したわたしは、次の事業展開として”環境コンサルタント”を目指したのだ。
人の心に響かない、見せ掛けの環境はやがて力を失う。
後々まで「これでよかった」と思えるものが全てのベクトルとなるのだ。
それが、”NARITA’S-PROJECT”の骨子である。
プロジェクト実現のために我々に必要なのはあと一つだった。
山に流れる川のような”正しい流れ”、”人としての根源”を喚起させるビジョンをわかりやすく伝えること。
そのような時に、わたしは”タロ”さんのラジオに出会った。