28.マコ転職4(2000年.春)
朝の日差しがわたしの部屋に差し込む頃、鳥たちがさえずる声で目が覚める。
キッチンから父の鼻歌が聞こえる。
なんと「我が心のジョージア」を聞きながらハミングしている。
シャッシャッと米を研ぐ音が心地よくて、わたしはまた眠くなる。
お味噌汁の香り。卵が焼ける音。ベーコンも焼いている匂いがする。
お茶を入れなくちゃ。
なんだか幸せな気持ちになって布団から飛び起きた。
「よ、よく寝れたか」
黄色いエプロン姿の父に親指を立てて答える。
「生まれ変わったみたいよ。お茶、いれるね」
「き、今日から出社か」
「そうよ」
「そうか。か、か、会長さんとタジマさんに、よ、よろしく伝えてくれ」
「わかったわ。ありがと」
短くてぶっきらぼうだけど、父は応援してくれているようだ。
事務局まで送ると父は言ってくれたけれど、それは断った。
職場までは6駅だし、最初が肝心なのだ。何事も。
駅まで歩くうちに、同じような通勤の人々が増えて行く。
東京では気づかなかったが、歩く速度が違うんだね。
なんとなくのんびりと歩きつつ、わたしはそんな風に感じていた。
違うと言えば、電車もそうだ。
車内で次の停車駅を告げるアナウンスはとても聞きやすかった。
一人一人の乗客は程よく距離を置いていた。
車窓から時折花の香りが漂った。お花畑があるのだ。
わたしは通勤ですら楽しく過ごしていた。
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事務局は駅のロータリーを挟んだ向かいのビルだった。
堅実な佇まいのビルは”商工会議所”となっている。6階建てだ。
商工会議所は1階だが、それ以外のテナントは”N.A.”が占めていた。
2階の”N.A.受付”で名前を伝える。
見事なフラワーアレンジに飾られた受付から現れたのは、長身にダークスーツを纏った男性だった。
「始めまして。栗木真子です」緊張しながら会釈をする。
「今日から出社でしたね。始めまして。局長の田島永一です」
彼がタジマさんだった。
「あ、父からくれぐれもよろしくお伝えくださいと言われました」
直立不動でお辞儀をするわたしに、緊張しないでいいですよと事務局内へ誘ってくれた。
うん、ハゲ部長(51)とは大違いだわ。
「みなさん、ちょっと集まって」
タジマ局長がそう言うと、わらわらと人が現れてきた。
「今日から皆さんと一緒に仲間になっていただきます、栗木真子さんです」
よろしくお願いします、と慌てて一礼する。
タジマさんに紹介されたわたしに、みんなは次々と握手をしてくれた。
東京で商社に勤めてたんですってねえ。すごいわぁ。
ねえ、パソコンて得意なの?
結婚してるの?
何歳なの?
恋人は?
趣味は?
局長のことどう思う?
etc...
実に好奇心旺盛で健康的な社風を、わたしはとても気に入った。
恋人もなく、ラジオDJに片思いなのだとか、パソコンはできるが特殊な事はできないので覚えたいなどなど、話したところでお茶の時間となった。
局長は自らお祝いのケーキを差し入れてくれた。
わたしの入社祝いだって。局長、好きな人ランキングに入ったわ。
楽しいお茶の時間の後で、業務説明を受けた。
わたしは事務局の秘書室担当で、説明してくれたのは室長のアタルさん(中と書いてアタルさん。男。32才)。
ナリタ・エージェンシー(N.A.)が事務局の母体。わたしもよく知っている家電”ナリタ”は総本山。(株式公開はしていない)
事務局としての運営の内容は、アーティスト招致~イベント開催運営全般もやるが、ソフトウエア提供~運用も行うらしい。
予備知識としてタジマ局長のことも教えてくれた。
金融システムコンサルタント・海外アーティストマネージメント・環境(特に音響)コンサルタントを手がけているそうだ。すごすぎ。
予想を反して、わたしの入った会社は意外性に富んでいた。
「ま、詳しいことは時間をかけて覚えてくれたらいいよ。最初は仕事の流れを覚えること」
アタル室長は、この会社が”流れ”を大切にすると教えてくれる。
会長とタジマ局長の口癖だそうだ。
”全ては正しい流れに沿って進むべき。”
わたしの新しい職場はアタリだった。