116.地上7.5mの展望~ケーブル工事士とエレーン~
あの不思議な猫に会ったのは、いつもの作業中の出来事だった。
俺はケーブル工事士だ。
名前は掛井修二。架線工事には縁起が良いと元請会社には言われている。
電柱から電柱を、一本の鉄線に沿って移動する。
7.5mのスライダー梯子を引っ掛けて上空まで登り、一本の命綱を頼りに太いケーブルを鉄線に這わせる仕事をしている。
ケーブルはくねくねとした結束線(針金を柔らかいプラスチックで覆ったバインド線)で丁寧に巻いて行くのだ。
上空で常に作業をするために、少し作業をしては上空で梯子をずらして移動する。
地道な作業だ。
俺の作業はお年寄りによく見学される。
見ていて飽きないらしく、彼らはいつまでも道路の下から俺の作業を眺めていたものだ。
そんなある日の出来事である。
俺が、ケーブルを鉄線にぐるぐると結束線で巻いていると、視界の端から一匹のネコが現れたんだ。
ネコは鉄線を器用に渡って歩いてきた。
『ここは良い眺めね』 とネコは話したのだ。
『あ、作業のジャマはしないわ』 あっけにとられた俺をちらりと見た後、ネコは優雅に目の前を横切って行く。
『あなた、ケガしないようにがんばるのよ』 そう言うと、しっぽを三度おおきく振って去って行ったのだ。
俺はぽかんと口を開けたまま片手を振って見送った。
その晩、工事会社の事務所に戻り作業着を着替えた俺は、同僚と居酒屋で飲んでいた。
「掛井さん、こんな噂を知ってますか?」 同僚の中村が問いかけたのは、何度目かの乾杯の直後だ。
何をだよ、と俺は聞いてみる。
「化け猫っすよ」 中村は口を大きく開け、両手を構える。化け猫のつもりなんだろう。
中村が小耳に挟んだ噂によれば、この地域に最近”化け猫”が出没しているらしい。
そのネコはどこからともなく現れては、恐ろしげな言葉を話すらしい。
ネコの口は耳まで大きく裂けており、話す言葉を聞いた者は発狂して死んでしまうと言う。
「俺、言葉を話すネコと会ったよ」と俺が言うと、中村はビールを噴き出した。
「ま、マジっすか?」 こぼしたビールをおしぼりで拭いながら、中村は目を丸くする。
「そ、今日会ったんだ。かわいいネコちゃんだったぜ。ケーブル線を歩きながら俺に挨拶して通り過ぎたんだ」
もちろん中村は信じなかった。
明日からは、と俺は思う。
ポケットに煮干を入れておこう。