8話 地味子な福音は登録者数15万人のVTuber。憧れの公爵との遭遇に限界化する件
「ただいま帰りました」
「おかえり、福音」
――学校で湊からプロゲーマーとしての過去を聞いた数十分後。
福音は航平たちと別れ、自宅へと戻っていた。
出迎えたのは、福音の父・千代田和宏。彼は専業主夫として家を守っている。
家系を支えているのはシステムエンジニアで大黒柱の母・涼子だ。仕事が忙しく、いつも帰りが遅い。
リビングを横切った福音に、キッチンに立つ和宏が声をかけた。
「入学初日、どうだった? 友達はできたかい」
「……普通、かな」
「そうか。まあ、いつもの子たちと一緒ならそれでもいいさ。学校は交友関係を広げるところだが、かといって問題のある生徒と無理に付き合う必要もないからね。マイペースでいいさ」
「うん。ありがとう」
外では丁寧な言葉遣いの福音だが、さすがに家族相手では多少口調も崩れる。
和宏によって常に綺麗に掃除されているリビングは、福音にとって少しだけ息苦しい場所だ。まるでファッション雑誌やモデルルームの宣伝に出てくる部屋のように、隙がない。
足早に自室へ向かおうとした福音を、和宏が再び呼び止めた。
「そうだ。今日も配信をするんだろう? 役に立ちそうな本が見つかったから、後で読んでおきなさい」
大きなテーブルの片隅に、数冊の実用書が積み上げられていた。行動社会学、ジェンダー学、そして大学教授の対談本である。
「ありがとう、お父さん。お金は……」
「はっはっは。子どもが気にすることじゃないよ。けど、ちゃんと『自分のスキルでお金を稼いでいる自覚』はあるみたいだね。いいことだ。お母さんも喜ぶよ」
「うん……」
精一杯の笑みを浮かべて頷き、福音は実用書を抱え上げた。小柄な彼女にはずっしりと重い。
「福音。配信活動、頑張れよ。お父さんもお母さんも、お前を応援しているぞ」
「うん。いつもありがとう。お父さんたちがサポートしてくれたから、私は配信活動ができてる」
「いつかお前が、世の中に正しい知識を広める役割を担ってくれることを願ってるよ」
お父さんたちが望むような、ですよね。
胸の中に湧き上がってきた思いを押し込め、福音は再び笑った。
「うん。じゃあ、部屋に行くね」
小走りに自室へと向かう。
「……重い」
きっとこれは、手にした本の重量だけじゃない。
そう思っても、福音は口にできない。両親の協力で配信活動ができているのは事実だからだ。
パソコン。音響機材。ソフトウェアのライセンス。本格的に揃えようと思えば、とにかくお金がかかる。ついこの前まで中学生だった福音には、とうてい手の届くものではない。
自室に入り、扉に背中を預ける。
配信のときはカギをかけない。部屋は明るくする。それが両親との約束だ。
音漏れを防ぐため、扉と窓には自作の防音対策を施している。これはこれまでの配信で自分が稼いだお金で作ったものだ。
実用書を机の上に置く。本棚には同様の書籍が整然と並べられていた。
これらを使った配信活動を、両親は応援してくれているのだ。
福音は配信の準備を始めた。原稿はできているので、後は動画に合わせて録音をする作業だ。
福音は静かに喋り始めた。
「こんばんは。hukuineです。今日も未来の羅針盤から、私たちの身の回りにある様々な問題について考えていきたいと思います」
チャンネル名は『未来の羅針盤』。
配信者名はhukuine。
主に社会問題について解説する動画をアップしている。
登録者数は200人ほど。リスナーには両親の知り合いの大学教授やNPO団体の役員もいるらしい。
耳に心地よい声音で、福音は淡々と真面目な配信を続ける。
そこに高揚感はなかった。
短時間で録音を終えると、微調整ののちに配信する。
視聴回数や高評価数が砂時計のようにゆっくりと積み上がっていく様子を横目に、福音は肩の力を抜く。
後ろを振り向いた。深呼吸して、もう一度部屋の扉を振り返り、和宏が来ていないことを確かめた。
そして、足早に部屋の隅にある二段ベッドへと駆け込む。
二段ベッドの下が、福音の本当のパーソナルスペースだ。
カーテンで区切られたそこは一見すると物置である。しかし、棚の裏に防音処置を施した『配信スペース』があるのだ。
まるで押し入れの中の秘密基地だ。
ここは狭い。けれど同時に、世界一広い場所への入口でもある。
福音が、本当の自分になれる大切な居場所だ。
「はー……。まだドキドキしてます。そうだよね。まさか、本物の『公爵』に会えるなんて思ってなかったもの。それも同じクラスなんて」
福音はプロゲーマーの『公爵』を知っていた。自分と同い年でありながら、ネット空間で燦然と輝く実績を上げた彼のことを、福音はとても尊敬していた。
彼が突然プロを止めたときには、配信にも影響が出たほどに。
なかなか冷めない興奮を深呼吸で落ち着けながら、福音はタブレットを取り出した。
もうひとつの配信を始める。
「Achtung! 我が来た! 天界のブラック労働に別れを告げ、夜の帳に舞い降りた高貴なる吸血鬼。我こそ夜空姫ネオンなり! さあ、愛すべき下僕ども、今宵も我が声に心震わせるがよい! Bitte!」
テンション高く高圧的な態度で第一声を放つ。
タブレット画面には、彼女のアバターが強気な笑みを浮かべている。黒と濃紺を基調としたゴシックロリータ風のドレスの上に、裾がゆるゆるの黒いパーカーを羽織る。パーカーには筆記体で『REJECTED』の文字。
登録者数15万人の天使系迷子吸血鬼VTuber――『夜空姫ネオン』。
それが福音のもうひとつの顔だった。
:はじまた
:アハー!
:ネオン様、アハー!
:アハーを捧げよ
「アハーじゃない! お馬鹿さんっぽいから止めてっていつも言ってるでしょ!? あ、ごめんなさい。声大きかった?」
:ちな夜じゃない
:むしろ太陽眩しいのだが?
:ネオン灰になってない?
「正論は吸血鬼も殺すわよ! 皆忙しいのにごめんね?」
高圧的な言動なのに、根は気弱で、すぐに謝る。福音のキャラクターが滲み出たことによるギャップが受けて、夜空姫ネオンは人気を博していた。
この日も、視聴者とやり取りをしながら雑談配信をする。福音にとって至福の時間だ。
:ネオン、今日は機嫌がいい?
:いまさらわかったか? 俺はすぐ気付いたけどな
:厄介な古参ファンがおる……
:ネオン、声が弾んでるね
「わかる? 実は、憧れの人に出会えたんだよ。けど、その人にも色々あるみたい。だから我も頑張る」
:その気持ちわかる。頑張ってネオン様! 私も頑張る
「ダッチェス、いつもありがとうー!」
常連の視聴者に返事をしてから、福音は配信を終了させた。
夢から覚めたように天井を見上げ、タブレットを抱きしめる。
「天宮君、一時期すごい叩かれてた。それでも高校で前を向こうとしているんだ。私も……そんな風に人生をやり直せたらよかったのにな」
配信は好き。リアルは怖い。誰かと競い合うのは苦手だ。ずっとネット空間にこもっていたい。
けれど、それが『正しい』ことなのかはわからない。
「彼と友達になれば、『正しい』世界がどんなのかわかるのかな。お父さんやお母さんが言う正しさじゃなく、私が胸を張って正しいと思える世界が……」
和宏が階下から福音を呼んだ。キッチンを手伝って欲しいようだ。
福音は慌てて気持ちを切り替えると、自室を出た。




