ステップ3
「戻りました。」
「はい、お疲れ様。顔色が悪い。無理もないか。」
師匠はそう言うと、湯気の立つマグカップの一つを少年の前にそっと置いた。
「…少し休もうか。次のステップは1週間後にしよう。」
「…いや、次は何ですか?
1週間後なんて待ちませんよ。」
大樹はコーヒーを飲みながら言う
「…そうか。休まなくていいのかい?」
未来の自分は少年の強がりを見透かしたように、小さく笑った。無理はするな、と言いつつも、その瞳には弟子の成長を確かめようとする好奇の色が浮かんでいる。
「分かった。君がそう言うなら止めはしない。
…じゃあ、次の最後の課題だよ。」
師匠は少年の向かいの席に座り直し、自分の分のコーヒーカップを手に取った。そして、一口含んでから、真剣な眼差しで少年を見据える。
「最後の課題……それは、
鬼ごっこで俺を捕まえたら合格!」
「……は?」
思わずポカンとしてしまう
「ん? 聞こえなかった? 鬼ごっこだよ、鬼ごっこ。飲み終わったら始めよっか。」
師匠は、こともなげにそう言った。少年の呆気にとられた表情を意にも介さず、コーヒーのカップをゆっくりと口に運んでいる。その目には、悪戯っぽい光が宿っていた。
師匠は続けて話した。
「ひとつ制限ね。俺を対象にした願いは鬼ごっこ中全て叶わない。あとは好きにしていいよ。」
それはつまり、相手を直接操ったり、行動を封じたりする類の能力は通用しないというルールだった。純粋に身体能力と発想力で捕らえろという、シンプルな挑戦状。しかし、目の前の男はただの大人ではない。10年後の自分自身だ。
「じゃあ始めよう。」
師匠は、少年の勢いに満足げな笑みを深め、ゆったりと席を立った。コツ、と革靴の音が古い床板に響く。
「準備はいいかい? じゃあ……いくよ。」
師匠が大樹をタッチした瞬間大樹の世界は暗黒の空間にいた。
(……息ができない……)
遠くで逆さまの師匠が余裕そうに手を振っている…。
瞬時に状況を整理し力を使った。
空気を作る…
地面を作り重力の概念を作る…
暗闇を照らす太陽を作る…
俺は光の速さで走れる体を手に入れる…
疲労の概念を消す…
地に足が着いた、身体能力は極限まで高めた。
大樹は師匠を追いかけた。衝撃波が砂埃を舞い上げる。
しかし、追いつかない…
(次の手を考えなくては…)
(よし、瞬間移動だ。)
移動先を鮮明に思い描く…
師匠の目の前、タッチする未来…
「……っ!?」
勝った。師匠に触れた。
しかしおかしい、残念でしたと指を振る師匠は陽炎のように消えていき、地平線の彼方まで師匠の姿で溢れていた。
大樹は冷静だった。
「……俺は幻覚を見ない……」
すると師匠の群れは消えていき、後ろで手を振る師匠がいた。
ずっと追いかけていたのは幻で師匠は後ろにいたのだった。
なんという舐めプ
大樹は追うのを辞め予測を始めた。
(テレポートでまた触れられるか?)
(相手は自分だ…。
未来を知ってる師匠は移動先も読まれている。)
(時間の概念を作り時を止めるか?)
師匠が止まった時間の中でも手を振る未来が見える…。
あらゆる手段を使っても師匠には手が届かない…。
大樹は大の字で寝そべった。
空腹も睡魔も時間制限もない。
師匠が飛んでる。
次見た時はメリーゴーランドで遊んでる。
テーブルでステーキを食べている。
ただひたすら師匠が煽ってくる異空間。
「どうしたらいいんだ……」
もう、師匠は好き勝手している。
悩みに悩んだ末、大樹の最後の作戦は……
「俺が触ったものは鬼になる……」
地面を触った
その瞬間、静かに勝利が決まった
「お見事、合格だよ。」
背後からかけられた声に振り返ると、いつの間にか、あの優しい笑顔をした師匠が、すぐそこに立っていた。
途方もない精神的な疲労感を覚えながらも少年はふらつく足で元の席へと戻り、どさりと椅子に身を沈めた。まだ心臓が激しく脈打っている。
師匠も向かいに座ると、楽しそうに肩をすくめた。
「師匠、
いいです、大丈夫、行けたら行くみたいなどっちとも取れる言葉を絶対叶えるとしたらどうします?」
師匠は笑いながら答えた
「逃げ道の曖昧さってやつだ。
あれ厄介だよね!
前向きに検討しますは絶対やらないとかね。
あとはツンデレ属性とか俺らの敵だよね!」
言葉の曖昧さが一瞬の判断の命取りになると続けた
「じゃあこれは?
牛乳を2本買ってきて。
卵があったら6個入りを1パック買ってきてね。」
大樹は頭を痛めた。
「これは無意識に願いを叶えてたら一生
帰れなくなりますね…。」
『牛乳を買う』
↓yes
『卵はあるか』→↓no
↓yes 『牛乳持って帰宅』
『6つあるか』
↓yes
『牛乳と卵6つ持って帰宅』
「もし牛乳がなかったら……1本しかなかったら
どの処理にも入らずエラーになりますね……
つまり思考が停止して動けなくなる……恐ろしい。」
師匠はそうそうと頷いた。
しばらく2人はのんびり過ごす日々になった。しかし、2人は能力を極めた同士、言葉の曖昧さを利用した能力の抜け穴を突く意地悪を度々行った
師匠「ちょっと待ってて」
大樹「“ちょっと”とは何秒ですか?」
師匠「常識の範囲だよ」
大樹「常識は個体差があります」
師匠「……」
別の日
師匠「資料、適当にまとめといて」
大樹「出来ました。 完璧な構成・索引・参考文献付き」
師匠「いや、そこまでじゃない」
大樹「“適当”とは、目的に対して最適であるという意味です」
また別の日
師匠「飲みに行くぞ」
大樹「行けたら行きます」
師匠「それ来ないやつだろ」
大樹「“行けたら”は条件付き未来確定です」
師匠「条件なんだよ」
大樹「気分です」
更に別の日
師匠「みんなそうしてる」
大樹「“みんな”とは何%以上ですか?」
師匠「空気を読め」
大樹「空気の組成は窒素78%です」
師匠「……もうええわ!」
師弟の日常は、まるで言葉遊びの応酬だった。
どちらが先に相手の論理の裏をかくか。無意識の願いをどう拾わせるか。
そんな、他愛のようでいて命懸けの駆け引きが日々繰り広げられる。
世界を崩壊させかねない強大な力は、二人にとって、ただのちょっと厄介で面白いおもちゃになっていた。
そんなある日の午後。
「師匠、あの時一つだけ開かない扉がありました。
空想の扉と書いてありました。」
師匠は静かに答えた。
「あの扉達は俺の知識、扉の先は経験。
空想の世界は知識はあるが経験がない。だから開かない。」
大樹はその言葉を噛み締める。
未知の扉――自分がまだ見ぬ世界――が、確かに存在する。 胸の奥で、冒険心がざわめき、理性の声をかき消す。
「……俺が、あの扉の鍵になります。」
師匠は少し間を置いて複雑な表情をした。
「前にも言ったけど『異世界へ』と願えば、叶うかもしれないが…。そこは空想の産物。歪んだ形で叶ったら、空気の比率が違うかもしれない。重力が10倍かもしれない。何が起こるか分からない。」
大樹は師匠を真っ直ぐ見つめている
「……分かったよ。君がそこまで望むなら、止めはしない
ただ、入念に作戦会議をするよ。俺が知らない世界に行けば介入できない可能性が高い。」
師匠は机に広げられた図面と資料をじっと見つめる。
空想だけではない、物理法則、重力、空気比率、酸素濃度――
転移後に即死しないための条件をひとつひとつ洗い出していた。
空気の密度はこの比率、重力は現地の0.9G~1.2Gの間……水や食料の確保も必要だな
師匠の指先が図面上を滑る。
大樹は目を輝かせ、資料の隅に書かれた数式や計算式を追いかける。
「漫画やアニメの設定だけではだめなんですね。」
師匠はつぶやく。
「現実の法則に従わないと、すぐ死ぬ。だから、ここまで条件の合った世界へ飛ぶ。」
師匠はため息をつきながらも、笑みを浮かべた。
「……そこまで突き詰めるんですね……」
その瞳の奥には、警戒と理解が入り混じる。
「でも、これで少なくとも生き延びる可能性は高まった。君なら、自分の手で空想の扉への鍵を作れるだろう。」
二人は並んで資料に目を落とす。
大樹の手は、空想の扉に触れた瞬間の高揚を思い出して微かに震えている。
師匠はその手をそっと見守りながらも、声には出さず、全ての責任を背負う覚悟を固める。
やがて、準備は整う。
机の上には異世界の条件がすべて書き出され、計算され、保証されている。
あとは扉を開き、未知の世界に踏み込むだけだった。
大樹の胸に、覚悟と希望が同時に広がる。
そして、彼は手を伸ばす。
空間が震え、扉が光を放つ。
体中の神経がひりつくような感覚と共に、大樹の意識はふわりと宙に浮いた。
気づけば、そこは見たこともない光景――空気の匂い、重力の感触、地面の硬さすらも違う世界だった。
何もかもが異なる。物理法則は似ているようで少しずつ狂い、異様の気配が肌で感じられる。
大樹は小さく息をつき、拳を握った。
「よし……ここからだ」
未知の世界――空想の扉の先――
ここで初めて、修行の成果を発揮できる。




