5-8 あとがき
あとがき
《紀元前0世紀の物語》を構想した時、紀元前0世紀より前の動きをみる必要があった。
紀元前5世紀頃では、中国大陸で、大きな戦乱が続いていたこと、 その混乱から逃れた人々が朝鮮半島へ、さらに、海を越えて日本列島へ渡ったのではないか、という事であった。
もうひとつ、縄文から弥生への移行を博物館や専門書で見ると、まるで線を引いたように分断されている。
だが、縄文は弥生が来ても消えず、むしろ融合していくハズである。
その連続性が、どうして歴史では断絶のように扱われるのか。
この疑問はずっと心に残っていた。
そして、神道という宗教についても考え続けていた。
縄文の自然崇拝的な感覚、争いの痕跡がほとんどない社会。
それらは神道の根にあるものと、どこかで繋がっているのではないか。
そう思うようになっていた。
遺跡を巡りながら、その疑問は形を帯びていった。
最初に向き合ったのは、身近な御代田町の縄文遺跡だった。
しかし、すぐ近くの佐久平の弥生遺跡は紀元前1世紀頃からしか見つかっていない。
縄文から弥生への移行を考えると、そこには“空白の時間”がある。
なぜなのか。
これが最初の問いだった。
調べていくうちに、上越市の春日山に紀元前5世紀頃の渡来人の痕跡があることを知った。
渡来人は縄文と繋がり、米作を持ち込み、人口が急激に増えた。
広がるとき、人々は空白地へ移動する。
歩ける地形を考えると、長野盆地を経て佐久平に至る道筋が浮かび上がってきた。
そして、もうひとつ重要なのが、移動するグループの存在であった。
各地の縄文遺跡には、全国各地の産物が含まれていた。証拠はないが、これは歩いて動いていたに違いない。得意なルートを持って動いて生活していた縄文人がいたはずだという答えだった。
この物語は、そうした疑問とその解決策の積み重ねから生まれた。
縄文と弥生、自然崇拝と神道、渡来と地形。
それらが交わる場所に、紀元前0世紀の日本があったのだと考えている。




