1-4 縄文の世界の色々
縄文の世界の色々
縄文時代は長く、ゆっくり時間が進んでいた。それは、ギリギリの生活であったが豊かな自然に助けられながらの暮らしでもあった。
山奥で長い年月、自然の中だけで暮らしていた縄文部落があったが、突然の大雨が続いた事で暮らしが成り立つことができなくなった。
そこで、大きな海は、恐ろしいと分かっていたが、海岸近くの保倉川が、海からの驚異の堤防となる左岸側に拠点を移した集団がいた。
彼らは海に漁を求めたのである。
野草や小動物だけでは、豊かにならない。
新たな食料を求めて、魚を捕ることに挑んだのである。
丸木の船を中心に網を使い漁をする。
そして塩漬けして、火を使って焼いた。残りは保存。春から秋にかけてそんな暮らしをしていた。
秋から冬場は、果実を保存し、小動物を罠で採るような生活だった。山奥の暮らしが少しだけ変わった。
網は、草を撚り合わせた紐を編んで作ったもので、数カ月毎に編んで作っていた。
それは、紀元前5世紀より前だった。
ある日、大きな変化が起きた。
漂流者を発見し、助けることになったのだ。彼らはウラジオストークの北側の大陸から漂流してきた漁民であった。日本海を渡ってきたのである。
そして、体格も大きかった。若い男女、5人組であった。
彼らの船は大破していたが、自分たちが丸木舟よりも大きく、底板が貼ってあった。
彼らは、流されたあと、沖に打ち上げられ、助かったのであった。
彼らは、酷く衰弱しており、言葉も通じなかった。
回復に2か月ほどかけて、その間にコミュニケーションが成立することになった。
彼らは縄文部落の者たちと暮らすことになった。
彼らとの暮らしには驚きが溢れていた。彼らの大陸での記憶を頼りに、新たな漁が始まった。大きな魚が捕れるようになった。
彼らはナイフを持っていて、小動物や野獣を狩って、皮をはぎ、肉を保存し、皮をなめし、新たな素材が出来上がっていった。
彼らの暮らしは、急激に向上した。
このように縄文集落の規模は小さいものが多かったが、それぞれが特異な方法で暮らし、点在するように存在していた。
そして、その点在する集落を渡り歩くグループがあったのである。
点在している縄文集落は、縄文ネットワークとして彼らに記憶され、継承されていたのだ。移動するグループは、そのネットワークを頼りに歩き回っていたのである。
移動するグループは、いくつかあったようだ。
縄文ネットワークという縄文部落を移動して暮らしているグループは、それぞれの縄文集落を回りながら、北から南までを歩き、物を運んで、食料を得て、小動物等を狩って暮らしていた。冬場は動けないので、特定の部落に滞在し、冬を越すのであった。
この移動するグループは山歩きが得意で、様々な情報を部落ごとに伝えて回ることになるのであった。
縄文の暮らしは情報がない世界だったが、彼らがあちらこちらの話を伝えることで、争いは起こらず、平和な世界が続いていた。
この移動するグループにウラジオストークより北側の大陸から漂流し助けられた渡来人の混血が仲間になっていた。




