3-3 巫女の変化
巫女の変化
直江津王国の10代目の王は、移住を決断し、長野盆地や佐久平に新たな弥生を建設し、新たな領地として、王の力を見せつけていた。そして支配の形をしっかりと作っていった。
しかし、この新領地の奉納は、長くは、続かないと判断していた。距離があり時間とともに関係が薄れると判断していた。
そこで、川前の集落や佐久の集落に王族から巫女を差し出した時に、かつての縄文巫女の小屋を新しく、神殿の奥の祈りの場として使うことを決めていた。
そこでは、湧水を使い身を清め、大岩に祈りを捧げ、火を焚き侍女たちが踊り、神に奉納する儀式を行っていた。
自然に対する畏怖や敬意が、米の育成を助け、様々な災害から集落を守ると、人事られたのである。
10世代目の王がなくなると、宰相をはじめ、管理する者たちが、巫女の力を背景に王国の支配を進めていったのであった。
新領地は、独自に支配層が成長したが、王国の影響は薄れていった。
長野盆地での動きも、王国への奉納が絶えると、徐々に変革していった。
川前の集落に王族の巫女が入ってきた始めは、検分役も助けに入り、長が取り仕切る支配が続いた。
が、年老いた長にかわり、新たな長が生まれ、巫女と結ばれると、新たな支配が始まっていた。
王族の巫女による権威を背景に、長が支配するかたちであった。巫女は、儀式を行い川前の集落ばかりか、先の集落にまでその力は及んでいた。
佐久の集落でも、その支配の形は変化していた。
王族の巫女が入村すると直ぐに、若い長が、巫女と結ばれ、巫女の権力を長が支配に変える形で成長していった。若い長は、王族に使える意思を示していた。検分役が、集落に来なくなってからも、巫女に忠誠を近い、支配は続けられた。
そのせいで、佐久の集落では、巫女が巫女を産み育てるかたちで時代が進み、巫女としての力は薄らいでいくのであった。
巫女は、形だけの象徴になっていた。
こうして、王族の流れは三者三様になった。
紀元前2世紀、1世紀と時代が進み、弥生期の集落は、それぞれが大きく、発展していった。
雨が降り続くと、川は荒れ、作物にも支障が起き困惑したが、何とか、巫女の仮初の力や形ばかりの祈りが、もたらす安定を信じ、それぞれが無難に過ぎていった。
そのぐらい、米の恩恵はすごかったのである。
しかし、紀元前1世紀が過ぎた頃、佐久の集落の空に細い雲が長く引かれた日があった。雲が不気味に蠢いているのだった。
集落の人は、何かが起きているとは感じるが、何が起きているかは判断できなかった。
巫女も、すでに何代も過ぎていて、形だけの巫女であったから、何が起きているのか判断できなかった。
そこに、突然、縄文の移動するグループが訪ねてきた。
浅間山の奥に住んでいた、縄文の婆様からの使いであった。




