1-10 直江津王国の事
直江津王国の事
紀元前5世紀ごろ、突然直江津付近に上陸した。そして、縄文集落を吸収し、新たな弥生集落が出来上がっていた。
そこでは、米の耕作により食糧事情が改善され、子育ての共同化により人口は爆発的に増え、巨大集落となった。
縄文ネットワークを知る移動するグループから《あれは、直江津王国だな》と呼ばれるぐらい大きな集落となっていた。
王以外の役職としては宰相があったが、集落の経営の支配層が何となくあるだけで、王は世襲を続けていた。そこに、王族が生まれたのである。
王族は、世代が進むが、仕事はなかった。
そこに縄文ネットワークを知る移動するグループとの交流が進むうちに、どちらでもなく、王族の移住という事が始まっていた。
柏崎、長岡、新潟と、縄文ネットワークを知る移動するグループが案内し、確認し、王族の新たな領地が増えていった。
しかし、それは新たな弥生集落が出来ただけのことであった。
紀元前3世紀頃になり直江津王国では、住民からの圧力で王が決断し、移住が成功し、新たな直江津王国に所属する川前の集落が出来上がった。
王国も宰相達も流されるように新たな川前の集落が出来た重要性に大いに驚いたのであった。
川前の集落では、移住を先導した移動するグループの若者が、王国に報告に戻ると、本格的な生活が始まっていました。
ここは千曲川を背にして、やや高い土地に穴を掘って柱を建て、小屋を作ることになった。50人足らずの人間だったので、基礎ができたら少人数で形ができていった。
そして、長い間、あっちに行ったりとウロウロ動き、場所の選定を行っていた管理者達が、まず水利用の溝を作り、田になるように土を耕し、田んぼ作りと水利用の形が見えてきたようだった。
管理者はテキパキと指示を出し、残りの若者達が指示に従い、木で作ったシャベルで掘り進み水路を作ったりしていた。
何日かは、持ってきた食料を火を囲みながら食べていたようである。
火を囲む日々の中で、皆の間には自然と仲間意識が芽生えていった。家ができると小屋には、気のあった仲間が暮らすことになり、男女も自然に組み合わさるようになっていった。
そして、持ってきた苗を植え、田んぼが完成し、石を据えて建て、まず小さな蔵が完成した。蔵の前は大きな広場になっていた。
その頃には直江津王国から移動するグループの若者が、さらなる移住者を連れて、長野盆地に到着した。到着から10日ほどが経っていた。




