第四段階:金山城攻囲
1584年6月 美濃国 金山城
「出馬する!」
森忠政は何度目になるか分からない主張を繰り返した。御嵩に来た遠山勢は近く、久々利城を攻めている徳川勢は遠い。両者が合一する前に少数の遠山勢を各個撃破するべきだと森忠政は家中に訴えた。
このまま金山城に籠城するだけでは主導権を相手に委ねっぱなしになる。
何よりも父や兄なら、ここは出撃した局面だと確信していた。父の森可成はそれで倒れたが、森家の男子として後を追うことになっても構わないと、忠政は思っていた。
だが、跡を継いだばかりで十五歳と若年の忠政に家中を思うように動かすことは出来なかった。家老たちに宥められ、遠山勢が南から城下に迫るのを眺める羽目になる。さらに一定期間の耐久を期待していた久々利城が短期間に陥落して林長兵衛も討ち死にしたとの報告が入る。
現実に森勢が敵の各個撃破を狙えるタイミングは針の穴に糸を通すほどしかなかったのだ。
そもそも出撃が破滅的な行為だったことを森忠政は知らない。
復讐の鬼と化した遠山一行が森忠政の出撃を知れば刺し違えることを狙った無茶苦茶な攻撃を仕掛けただろう。そんな戦いを交えれば、遠山勢を壊滅させても森勢の被害も甚大。主力に対して金山城を守る兵すら足りなくなる。ただでさえ羽黒の戦いと長久手の戦いで多くの森兵が死んでいるのだ。
しかも、本陣山城よりも西にある顔戸城周辺では、明智光秀が反森派というか親明智派を決起させる手筈を整えていた。もしも、森家の主力が飛び出して来ていたら、彼らが後方で挙兵して忠政に壊滅的な打撃を与えていたであろう。さらに顔戸城の西にある上恵土城は城主の長谷川五郎右衛門を森長可に討ち取られており、帰農した長谷川一族が居住する上恵土城周辺では不穏な動きがあった。
桶狭間の再現を狙ったような兵の進退などは、若者の夢想に過ぎなかったのである。
出撃できなかった腹いせのように金山城にある妻木屋敷に住んでいた妻木家の人質が磔になって殺害された。覚悟はしていたものの、攻囲軍に合流した妻木貞徳・頼忠の口から嗚咽が漏れる。遠山一行やその親類もトラウマを抉られる想いがした。
森家による人質の処刑は、裏切りへの報復であると同時に、家臣たちへの覚悟の表明でもあった。
『むごい行いをした森家を東濃勢は許すまい。報復されたくなければ死に物狂いで戦え』という表明なのだった。
本拠地まで追い詰められた森家家中の統制もかなり揺らいでいた。地元出身の将兵には城から抜け出すように縁故を使った誘いがたくさん寄せられている。
こうして心理戦での金山城攻略は水面下で進んでいたが、物理的な金山城攻略は難航した。
現状において金山城は東濃地域一の城郭といえる。岩村城、苗木城、明知城などの整備が進むのはこれからであり、規模では妻木城が辛うじて対抗できそうだが、城主の石高においては十倍以上の開きがある。
織田系の技術が惜しげもなく投下された金山城は地域において頭抜けた存在であった。
選地も厄介だ。木曽川を北方の守りとして高くそびえる山系に主要な曲輪を配置しているのだが、現在の大手口は木曽川と山系の間に挟まれた金山の城下町に向かって開かれている。寄せ手は大手から攻め上がるためには木曽川と山脈に挟まれた危険極まりない隘路に踏み込む必要があった。
金山城に援軍の当てがないなら何とかなるが、現実には羽柴秀吉の大軍が救援に現れる可能性が高い。城を落とせないまま西側を遮断されたら、徳川勢は窮地に陥るだろう。
結局、大半の兵は後方の安全を確保するため隘路に入らず、少数の兵が大手口に寄せる形になっていた。そんな及び腰なら金山城の森兵に撃退されてしまう。
一方、搦手となる金山城の南側は道が整備されていないことで、軍勢の運用が難しく、地の利を握る森勢の神出鬼没な働きに仕寄り道の整備も妨害されていた。
「まさに虎穴に入らずんば虎子を得ずじゃな」
「ならば虎子を餌に禿げ鼠を釣りましょうぞ」
南から金山城を遠望する石川数正に、明智光秀が語りかけた。織田家重臣であった時分から粗略には扱えない相手だったが、現在の立場は完全に石川数正が上である。
まあ、足利義昭と織田信長の関係が変化していく様を間近で目撃した明智光秀にとっては何ほどのこともない。今は石川数正の配下が役目だと心得て、それに徹するのみである。うまくやれば彼と同格に昇れる日が来るかも知れない。
いや、一度は天下に号令した我が身にとって誰かの下で僅差を争うことも虚しい。中味までも僧らしく超然と振る舞うのが最も良いだろう。
徳川勢は石川数正が連れてきた奥平信昌、鈴木重次らの人数を加え、遠山勢と合流し、各地の反森勢も糾合した。金山城を囲む軍勢の数は一万を優に超えていた。小牧山城の本隊に次ぐ集団といえる。それだけに撃破することの魅力は大きく、秀吉が後詰決戦に乗り出してくる可能性があった。
織田と徳川に所属した武将には後詰をする方もされる方も慣れ親しんだ展開である。
「さて、(後詰が敗北した)姉川となるか、(後詰が勝利した)長篠となるか……」
石川数正が呟いた。それらの戦では秀吉と徳川は同じ陣営に属していたのだった。




